保津川下りの乗船場から出発して15分ほどすると、
いよいよ前方に保津川渓谷の入口が見えてきます。
この保津峡の入口右岸側、川岸が平坦に整備された
ところが‘山本浜’と呼ばれる場所です。
‘浜’という呼び名が付いていることでも分かる様に
ここには昔、保津川下りの前身である遊船の船着場が
造ってあった所なのです。
この‘山本’という名前は、保津峡入口・右岸すぐ横の山裾に
ある小さな集落の地名で、太古の昔、保津峡を切り開いたと
伝えられる‘大山咋命(おおやまくいのかみ)’を祭神とする
桑田神社がある、古くから保津川に縁深い集落の名前を
取った浜なのです。
この山本浜には大正時代「山本浜嵐峡遊船株式会社」という
観光船の会社が存在し、この浜から、遊船が出航して
いました。
この会社は、今の保津川下りの乗船場がある‘保津浜’から
出航していた遊船の会社とは全く別の組織で、山本の集落の
人々が独自で立ち上げた会社だったのです。
つまり、大正から第二次大戦後の昭和23年まで、
保津川下りの会社は2社、存在していたのです。
この保津峡の入口にある山本浜は、京都から行くと洛西と丹波の境、
老ノ坂峠を西へ越え、そのまま山裾伝いを下ったら一直線上に
位置するアクセスのよさから、京都の観光客に大変人気が
あったと聞いております。
しかも、この‘山本浜’は渓谷の入口にあるので、
船を出航させるとすぐに急流が楽しめることから
外国人観光客にとても人気があり、当時では珍しく
国際色豊かな賑わいをみせていた‘浜’だったのです。
昔の浜は、川岸まで石段がつけてあり、その下から
船が出られる様に整備されていたそうです。
今では、遊船が出ていた当時の面影は全く残ってなく、
京都府の桂川河川改修計画により、
護岸を平坦に広く整備した段差のある
川岸に改修されています。
休日にはラフティングの出発点に使用されたり、
家族連れや若者グループがバーベキューを楽しむ
憩いの浜として、姿を変えているようです。
周りにはトロッコ列車の亀岡駅やJR山陰線・馬堀駅が
あり、今では浜のすぐ近くにたくさんの住宅地も
できています。
この浜には私はっちんもいくつかの思い出があります。
幼かった頃、父に「船を見に行こうか!」と誘われ
よく、この浜の先端部で、下っていく保津川下りの
船を見に行きました。
この時のイメージが、私の船頭になった動機のひとつ
でもあるのです。
はっちんが遊船に入った当時も、まだ原風景が残っており
その‘山本浜’から、今度は我が妻に連れられて幼い頃の
息子が「おとうたん~」と叫びながら、手を振っていた
いたのもこの‘浜’でした。
そういえばTVの「人生の楽園」の撮影で、
夫婦のツーショットインタビューを撮ったのも
この‘山本浜’だったな~
番組のオープニングのシーンで、二人で語らいながら
歩いたりもしました。
本当にこの‘山本浜’は、人生で忘れることの出来ない、
色々な思い出が詰った‘浜’なのです。。
*写真は対岸から見た‘山本浜’。後方にトロッコ列車の
駅も見えます。
いよいよ前方に保津川渓谷の入口が見えてきます。
この保津峡の入口右岸側、川岸が平坦に整備された
ところが‘山本浜’と呼ばれる場所です。
‘浜’という呼び名が付いていることでも分かる様に
ここには昔、保津川下りの前身である遊船の船着場が
造ってあった所なのです。
この‘山本’という名前は、保津峡入口・右岸すぐ横の山裾に
ある小さな集落の地名で、太古の昔、保津峡を切り開いたと
伝えられる‘大山咋命(おおやまくいのかみ)’を祭神とする
桑田神社がある、古くから保津川に縁深い集落の名前を
取った浜なのです。
この山本浜には大正時代「山本浜嵐峡遊船株式会社」という
観光船の会社が存在し、この浜から、遊船が出航して
いました。
この会社は、今の保津川下りの乗船場がある‘保津浜’から
出航していた遊船の会社とは全く別の組織で、山本の集落の
人々が独自で立ち上げた会社だったのです。
つまり、大正から第二次大戦後の昭和23年まで、
保津川下りの会社は2社、存在していたのです。
