保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

熊殺し・ウィリーの思い出

2004-10-12 21:37:12 | 空手・格闘技
このところ日本全国を賑わしている事、それは熊の人里出没事件です。
今年の異常気象に原因があるといわれていますが、本当に怖い話です。

先日、爆笑問題が司会を務めるTVのワイドショーを見ていた時ことです。
コメンテーターに出演されていた国際ライセンス弁護士・八代英輝氏が
「私は熊とは遭遇した事はないが、熊殺し・ウィリーとなら空手の組手をしたことがある」
と発言され、爆笑問題の二人やゲスト達を驚かせていました。

予期せぬ名前がブラウン管から聞こえてきたことに私も驚きました。
そして、日本で今なおウィリー伝説は健在なんだな~と改めて感じ嬉しくなりました。

この熊殺し・ウィリーこそ、私はっちんの尊敬する空手の先輩であり、
一時期親しくさせて頂き「my friend」と呼んで頂いたウィリー・ウィリアムス先生です。

映画‘地上最強の空手’の中で320㎏もある人食い熊を素手で殴り殺し、
ザ・ベアーキラーの名を一躍世界中に轟かせたウィリー先生は、その後
格闘技世界一を表明するアントニオ・猪木に果たし状を出し、対戦。
70年代格闘技界にあって‘世紀の一戦’と評される試合を繰り広げたのでした。

はっちんはその頃、中学生でしたがあの一戦だけは鮮明に覚えています。

新日本プロレスVS極真空手の代理戦争の様相を呈した殺伐とした
雰囲気が会場を包み、両者の勝敗以上に団体のプライドを賭けた一戦でした。

今でも数多くの格闘技の試合がテレビに流れていますが、この一戦を
超える緊張感ある試合に、私は今だ巡りあっていません。

だからこそウィリー先生は格闘技界だけに止まらず、
当時の日本を巻き込んだムーブメントになったのでしょう。

試合は終始ウィリー先生優勢で運ばれましたが、これ以上やると
死人が出るという主催者側の判断により、両者引き分けストップになりました。

しかしウィリー先生が70年代の格闘家にとって最大の恐怖であったことは間違いがないでしょう。

この頃のウィリー先生は、当時の私にとって、遠い世界のアイドルであり、
また空手に魅了されるきっかけを作った人でした。

しかし、その先生と10年後にはお知り合いになり、空手を教えてもらうことに
なるのですから人生って本当に不思議ですね。

また機会があれば、ウィリー先生との数々ある思い出の中から
幾つかをピックアップしてお話してみたいと思います。

でも最初に登場した弁護士先生もUSA大山空手の同門なのでしょうか?
USA大山空手はNYのマンハッタン(ソーホー)に本部道場があることから
現地の日本人や留学生の稽古生も多いからおそらく彼もそうなのでしょう。
有名なところではレーガン大統領のご子息、ハリウッドスターのドルフ・ラングレン
歌手の尾崎豊も一時期稽古に来ていました。

写真は日米合同稽古後のスナップです。
大山茂総主、大山泰彦最高師範、三浦美幸首席師範(当時)と共に
ウィリー先生とはっちんが写っています。
何処にいるか分かるかな?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