保津川下りの船頭さん

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君は京都相撲を知っているか?

2017-09-08 11:54:46 | シリーズ・京都を歩く
昔、京都に「京都相撲」という興行があり、力士集団が存在したことを知る人は京都人でも少ないのではないでしょうか?

その歴史は古く、平安時代の宮廷行事だった「相撲節会」をそのルーツとします。
その後、寺社仏閣の修繕の費用を集める寄進を目的とした「勧進相撲」が京都の下神神社「糺の森(ただすのもり)」で
開かれると人気となり、頻繁に開かれ始め、相撲を生業(なりわい)とする職業的な力士集団が誕生しまいした。
今の番付となる力士の序列の仕組みもこの頃に作られ、三役が決められました。

江戸時代に入ると、さらに京都や江戸、大坂で都市の開発が進み、その資金調達のための「勧進相撲」興行が
盛んに開かれ、各地に職業的力士が生まれ、江戸、京都、大坂の相撲興行を渡り歩いていたそうです。

「船頭の村・保津」にも江戸時代の力士・嵐山仁兵衛が住んでいた跡が残っています。

江戸時代のアイドル的存在であった力士たちでしたが、維新後、天皇が江戸に遷られ、相撲の中心は東京へ一極集中します。

それにつられ、有望力士が東京、大阪へ流出したので、スター不在となった京都相撲は単独興行が難しくなっていきます。

さらに興行側に侠客が入り込み、やがて姿を消していきました。


京都相撲華やかなりし頃の力士が住んだ家の跡には、しこ名を刻んだ石碑がひっそり立ち、保津川の流れを見守っています。

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