人間の体は60%が水分でできているといいます。
水分つまり潤いほど、人間が生きていく上で必要なものはありません。
体力の水分が消耗されると、耐え難い‘渇き’に襲われる経験は、誰でもお持ちだと思います。
その体を甦らせるのが‘水’です。
でも、これは身体的な話だけではありません。
人の心にも水の潤いが必要なのです。
人は、庭の花や草、木がしおれていたら、迷わず水を与えるでしょう。
この行為は、水が枯れかかった草木を甦らせる力を持つと信じているからです。
しかし、これが人間だったらどうでしょう?しかも他人。
人間関係をつくるのが下手で、傷つき倒れそうな人、引きこもり、前を向けず、うずくまっている人、
懸命に生きているのに報われない人など。
これらの人々の様に、運命に翻弄され、自分の力では立ちあがれない弱い人に出会った時、
あなたはどの様に接しますか?
草木に水をあげるように、それらの人々の心に水を差し出し、潤いを与えることができるでしょうか?
事実は決してそうでない場合が多いのです。
わざわざ、その人の短所を指摘して、とがめ、自己責任と突き放すことも少なくない。
ひどくなると「こんなことになったのも、全部、あなたが悪い」と、今にも倒れそうな
弱っている者に、自身の性格や行動について、みんなして糾弾することすらあるのです。
自分の論理での正当性と正義という名のもとに。
そして行き着く先は、生きる力さえ奪うところまでいき、「やっぱり、弱い人間だったな」
などと言い、納得して論理は完璧なものとなります。
しかし、この世に絶対に正しい人間などいるはずはありません。
いいところもあれば悪いところもあるのが人間。当たり前にみんな両面を持っているものです。お互い様なのです。
なのに、悪いところばかりを指摘し、改善せよ、と迫る、この滑稽さよ。
そんなことにすら、気がつない、鈍感な感性しか持ち合わせていない人ばかり
の寄り合い所帯がこの世なら、いくら美しい言葉を並べても、お互いに相手を貶めあい、
最後は破滅へと向かうでしょう。
枯れかかった草花も、水という潤いを与えてやることで、生きるエネルギーを
蘇生させることを自然は教えてくれています。
そして、違いは違いとして受け入れ、共生しながら生きているからこそ、
それぞれの特性と役割を果たし、永遠に続いていくのです。
人にも水という潤いが必要です。
そんな潤いのある水を与えられる、そんな人間に私はなりたい。
マザーテレサはいいます。
「貧しい人たちを能無しと非難する前に、自分の心の中を見つめる義務が私たち一人ひとりにあります」と。
与えてください。心が痛むほどに・・・
水分つまり潤いほど、人間が生きていく上で必要なものはありません。
体力の水分が消耗されると、耐え難い‘渇き’に襲われる経験は、誰でもお持ちだと思います。
その体を甦らせるのが‘水’です。
でも、これは身体的な話だけではありません。
人の心にも水の潤いが必要なのです。
人は、庭の花や草、木がしおれていたら、迷わず水を与えるでしょう。
この行為は、水が枯れかかった草木を甦らせる力を持つと信じているからです。
しかし、これが人間だったらどうでしょう?しかも他人。
人間関係をつくるのが下手で、傷つき倒れそうな人、引きこもり、前を向けず、うずくまっている人、
懸命に生きているのに報われない人など。
これらの人々の様に、運命に翻弄され、自分の力では立ちあがれない弱い人に出会った時、
あなたはどの様に接しますか?
草木に水をあげるように、それらの人々の心に水を差し出し、潤いを与えることができるでしょうか?
事実は決してそうでない場合が多いのです。
わざわざ、その人の短所を指摘して、とがめ、自己責任と突き放すことも少なくない。
ひどくなると「こんなことになったのも、全部、あなたが悪い」と、今にも倒れそうな
弱っている者に、自身の性格や行動について、みんなして糾弾することすらあるのです。
自分の論理での正当性と正義という名のもとに。
そして行き着く先は、生きる力さえ奪うところまでいき、「やっぱり、弱い人間だったな」
などと言い、納得して論理は完璧なものとなります。
しかし、この世に絶対に正しい人間などいるはずはありません。
いいところもあれば悪いところもあるのが人間。当たり前にみんな両面を持っているものです。お互い様なのです。
なのに、悪いところばかりを指摘し、改善せよ、と迫る、この滑稽さよ。
そんなことにすら、気がつない、鈍感な感性しか持ち合わせていない人ばかり
の寄り合い所帯がこの世なら、いくら美しい言葉を並べても、お互いに相手を貶めあい、
最後は破滅へと向かうでしょう。
枯れかかった草花も、水という潤いを与えてやることで、生きるエネルギーを
蘇生させることを自然は教えてくれています。
そして、違いは違いとして受け入れ、共生しながら生きているからこそ、
それぞれの特性と役割を果たし、永遠に続いていくのです。
人にも水という潤いが必要です。
そんな潤いのある水を与えられる、そんな人間に私はなりたい。
マザーテレサはいいます。
「貧しい人たちを能無しと非難する前に、自分の心の中を見つめる義務が私たち一人ひとりにあります」と。
与えてください。心が痛むほどに・・・
このブログを読んでいただき、そんな気分に
なられたのなら、嬉しいがきりです。
この文章はややもすると、人との接し方の大切な
心を忘れがちになる自分への戒めとして書きました。
いつも、こんな気持ちで生きたいと思っています。
この blogを読んだおかげで わたしの心の水分量がUPしたような気がします。
なんだか からだが軽く感じます。
河川の お掃除など ありがとうございます。