<もうひとつの保津川水運・清滝川の筏>
京の都をつくった保津川(桂川)の筏流しは有名ですが、
支流・清滝川にも筏流しがあったことをご存じでしょうか?
拾遺都名所図会にも紹介されている清滝川筏。
その図には大木の一本丸太に乗る筏士が紹介されていますが、
本流にも劣らない12連筏が流れていたことを知る人は少ないのです。
清滝出身の我が家では、曽祖父のノートに
「交通不便なりし往時は、伐採せし材木は筏に組んで流せしものなり。
遠く小野郷迄もで出掛けて筏流しをした。
清滝の筏士はその技術の点で他村の筏士を圧倒していたいわれた。」と書いてあります。
また、私が取材した清滝川最後の筏士・渡邉幸雄氏からも、
清滝川筏の歴史と操縦術を伺いました。
桟敷ヶ岳から小野郷→中川→高雄→清滝→保津川→嵐山へと
愛宕山系の水を寄せて流れた「もうひとつの筏流し」
いつか紹介できる時が来ることを願っています。
京の都をつくった保津川(桂川)の筏流しは有名ですが、
支流・清滝川にも筏流しがあったことをご存じでしょうか?
拾遺都名所図会にも紹介されている清滝川筏。
その図には大木の一本丸太に乗る筏士が紹介されていますが、
本流にも劣らない12連筏が流れていたことを知る人は少ないのです。
清滝出身の我が家では、曽祖父のノートに
「交通不便なりし往時は、伐採せし材木は筏に組んで流せしものなり。
遠く小野郷迄もで出掛けて筏流しをした。
清滝の筏士はその技術の点で他村の筏士を圧倒していたいわれた。」と書いてあります。
また、私が取材した清滝川最後の筏士・渡邉幸雄氏からも、
清滝川筏の歴史と操縦術を伺いました。
桟敷ヶ岳から小野郷→中川→高雄→清滝→保津川→嵐山へと
愛宕山系の水を寄せて流れた「もうひとつの筏流し」
いつか紹介できる時が来ることを願っています。
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