
京都の繁華街の中心、四条河原町の交差点を
約1kmほど南に下がると五条通りが通ってます。
その通りの東方に鴨川に架かる橋「五条大橋」があります。
片側2車線の大きな橋で、この五条通りも西国と関東を
結ぶ国の大動脈です。一部昔の東海道とも重なります。
この五条大橋こそ、平安の昔、牛若丸と弁慶が決闘した
ことで有名なあの「京の五条の橋」です。
もっとも今の五条大橋は後年、豊臣秀吉が架けたもので
平安の頃はすぐ上流に架かっている松原橋の位置に架けて
あったそうですので、厳密には今の橋ではないのですが、
名が残っているからなのでしょうか?
京都では五条の橋いえば今の橋をいうようです。
先日、NHK大河ドラマの「義経」で決闘の場面が
やっていたので、久しぶりに行ってきました。
はっちんがこの橋を徒歩で渡るのは二度目で、
幼き頃、母に連れられこの橋を渡った記憶があります。
母はこの橋の上で牛若丸と弁慶の話をしてくれました。
「都の人達に恐れられた弁慶というこわ~い荒法師が
夜な夜なこの橋に現れては、平家の人達などから
太刀を奪っていた。その数999本」
「その夜も千本目を奪おうと待っていました」
もうすっかり聞き込む幼きはっちん。
「そこへ牛若丸がやって来たのです」
「牛若丸は稚児姿の美しい少年で、笛を吹きながら
橋までやって来た。女の人の様な美しい牛若丸でしたが
鞍馬の山で天狗を相手に剣術の修行をしていたから
腕に覚えありです」
幼きはっちんにとって、牛若丸の登場シーンは
まさにヒーロのそれとすっかりかぶったのです。
「それでどちらが勝ったの?」
話の先を急かす幼きはっちん。
そこからは皆さんご存知の通り、弁慶の大なたを
するりとかわし、あちらと思えばばまたこちら
橋の欄干の上を飛び交わす飛燕の早業で弁慶は降参したのです。
話を聞き終わっ時「この欄干に立ったのか~すげ~な」と
感心して大きな欄干を見上げたことを覚えています。
今、その同じ欄干と再会してきました。
しかも同じ目線に立って。
その目線を静かに閉じると、遠い日の親子の
姿が明々と浮かんできます。
感慨深くって、しばらくその記憶に浸ってしまいした。
本当に年月の経つのは早いものです。
もう、「欄干の上に立った」など信じることも
出来なくなった自分に少し寂しい気分です。
幼きはっちんのヒーロだった「牛若丸」も
後に学校の歴史の時間に「源義経」として
学び、学術的という名で検証され
その実像を知識として知るに至りました。
弁慶との出会いや五条の橋の決闘の内容も
史実的には?が付くといわれ、幼き頃の夢も
覚めてしまいましたが、兄頼朝に追われ、落ちていく
義経と最後まで離れることなくお供した弁慶。
その男気の事実だけは、はっちんの胸を今も熱くしてくれるのです。
*写真は五条大橋の西詰めにある「牛若丸と弁慶」の石像です。
橋のシンボルとして、今から40年ほど前に造られたものだそうです。
約1kmほど南に下がると五条通りが通ってます。
その通りの東方に鴨川に架かる橋「五条大橋」があります。
片側2車線の大きな橋で、この五条通りも西国と関東を
結ぶ国の大動脈です。一部昔の東海道とも重なります。
この五条大橋こそ、平安の昔、牛若丸と弁慶が決闘した
ことで有名なあの「京の五条の橋」です。
もっとも今の五条大橋は後年、豊臣秀吉が架けたもので
平安の頃はすぐ上流に架かっている松原橋の位置に架けて
あったそうですので、厳密には今の橋ではないのですが、
名が残っているからなのでしょうか?
