保津川下りの船頭さん

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K-1の出発点の大会「LAST CHANCE」の思い出。

2006-05-14 23:16:33 | 空手・格闘技
今日、人気スポーツ「K-1」のグランプリ予選となる
ヨーロッパ大会がオランダはアムステルダムで開催され、
その模様がフジテレビ系列で放送されました。

「K-1」は空手や拳法、キックボクシングなど打撃系格闘技の
頭文字Kを取って、世界最高の打撃王を決めようという大会で
今や世界中の若者や格闘技ファンに絶大な人気を誇る
スポーツイベントとして確固たる地位を確立しています。

K-1の醍醐味はなんといっても、2mを越えるような
ヘビー級のファイターたちが、殴り、蹴り合い繰り広げる
迫力ある闘いにあります。

「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」といった日本古来の
武術の概念、幻想を木っ端微塵に吹っ飛ばす現実主義に貫かれています。

K-1を観ていると、今も思い出します。あの日のことを・・・

実は私、今から15年前、この「K-1」の出発点となった
「空手大会・LAST CHANCE」の現場にいたのです。

91’の6月4日、東京の代々木体育館で当時自分が所属していた
USA大山空手VS正道会館の5対5の対抗戦大会が開催されたのです。

このイベントを企画したのは空手雑誌の編集長とご存知「K-1」の
生みの親、正道会館館長・石井和義師範です。

今でこそ超人気のK-1を統括する石井館長(今は宗主と呼ばれるそうです)
率いる正道会館ですが、当時はまだ大阪を中心とした1空手団体に過ぎず、
佐竹、角田選手など実力のある選手はいるものの、全国的な知名度は
まだまだ低かったことから、この大会を機に、正道の名を日本全国に
大きくアピールしたいという希望をもたれてました。
また、我がUSA大山空手もアメリカを中心とする空手団体だったので、
日本空手界にアピールするよい機会であるという、お互いの思いが
一致したことで現実化した企画でした。

それまでの空手の大会というのは、全てトーナメント方式で
一日に何試合もしなくては優勝できないという過酷なものでした。
技以上に、スタミナ配分や試合でのダメージをいかに最少に
するかが勝敗のカギでした。

それを一日一試合、2~3時間で凝縮された中身の濃い空手大会
という、全く新しく斬新な試合方式を採用することで、やる者も
ワンマッチに集中でき、観る人も飽きさせないという
興行的要素も含んだ空手大会を初めて企画したのです。

この大会は、会場2時間前から長蛇の列が出来、館内は超満員で
館内に入れない人が出入り口にあふれ返る程の大盛況でした。

そして、この興行的要素はその後、正道会館に受け継がれ、計画性と実行力を備えた
石井館長という類稀な才能をもった人物により、K-1という発展を遂げたのです。

自分はこの大会の1週間前から東京に駆けつけ、アメリカから来たウィリー、
ギャリー、チャックなど選手たちのスパーリングパートナーやミット持ちなどの
お手伝いをし、大会当日はスタッフとして、その歴史的な現場に協力しました。

また、この大会に先立ち、友好を深める目的から、私達USA大山空手と正道会館で
大山茂師範指揮のもと、合同合宿を行い、正道会館からは石井館長はじめ
佐竹雅昭選手、角田信朗選手という豪華な顔ぶれが参加し、
熱い合宿を行ったのもいい思い出です。

K-1という格闘技が生まれ出す僅か数年前の出来事ですが、
空手の新たな1ページがまさに開かれようとする時でもありました。
その新しいページに自分たちの‘夢’や‘ロマン’を書き込もうとする
石井館長や正道の方たちのエネルギーが満ち溢れていました。
そして同時に自分自身にとっても紛れもなく青春時代と呼べる時でした。

空手、格闘技の歴史的瞬間を身近で垣間見られことは、自分の空手人生に
おいて幸運なことで、その後の人生の励みにもなっています。

大会の為来日したアメリカの選手との交流や大会スタッフでの
エピソード、また、合同合宿での正道会館の方々との
交流など、まだまだたくさんの思い出がありますが、
今日はこの辺にしておきたいと思います。

                押忍