この保津峡の入口にある山本浜は、京都から行くと洛西と丹波の境、
老ノ坂峠を西へ越え、そのまま山裾伝いを下ったら一直線上に
位置するアクセスのよさから、京都の観光客に大変人気が
あったと聞いております。
しかも、この‘山本浜’は渓谷の入口にあるので、
船を出航させるとすぐに急流が楽しめることから
外国人観光客にとても人気があり、当時では珍しく
国際色豊かな賑わいをみせていた‘浜’だったのです。
昔の浜は、川岸まで石段がつけてあり、その下から
船が出られる様に整備されていたそうです。
今では、遊船が出ていた当時の面影は全く残ってなく、
京都府の桂川河川改修計画により、
護岸を平坦に広く整備した段差のある
川岸に改修されています。
休日にはラフティングの出発点に使用されたり、
家族連れや若者グループがバーベキューを楽しむ
憩いの浜として、姿を変えているようです。
周りにはトロッコ列車の亀岡駅やJR山陰線・馬堀駅が
あり、今では浜のすぐ近くにたくさんの住宅地も
できています。
この浜には私はっちんもいくつかの思い出があります。
幼かった頃、父に「船を見に行こうか!」と誘われ
よく、この浜の先端部で、下っていく保津川下りの
船を見に行きました。
この時のイメージが、私の船頭になった動機のひとつ
でもあるのです。
はっちんが遊船に入った当時も、まだ原風景が残っており
その‘山本浜’から、今度は我が妻に連れられて幼い頃の
息子が「おとうたん~」と叫びながら、手を振っていた
いたのもこの‘浜’でした。
そういえばTVの「人生の楽園」の撮影で、
夫婦のツーショットインタビューを撮ったのも
この‘山本浜’だったな~
番組のオープニングのシーンで、二人で語らいながら
歩いたりもしました。
本当にこの‘山本浜’は、人生で忘れることの出来ない、
色々な思い出が詰った‘浜’なのです。。
*写真は対岸から見た‘山本浜’。後方にトロッコ列車の
駅も見えます。
保津峡には毎年、夏になると多くの方が
バーベキューや泳ぎに来られますが、
水の事故が後を絶ちません。
カメ亀さんはラッキーでした。
船頭は川での事故にいつも心を痛めています。
無茶をせず、安全に遊んでほしいです。
近くにいた船頭さんに助けてもらいました。怒られもしたけど・・・。でも、あの時助けてもらえなかったら・・・。
どなたか分りませんけどありがとうございました。
保津峡では良い思い出があるカメ亀でした。
山本浜は代々、山本の集落の人達が守り続けていた地です。戦後、保津の浜から出ていた会社と合併して以来、今も山本出身の船頭さんは、山本支部として組合に参加されておられます。
奈良時代の筏下りから延々、喜びも苦しみも川とともに過ごしていた村人から、今の保津川下りは継承されているのです。歴史の重さを感じずにはいられないです。
先日の写真(http://homepage.mac.com/satoc/Canoe_Kayak/PhotoAlbum75.html)のPICT0036.JPGからPICT0047.JPGまでは山本浜から撮った写真です。
そうですね~明日は「保津川・岩つつじを守る会」恒例のつつじ植えですね。
残念ながら、私はっちんはその船には当たっていません。私は明日、10時~11時頃の出船になりそうです。植えてられる時に、通って行くと思いますので、手を振りますね!
このブログに書いた「はっちんのトレードマークー」で探して見て下さい。(同じ帽子を被る
‘同士’がもう一人増えたので要注意!)
うどんの庄ちゃんの「さぬき亭」には、最近同僚の森田君に誘われて行きました。
とてもアットホームな雰囲気の店で、うどんも
最高においしかったです。お気に入りに登録しておきます~
市民新聞のハカセです!
このページ、お気に入りに登録させていただきました。
へーー、「山本浜」っていうんですか~。勉強にんなります。
明日、保津川で岩つつじが山野草を守る会によって植え付けられますが、ハカセは取材で行ってきます!はっちんさんいるのかな???(笑)
「山本浜」、注意してみてみますね~。