保津峡・・・四季折々の美しい情景が息づく渓谷という名の
大自然が生み出した巨大な空間。
悠久の時が刻んだ渓谷が見せてくれる「自然の摂理」には、
人が生きていく上での貴重なヒントをいくつも教えてくれていると
感じることがあります。
今年も渓谷を錦絵のように彩った紅葉の秋が去ろうとしており、
もうすぐ山は静寂の冬へと向かいます。
秋から冬にかけて渓谷の風景はまた、著しい変化をみせるのです。
晩秋の保津峡は、それまで緑一色だった木々の葉にさまざまな色が付き始め、
華やかな彩に包まれます。紅葉はカエデの葉ばかりではなく、
イチョウやケヤキ、サクラ、フジなどもあり、それらは黄葉へと染まり、
スギなどの針葉樹の緑と相まって美しいコントラストを現します。
保津川沿いのカエデは、秋の風光に照らされ、艶やかに赤色を浮かび上がらせ、
保津峡の紅葉美を一気に際立たせます。
川岸という厳しい自然条件のもとで育った保津峡の紅葉には、
社寺仏閣のような手入れされ大事に育てられた上品な美の演出はないものの、
自然に鍛えられた荒々しい力強さと逞しさを持ち、野趣に富んだ美しさを醸しだします。
度々襲う洪水の激流や焼けつく様な日照りに晒されるという、
まさに‘逆境’に耐え抜いたものが醸し出す赤色です。
岩盤の地面にしっかり根を張り、川への延びる幹、赤く染まる葉の姿は、
どの様な苦難にも耐え抜いたものだけが到達できる誇り高き‘美’であり、
見る者に困難に負けず、生き抜くことの大切さと勇気を与えてくれるのです。
そして、紅葉の散りゆく姿は‘いのち’の終焉という深いメッセージが潜んでいます。
秋の到来とともに、紅葉は葉先から緑、黄緑、黄、朱という色順序で色づき
、葉全体を赤く染めていきます。
しかしそれは、葉が落ち、終焉へと向かう姿でもあります。
終焉が近いことを悟った木々は、糖分を葉に残し、自らの水分や養分を絶つことで
葉緑素を壊して‘紅葉’と呼ばれる赤色へ変わっていきます。
それはまるで‘いのちの炎’を燃やしきるかのような赤さです。
やがて葉は雨露の重みや強い秋風に吹かれ散り、落葉となり、いのち尽きます。
だが、落葉に残した糖分は土壌へと浸み込み、木々の根へと栄養を運び、
次の‘生’をつなげる大事な役割があるのです。
木の根は‘冬’という眠りの間に土壌の養分を吸い上げ、
春に芽吹く新しい‘いのち’を育てていく。
「死」が、新たな「生」を支え‘永遠’となり‘いのち’は繋がっていきます。
一年という時間に凝縮された‘自然のサイクル’は
「あらゆる命あるものの死が、終局を意味しない」ということを
私たち人間に語り掛けてきます。
死したものは生まれ変わり、出変わりして、
滔々と尽きることなく‘いのちの大河’は流れていきます。
私はここを仕事場に選び、17年の月日が流れました。
そして今日も舟を操り、自然が語りかけてくる‘声’を
体と心で感じながら、清流を下っていくのです。
大自然が生み出した巨大な空間。
悠久の時が刻んだ渓谷が見せてくれる「自然の摂理」には、
人が生きていく上での貴重なヒントをいくつも教えてくれていると
感じることがあります。
今年も渓谷を錦絵のように彩った紅葉の秋が去ろうとしており、
もうすぐ山は静寂の冬へと向かいます。
秋から冬にかけて渓谷の風景はまた、著しい変化をみせるのです。
晩秋の保津峡は、それまで緑一色だった木々の葉にさまざまな色が付き始め、
華やかな彩に包まれます。紅葉はカエデの葉ばかりではなく、
イチョウやケヤキ、サクラ、フジなどもあり、それらは黄葉へと染まり、
スギなどの針葉樹の緑と相まって美しいコントラストを現します。
保津川沿いのカエデは、秋の風光に照らされ、艶やかに赤色を浮かび上がらせ、
保津峡の紅葉美を一気に際立たせます。
川岸という厳しい自然条件のもとで育った保津峡の紅葉には、
社寺仏閣のような手入れされ大事に育てられた上品な美の演出はないものの、
自然に鍛えられた荒々しい力強さと逞しさを持ち、野趣に富んだ美しさを醸しだします。
度々襲う洪水の激流や焼けつく様な日照りに晒されるという、
まさに‘逆境’に耐え抜いたものが醸し出す赤色です。
岩盤の地面にしっかり根を張り、川への延びる幹、赤く染まる葉の姿は、
どの様な苦難にも耐え抜いたものだけが到達できる誇り高き‘美’であり、
見る者に困難に負けず、生き抜くことの大切さと勇気を与えてくれるのです。
そして、紅葉の散りゆく姿は‘いのち’の終焉という深いメッセージが潜んでいます。
秋の到来とともに、紅葉は葉先から緑、黄緑、黄、朱という色順序で色づき
、葉全体を赤く染めていきます。
しかしそれは、葉が落ち、終焉へと向かう姿でもあります。
終焉が近いことを悟った木々は、糖分を葉に残し、自らの水分や養分を絶つことで
葉緑素を壊して‘紅葉’と呼ばれる赤色へ変わっていきます。
それはまるで‘いのちの炎’を燃やしきるかのような赤さです。
やがて葉は雨露の重みや強い秋風に吹かれ散り、落葉となり、いのち尽きます。
だが、落葉に残した糖分は土壌へと浸み込み、木々の根へと栄養を運び、
次の‘生’をつなげる大事な役割があるのです。
木の根は‘冬’という眠りの間に土壌の養分を吸い上げ、
春に芽吹く新しい‘いのち’を育てていく。
「死」が、新たな「生」を支え‘永遠’となり‘いのち’は繋がっていきます。
一年という時間に凝縮された‘自然のサイクル’は
「あらゆる命あるものの死が、終局を意味しない」ということを
私たち人間に語り掛けてきます。
死したものは生まれ変わり、出変わりして、
滔々と尽きることなく‘いのちの大河’は流れていきます。
私はここを仕事場に選び、17年の月日が流れました。
そして今日も舟を操り、自然が語りかけてくる‘声’を
体と心で感じながら、清流を下っていくのです。