快晴となった今日15日の日曜日、京都嵐山・大堰川(保津川)一帯では
平安時代の舟遊びを再現した‘まつり’「三船祭」が行なわれました。
三船祭は平安時代(898)宇多法皇が嵐山大堰川に竜頭の船を浮かべて
詩歌管弦を興じたことに由来する舟の祭で、毎年5月の第3日曜日に
「祭神」である車折神社の神事として催されています。
川畔で午後1時から祭事を奉し、渡月橋上流の大堰川に竜頭、鵜首など
美しい飾りを施した華やかで優雅な舟が浮かび、その舟上で平安時代の
衣装に扮した人達が詩歌、管絃、舞楽など平安時代の遊びに興じます。
まるで平安絵巻から飛び出した様な優雅さは京都ならではのもの。
毎年、嵐山の川畔には、約10万人の拝観者が訪れるといいます。
今年は、先週の豪雨のため河川が増水していたため、恒例の‘扇流し’
は行なわれず、また舟を流す範囲も縮小されたようですが、鵜首船から
聞こえてくる雅楽の音色と奉納舞は見物客の目前で演じられ、視線を
釘付けにしていました。
三船祭の由来に、昔からたびたびの大洪水で毎年のように大きな被害が出る
大堰川をその都度、復旧工事に当たっていたのが、車折神社ゆかりの
清原頼業(よりなり)の子孫一族であった事から、神社境内に水の神様を
祭り「治水祈願」をした史実にもとずき昭和3年(1928)から始められました。
‘扇流し’のはじまりは、足利将軍が天龍寺へ参詣の際、お供の童子が誤って扇を
川に落した時、その扇の流れる様に「なんという優美さよ!」とを感じ、
魅了され話が広まり、天龍寺参詣の度に、お供の人々が競って扇を
川に流したという故事に由来しているそうです。
「花の御所」にも象徴される優美な室町文化時代らしい美意識ですね。
今日、3度、保津川を下ってきた私は三船祭にBingo!
嵐山の初夏を彩る優雅な舟遊びを視近距離から見物することができました。
平安時代の舟遊びを再現した‘まつり’「三船祭」が行なわれました。
三船祭は平安時代(898)宇多法皇が嵐山大堰川に竜頭の船を浮かべて
詩歌管弦を興じたことに由来する舟の祭で、毎年5月の第3日曜日に
「祭神」である車折神社の神事として催されています。
川畔で午後1時から祭事を奉し、渡月橋上流の大堰川に竜頭、鵜首など
美しい飾りを施した華やかで優雅な舟が浮かび、その舟上で平安時代の
衣装に扮した人達が詩歌、管絃、舞楽など平安時代の遊びに興じます。
まるで平安絵巻から飛び出した様な優雅さは京都ならではのもの。
毎年、嵐山の川畔には、約10万人の拝観者が訪れるといいます。
今年は、先週の豪雨のため河川が増水していたため、恒例の‘扇流し’
は行なわれず、また舟を流す範囲も縮小されたようですが、鵜首船から
聞こえてくる雅楽の音色と奉納舞は見物客の目前で演じられ、視線を
釘付けにしていました。
三船祭の由来に、昔からたびたびの大洪水で毎年のように大きな被害が出る
大堰川をその都度、復旧工事に当たっていたのが、車折神社ゆかりの
清原頼業(よりなり)の子孫一族であった事から、神社境内に水の神様を
祭り「治水祈願」をした史実にもとずき昭和3年(1928)から始められました。
‘扇流し’のはじまりは、足利将軍が天龍寺へ参詣の際、お供の童子が誤って扇を
川に落した時、その扇の流れる様に「なんという優美さよ!」とを感じ、
魅了され話が広まり、天龍寺参詣の度に、お供の人々が競って扇を
川に流したという故事に由来しているそうです。
「花の御所」にも象徴される優美な室町文化時代らしい美意識ですね。
今日、3度、保津川を下ってきた私は三船祭にBingo!
嵐山の初夏を彩る優雅な舟遊びを視近距離から見物することができました。