小倉山麓に建つ二尊院は、天台宗の寺院で、
正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といいます。
創建は平安時代初期、嵯峨天皇の勅により慈覚大師が建立したと云われています。
鎌倉時代に法然の高弟だった湛空らが再興した後、応仁の乱で全焼した本堂を公家・三条西実隆が再建しました。
本尊の「発遣の釈迦」(人の誕生時に現れる)と「来迎の阿弥陀」(人の寿命が尽きるとき極楽浄土へ迎えに来る)
の二如来像を、伽藍で並び拝することから、二尊院の名前で呼ばれています。
総門から入り、参道をもみじの木々が覆っている風景は「紅葉の馬場」と呼ばれ、
紅葉の名所として知られています。
この総門は、慶長十八年(一六一三)に伏見城にあった薬医門を、
角倉了以によって移築・寄進されました。
山腹には角倉了以をはじめ角倉(吉田)一族の墓があり、保津川下りにも縁の深いお寺です。
また奥には百人一首ゆかりの藤原定家が営んだ時雨亭跡と伝わる場所もあり、平安時代から江戸時代まで、
景勝地・嵯峨の歴史変遷に思いを馳せることができるお寺です。
正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といいます。
創建は平安時代初期、嵯峨天皇の勅により慈覚大師が建立したと云われています。
鎌倉時代に法然の高弟だった湛空らが再興した後、応仁の乱で全焼した本堂を公家・三条西実隆が再建しました。
本尊の「発遣の釈迦」(人の誕生時に現れる)と「来迎の阿弥陀」(人の寿命が尽きるとき極楽浄土へ迎えに来る)
の二如来像を、伽藍で並び拝することから、二尊院の名前で呼ばれています。
総門から入り、参道をもみじの木々が覆っている風景は「紅葉の馬場」と呼ばれ、
紅葉の名所として知られています。
この総門は、慶長十八年(一六一三)に伏見城にあった薬医門を、
角倉了以によって移築・寄進されました。
山腹には角倉了以をはじめ角倉(吉田)一族の墓があり、保津川下りにも縁の深いお寺です。
また奥には百人一首ゆかりの藤原定家が営んだ時雨亭跡と伝わる場所もあり、平安時代から江戸時代まで、
景勝地・嵯峨の歴史変遷に思いを馳せることができるお寺です。
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