保津川下りの船頭さん

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保津川下り‘船頭物語’~厳しく寒い冬の船頭生活から~

2011-12-08 16:53:17 | 船頭の目・・・雑感・雑記
この時期になると、保津川下りの船頭たちの話題は「冬の仕事のこと」です。

川下りが閑散期になる冬は、船頭にとっても寒い季節。
冬期の間、若い船頭を中心に約3分2の船頭が他の仕事へ移っていきます。
世情厳しい昨今です。みんな、今年はいい仕事がみつかるかな??毎年不安があります。

とにかくこれから、遊船事務所もすっかり寂しくなります・・・

私は大学から新聞社記者を経て、結婚を期に京都の伝統的な観光業である
「保津川下りの船頭」へと転職し‘川’と‘渓谷’という自然の中で
生きる人生を選択しました。

今だ江戸時代のままの「手漕ぎ」にこだわる、伝統の操船技術を習得する為に
約3年間、二人の師匠に付き、連日、厳しい修業と伝統的な風習や習慣が色濃く残る
人間関係の中で‘人間力’を磨く日々でした。

観光都市・京都の一翼を担う観光業・保津川下りも、川という自然環境が「冬」の
イメージとつながりにくいこともあり、冬期は訪れる人もめっきり少なくなります。

出来高給料制の所得形態である我々船頭には、冬の収入は皆無等しい額になります。
しかし、各自が独立して事業にあたる企業組合という性格上、会社はなんの保障制度
もなく、冬期は自力で仕事を探してきて、飯の種を手に入れないといけません。

私も、保津川下りに入社以来、冬の3ヶ月間は様々な仕事をしてきました。

地元亀岡の農家で聖護院かぶらの収穫手伝いや農業用のビニールハウスの設営作業。
また、市公共工事の日雇い土木作業員から、砂防ダムや橋梁の型枠大工見習い。
京都の中央市場で老舗蒲鉾屋の冷蔵庫作業員や配達人や地元にある大手乳製品工場
専門の深夜のトラック運転手などなど・・・一体、この17年間で
どれだけの仕事をしたことだろう。

いつも唇をかみ締めるような忍耐の必要な仕事が多く、偉そうな元新聞記者などという
プライドなど木っ端微塵に砕かれるような、立場の弱い内容の仕事も多く経験しました。

あらためて振り返ってみると、自らの歩んできた人生ながら「こんな人生があるのか?」
と思えるほど、波乱万丈であり、ある意味一種、奇跡的な人生を歩んでいるとさえ感じます。

経験のない新たな仕事では、すべて先輩に頭を下げて教えて貰う事ばかりです。
先輩といっても私より若い社員さんも多く、屈辱的な言葉を投げかけられたこともしばしばです。

「所詮、冬の間だけのアルバイト」いやなら辞めればいいだけのこと。
でも、何か負けた気がして絶対にいやだったです。それは、指導される上司ということでは
なく、自分自身の「心の弱さ」に負けるのがいやだったからです。

「本職は船頭だが、ここでバイトしている時は、その仕事のプロにならないと!」
そう思って意地をみせながら取り組んできました。

今、振り返るとこの経験と克服しようとする精神力を涵養できたことこそ、
私の人生の上での大きな財産になっているとさえ思えます。

様々な現場で仕事をして、そこで生きる人たちの思いを実体験で知り、体感した私。

記者時代、様々な仕事や職種の問題や課題などとそこに生きる人を取材してきた私。
でも、聞くのと自分がするのでは雲泥の差があることを知りました。
聞いてわかった気になっていた自分の甘さを思い知らせれました。

でも、誰もが経験したことのないであろう、こんな稀有な‘人生’だからこそ、
自分で歩んでいくこと事体「私が生きる意味」でもあると感じています。

人生はかくも面白いのだ。

こんなご時世です。
多くの人が、職場現場で絶望的だと思えるような辛く厳しい時も多々あると思います。
しかし、一度や二度の挫折、厳しい今の立場や状況に折れることなく、いつも心は陽気に
前を向いて仕事に工夫と改善を加えて行く姿勢で、一生懸命‘自分磨き’をしていれば
‘チャンス’は必ず訪れるものと信します。

これからの厳しい社会へ飛び込んでいく若者こそ、そう思ってほしいと思います。

船頭の厳しい冬・・・多くの社会経験を学び、自分を磨く良い機会になると
思えば、それも無駄ではないと思えるのです。

もちろん、遊船事業が冬期に今のような現状であることを改善することが
最も大切な企業的課題であることはいうまでもないですけどね・・・