以前、京都のFNラジオに出演した時、DJの方が驚き聞き返された事、
それは「保津川下りって400年も続いているのですか?」というものでした。
京都生まれのそのDJの方でも、保津川がそれほど歴史のある川下りである
ことをご存知ではなく、ただの観光業として始まったものとばかり思っていたそうです。
そういえば、船下りに来られるお客さんも以外にこの事をご存知ない
様子で、皆さん一様に驚かれることが多い様に感じていました。
はっちん達船頭にとっては常識であることでも
案外、皆さんご存知でないことが多いんだな~と気付かされます。
そこで今回から保津川の名所とその云われなどを
紹介し、改めて保津川の魅力に触れていただこうと思って
シリーズ保津川を下ろう!」というコーナーを企画しました。
ご覧になっている方の中でも、何か知っていることが
あれば、どしどし投稿してくださいね。
では保津川下りの歴史を簡単に紹介したいと思います。
先ず保津川下りの本名は「保津川遊船企業組合」といいます。
企業組合とは、船頭一人一人が権利金を組合に出資して、
共同で経営するという、日本でも珍しい組織なのです。
保津川の水運としての歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼります。
奈良・平城京から長岡京に都を遷都する時に、建築用の木材を
筏にして流したことが始まりといわれ、その後今の京都・平安京に
移す事業から盛んになったと伝えられています。
慶長11年(1606)に嵯峨の豪商・角倉了以によって、
今の遊船の前進である荷物船が、初めて保津川を流れました。
これは保津川水運の歴史の中での最も画期的な事業で、
明治時代に鉄道が開通するまで続けられたのです。
貨物列車にその仕事を奪われる形となった船事業でしたが、
その後観光船として姿を変え、生まれ変わり今日に至っています。
観光船として生まれ変った保津川下りでしたが、当時の時代背景も手伝って
その経営は一様に厳しかったらしく、村営から、運輸会社、鉄道会社へと
事業主体の買収が繰り返され、船頭達は苦難の変遷を辿らなければならなかったのです。
しかし大手資本に翻弄された苦い経験をした先輩船頭たちは
先祖代々受け継がれた操船技術だけを頼りに
船頭だけの自主運行に踏み切り、船仕事を自らの手に取り戻す勝負に出たのです。
自主運行には踏み切れたものの、当然、大手資本の妨害も予想され
厳しい船出となりましたが、先輩達の奉仕的な街頭宣伝・営業の
努力が実り、乗船者の増加を生み
新たに企業組合を立ち上げる事に成功したのでした。
これが今日まで保津川下りの歴史なのです。
次回からは保津川上流から順番に名所を案内し嵐山まで
下って行きたいと思っておりますので
乞うご期待!
それは「保津川下りって400年も続いているのですか?」というものでした。
京都生まれのそのDJの方でも、保津川がそれほど歴史のある川下りである
ことをご存知ではなく、ただの観光業として始まったものとばかり思っていたそうです。
そういえば、船下りに来られるお客さんも以外にこの事をご存知ない
様子で、皆さん一様に驚かれることが多い様に感じていました。
はっちん達船頭にとっては常識であることでも
案外、皆さんご存知でないことが多いんだな~と気付かされます。
そこで今回から保津川の名所とその云われなどを
紹介し、改めて保津川の魅力に触れていただこうと思って
シリーズ保津川を下ろう!」というコーナーを企画しました。
ご覧になっている方の中でも、何か知っていることが
あれば、どしどし投稿してくださいね。
では保津川下りの歴史を簡単に紹介したいと思います。
先ず保津川下りの本名は「保津川遊船企業組合」といいます。
企業組合とは、船頭一人一人が権利金を組合に出資して、
共同で経営するという、日本でも珍しい組織なのです。
保津川の水運としての歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼります。
奈良・平城京から長岡京に都を遷都する時に、建築用の木材を
筏にして流したことが始まりといわれ、その後今の京都・平安京に
移す事業から盛んになったと伝えられています。
慶長11年(1606)に嵯峨の豪商・角倉了以によって、
今の遊船の前進である荷物船が、初めて保津川を流れました。
これは保津川水運の歴史の中での最も画期的な事業で、
明治時代に鉄道が開通するまで続けられたのです。
貨物列車にその仕事を奪われる形となった船事業でしたが、
その後観光船として姿を変え、生まれ変わり今日に至っています。
観光船として生まれ変った保津川下りでしたが、当時の時代背景も手伝って
その経営は一様に厳しかったらしく、村営から、運輸会社、鉄道会社へと
事業主体の買収が繰り返され、船頭達は苦難の変遷を辿らなければならなかったのです。
しかし大手資本に翻弄された苦い経験をした先輩船頭たちは
先祖代々受け継がれた操船技術だけを頼りに
船頭だけの自主運行に踏み切り、船仕事を自らの手に取り戻す勝負に出たのです。
自主運行には踏み切れたものの、当然、大手資本の妨害も予想され
厳しい船出となりましたが、先輩達の奉仕的な街頭宣伝・営業の
努力が実り、乗船者の増加を生み
新たに企業組合を立ち上げる事に成功したのでした。
これが今日まで保津川下りの歴史なのです。
次回からは保津川上流から順番に名所を案内し嵐山まで
下って行きたいと思っておりますので
乞うご期待!
ご丁寧なメッセージを送っていただきありがとうございました。
来年の2月ですね。承知いたしました。
お待ちしております。
また、献花用に船の模型を作成して下さり、感謝申し上げます。みんな、喜ぶと思います。
お会いできる日を楽しみにしております。
困難な時世ですが、先人たちも幾度となく苦難を乗り越えて続けてきた舟下りですので、我々の世代のここ危機をしっかり乗り越えていきたいです。
これからもよろしくお願いいたします。
誇るべき企業組合ですね!
そんな事実を知って、改めて船に乗りたいと思います。
ただし、船頭に突っ込み入れて、イジメないであげてね!
おもしろいです。
PCの前に居ながらにして
噂の船頭 はっちんさんの素晴らしいガイドで
川下りが出来るなんて!!
どんな景色が目の前に広がるのかとても楽しみです。