ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2018-21 ノーベル平和賞はICAN、なぜ日本の被爆団体でなかったのか?

2018年01月31日 | 日記
今日の22時過ぎ
寒空の中、赤胴色の皆既月食がみられた。3年ぶりとか
冬の大三角、カシオペア、北斗七星等天空を仰いだ。
寒くて数分で室内に入ったが。

今国会での論争で
核兵器禁止条約に唯一の戦争被爆国の日本が真っ先に署名するべきなのに
なぜしないのかという野党の質問に対して
アメリカの傘下での核抑止力か非核抑止力かのスタンスの違いから署名できないとの政府答弁だった。

それらの答弁をTVでみながら
ノーベル平和賞について感じたことがあった。

昨年核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にノーベル平和賞が授与された。
その際の広島で被爆されたサ―ロ節子さんの演説は心打つものであった。

岩手にも軍の仕事の関係者などで広島で被爆された方が現在30数人いらっしゃる。
その岩手県被爆団体協議会の齊藤政一名誉会長が94歳と高齢に関わらずオスロの式典に参加されている。

平和団体のノーベル平和賞は大変喜ばしいことである。

しかし日本人として同じノーベル平和賞なら
なぜ日本の被爆団体に与えられなかったのだろう。と疑問を感じたものである。
72年間、平和活動を率先して行っいるのに。


それとも国の方針と一致していないからなのだろうか。

ICANの世界を動かす影響力が評価されたためなのだろうか。



コメント
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