京都では五条の橋いえば今の橋をいうようです。
先日、NHK大河ドラマの「義経」で決闘の場面が
やっていたので、久しぶりに行ってきました。
はっちんがこの橋を徒歩で渡るのは二度目で、
幼き頃、母に連れられこの橋を渡った記憶があります。
母はこの橋の上で牛若丸と弁慶の話をしてくれました。
「都の人達に恐れられた弁慶というこわ~い荒法師が
夜な夜なこの橋に現れては、平家の人達などから
太刀を奪っていた。その数999本」
「その夜も千本目を奪おうと待っていました」
もうすっかり聞き込む幼きはっちん。
「そこへ牛若丸がやって来たのです」
「牛若丸は稚児姿の美しい少年で、笛を吹きながら
橋までやって来た。女の人の様な美しい牛若丸でしたが
鞍馬の山で天狗を相手に剣術の修行をしていたから
腕に覚えありです」
幼きはっちんにとって、牛若丸の登場シーンは
まさにヒーロのそれとすっかりかぶったのです。
「それでどちらが勝ったの?」
話の先を急かす幼きはっちん。
そこからは皆さんご存知の通り、弁慶の大なたを
するりとかわし、あちらと思えばばまたこちら
橋の欄干の上を飛び交わす飛燕の早業で弁慶は降参したのです。
話を聞き終わっ時「この欄干に立ったのか~すげ~な」と
感心して大きな欄干を見上げたことを覚えています。
今、その同じ欄干と再会してきました。
しかも同じ目線に立って。
その目線を静かに閉じると、遠い日の親子の
姿が明々と浮かんできます。
感慨深くって、しばらくその記憶に浸ってしまいした。
本当に年月の経つのは早いものです。
もう、「欄干の上に立った」など信じることも
出来なくなった自分に少し寂しい気分です。
幼きはっちんのヒーロだった「牛若丸」も
後に学校の歴史の時間に「源義経」として
学び、学術的という名で検証され
その実像を知識として知るに至りました。
弁慶との出会いや五条の橋の決闘の内容も
史実的には?が付くといわれ、幼き頃の夢も
覚めてしまいましたが、兄頼朝に追われ、落ちていく
義経と最後まで離れることなくお供した弁慶。
その男気の事実だけは、はっちんの胸を今も熱くしてくれるのです。
*写真は五条大橋の西詰めにある「牛若丸と弁慶」の石像です。
橋のシンボルとして、今から40年ほど前に造られたものだそうです。
しかし私ももう結構いいお年・・・
素直におとぎ話を信じられなくなった自分が少し哀しいこの頃です。
例えば、姿形は美少女のような牛若丸、しかし天狗の相手をしていたから、凄く強い!
しかしここで疑問が!
じゃあ牛若丸には筋肉がなかったのか?いやいや、彼は素晴らしい肉体を持っていたはず!そんなんで少女に間違われるか?
こんな可愛げない考えをしてしまう私は、もうロマンを感じる心がなくなってしまったのか!
人間年はとりたくないものです。もっと素直に感じたい・・・。今回の『義経』は心のままに感動しようと考えるめいでした。
でもはっちんの中では、牛若丸は美少年だったと思っておきます。一の谷の高さ200mもある断崖絶壁からの奇襲攻撃、壇ノ浦での船から船へ跳び移った8そう跳びなどのを考えるとやはりスーマートな人だったのではないか?と思うのですけどどうでしょうか?やっぱり英雄は美男子でなくてはロマンがないでしょう。そうゆことにしておきます。
自分はただ観光に来られたお客様に、少しでも楽し安らぐ時間や癒されて頂くことのお手伝いをさせてもらえればと頑張るだけです。
原田さんこそ、映画の都・京都で時代劇という日本の伝統芸能を受け継ぐ本格派の俳優さんとして活躍されることを期待しております
自分は観光業で、原田さんは芸能界でたくさんの人達に夢やロマンを感じてもらえるようがんばりましょうね。