第二次大戦後、戦地から多くの船頭が帰ってきたところで、
タクシー会社京聯の創設者・川本直水氏は、それまで保津村、山本村など流域の村々で
別々に運営していた通船事業を合併し法人化に成功した。
ここに「保津川下り」という統一した名称が誕生する。
タクシー運転手から一代で起業化し、観光バス会社タクシー会社を設立した
立志伝の人・川本氏は、政界、財界、芸能界に持つ幅広い人脈を活かして
「観光保津川下り」を日本国内に発信した。
時代は高度経済成長の追い風もあり、観光業に大型団体バスツアー(マス・ツーリズム)形態が生まれ、
京都観光の中での、保津川下りの知名度を不動のものにしました。
しかし、保津川下りの他に様々な事業展開を拡大していた川本氏だったが、資金不足に陥り、
保津川下りは、昭和39年、阪急電鉄株式会社に売却され、船、船頭ごと大資本の配下に組み込まれることとなる。
*写真は旧乗船場に併設されていた保津川観光ホテル(旧亀岡商工会館)の宿泊客が、浴衣姿で乗り込む模様が撮影されている。
タクシー会社京聯の創設者・川本直水氏は、それまで保津村、山本村など流域の村々で
別々に運営していた通船事業を合併し法人化に成功した。
ここに「保津川下り」という統一した名称が誕生する。
タクシー運転手から一代で起業化し、観光バス会社タクシー会社を設立した
立志伝の人・川本氏は、政界、財界、芸能界に持つ幅広い人脈を活かして
「観光保津川下り」を日本国内に発信した。
時代は高度経済成長の追い風もあり、観光業に大型団体バスツアー(マス・ツーリズム)形態が生まれ、
京都観光の中での、保津川下りの知名度を不動のものにしました。
しかし、保津川下りの他に様々な事業展開を拡大していた川本氏だったが、資金不足に陥り、
保津川下りは、昭和39年、阪急電鉄株式会社に売却され、船、船頭ごと大資本の配下に組み込まれることとなる。
*写真は旧乗船場に併設されていた保津川観光ホテル(旧亀岡商工会館)の宿泊客が、浴衣姿で乗り込む模様が撮影されている。