強い勢力を保ちながら日本列島に近づく台風4号は、今日の12時には足摺岬の南約210kmにあり、
北北東の方向へ毎時55kmで進んでいます。中心気圧は965hPa、中心付近の最大風速は35m/s。
すでに京都では午前中から激しい雨が降り、保津川の水位も徐々に上昇しております。
この調子で近畿に接近または上陸を果たすと、今後、河川増水も十分に予想されることから
流域並びに支流河川附近の方々は水位の変化に十分な注意をして頂きたく思います。
また、東シナ海上を北上する台風5号も日本列島をめざして進行中なので、ダブル台風に挟まれた
梅雨前線が著しく刺激される可能性もあり、今後の降り方がとても心配になってきました。
しかし、近年、自然の猛威は本当に凄まじいものがあります。
降れば豪雨で土砂崩れと洪水を招き、照れば40度の炎天下、寒くなると豪雪で機能マヒ、
吹けば竜巻がとぐろを巻く。そして、大地震で大地を激しく揺らし、海からは津波が。
そういう運命を背負った国といってしまえばそれまですが、近年における自然の暴れ具合は
本当に戦慄すら覚える激しいものとなっています。
そして、いつの時代も人間はこの自然の猛威の前にまるで無力です。
いくら近代科学文明が発達したところで、ひとたび自然が凄まじい勢いで牙をむけば
人はなすなすべのなく、逃げ惑うしかない。これは今も昔も変わることがない。
「いや、人はその英知で自然を一部制御することができたではないか」と主張される方もいると
思いますが、所詮、最低限の防御をしているに過ぎず、いわゆる想定外などと表現される
自然のパワーの前には微力な抵抗でしかなく、結局は安全といわれる、これまた自然が
つくり出した場所に逃げるしかない。
たしかに、自然という本質を生み出さない、間借り人である人間が、微力でも避難する人の
安全を確保できる科学技術を持ったことの偉大さは評価するとしても、やはり、自然の
大いなる力の前には、人間の英知を結集しても完全な制御はかなわず、役に立たないことを痛感させられます。
この自然は人間がつくり出したものではありません。人間も自然の一部ですが、人間自身も
人間がつくり出したものではありません。山も、川も、海も、空も、大地も人間が創造したもの
ではなく、また花や虫、動物などの、この世界に生きるすべての‘いのち’も
けして人間がつくり出したものではありません。
人間は、自然の恵みにより‘生かされている’存在であり、恵みがなくなれば、ひと時も
生きていくことができない存在であることも、また間違いのない事実なのです。
「太陽の光」や「水」そして「空気」という自然の中に当たり前に存在する世界の中で
人間をはじめ命あるもの全ては生きていくことができます。
この‘火’`水’‘風’の恵みこそ‘いのち’の根源であることに気づく。
この広大な自然なるものの働き、この事実を意識するだけでも、自然は人間の力を超えた
大いなる存在であることに容易に気づくはずです。
しかし悲しいかな、人間は恵みだけを享受していては、これが当たり前だと勘違いし
その恩恵をついつい忘れがちになるものです。
さらに、自らの英知のみを過信し、自然を我がものとして自由に利用できる考えてしまいます。
そして人は遂に「原子」の力さえ、自由自在に操れると科学技術を盲信し、人類を何度も
破局に向かわせるほどの力がある兵器すら手に入れてしまったのです。
人間が自らの科学技術に慢心し、自然を制御しようとすればするほど、自然は
さらにその技術を上回るほどの猛威を見せ、人に迫ってくるかのようです。
台風をはじめ時折、見せるこの自然の猛威は、私たち人間に謙虚になることを促し、
新たな価値観のもと、共生して生きていくことの必要性を教えてくれているのでは・・・
私はいつもそう感じるのです。
北北東の方向へ毎時55kmで進んでいます。中心気圧は965hPa、中心付近の最大風速は35m/s。
すでに京都では午前中から激しい雨が降り、保津川の水位も徐々に上昇しております。
この調子で近畿に接近または上陸を果たすと、今後、河川増水も十分に予想されることから
流域並びに支流河川附近の方々は水位の変化に十分な注意をして頂きたく思います。
また、東シナ海上を北上する台風5号も日本列島をめざして進行中なので、ダブル台風に挟まれた
梅雨前線が著しく刺激される可能性もあり、今後の降り方がとても心配になってきました。
しかし、近年、自然の猛威は本当に凄まじいものがあります。
降れば豪雨で土砂崩れと洪水を招き、照れば40度の炎天下、寒くなると豪雪で機能マヒ、
吹けば竜巻がとぐろを巻く。そして、大地震で大地を激しく揺らし、海からは津波が。
そういう運命を背負った国といってしまえばそれまですが、近年における自然の暴れ具合は
本当に戦慄すら覚える激しいものとなっています。
そして、いつの時代も人間はこの自然の猛威の前にまるで無力です。
いくら近代科学文明が発達したところで、ひとたび自然が凄まじい勢いで牙をむけば
人はなすなすべのなく、逃げ惑うしかない。これは今も昔も変わることがない。
「いや、人はその英知で自然を一部制御することができたではないか」と主張される方もいると
思いますが、所詮、最低限の防御をしているに過ぎず、いわゆる想定外などと表現される
自然のパワーの前には微力な抵抗でしかなく、結局は安全といわれる、これまた自然が
つくり出した場所に逃げるしかない。
たしかに、自然という本質を生み出さない、間借り人である人間が、微力でも避難する人の
安全を確保できる科学技術を持ったことの偉大さは評価するとしても、やはり、自然の
大いなる力の前には、人間の英知を結集しても完全な制御はかなわず、役に立たないことを痛感させられます。
この自然は人間がつくり出したものではありません。人間も自然の一部ですが、人間自身も
人間がつくり出したものではありません。山も、川も、海も、空も、大地も人間が創造したもの
ではなく、また花や虫、動物などの、この世界に生きるすべての‘いのち’も
けして人間がつくり出したものではありません。
人間は、自然の恵みにより‘生かされている’存在であり、恵みがなくなれば、ひと時も
生きていくことができない存在であることも、また間違いのない事実なのです。
「太陽の光」や「水」そして「空気」という自然の中に当たり前に存在する世界の中で
人間をはじめ命あるもの全ては生きていくことができます。
この‘火’`水’‘風’の恵みこそ‘いのち’の根源であることに気づく。
この広大な自然なるものの働き、この事実を意識するだけでも、自然は人間の力を超えた
大いなる存在であることに容易に気づくはずです。
しかし悲しいかな、人間は恵みだけを享受していては、これが当たり前だと勘違いし
その恩恵をついつい忘れがちになるものです。
さらに、自らの英知のみを過信し、自然を我がものとして自由に利用できる考えてしまいます。
そして人は遂に「原子」の力さえ、自由自在に操れると科学技術を盲信し、人類を何度も
破局に向かわせるほどの力がある兵器すら手に入れてしまったのです。
人間が自らの科学技術に慢心し、自然を制御しようとすればするほど、自然は
さらにその技術を上回るほどの猛威を見せ、人に迫ってくるかのようです。
台風をはじめ時折、見せるこの自然の猛威は、私たち人間に謙虚になることを促し、
新たな価値観のもと、共生して生きていくことの必要性を教えてくれているのでは・・・
私はいつもそう感じるのです。
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