岩手地域総合研究所主催の学習会があった。講師は岩手大学の准教授K氏。
始めに9世紀から13世紀のモンゴルのジンギスカンの侵入も含めて
18世紀まで大まかになぞらえた。
今の紛争地帯は遊牧民・農耕民族の世界で河川と黒海を用いた交易ルートが交差した地域であった。
その地域はキリスト教圏とイスラム教圏との境界の場所。境界線もはっきりせず曖昧なままだった。
近世はウクライナやベラルーシは地域名称でロシア史の中であまり重要でなかったらしい。
さてウクライナのシンボルのコサックは
16世紀各国の実効支配の及ばない辺境に出現した武装した自由の民であった。
その後、ポーランドでは軍役と引き換えに国から俸給や貴族特権を得るなど特権層と非特権コサックと
コサック内部の階層差が拡大されていくのであった。
17世紀、ドニエプル川をはさんで左岸とキエフがロシア領、キエフを除く右岸がポーランド
東南部がコサックの自治区ヘトマン国家へ。
その後ピョートル大帝あたりからロシアが拡大して大国になりウクライナは組み込まれて小ロシアへ。
これが18世紀まで続くのだった。
19世紀に入るとナポレオンのロシア侵攻で結局ナポレオンは敗走するのだが
ヨーロッパに民族独立運動を引き起こす。ウクライナもしかり。
大きく変わったのは1917年のロシア革命後だった。(続く。)
始めに9世紀から13世紀のモンゴルのジンギスカンの侵入も含めて
18世紀まで大まかになぞらえた。
今の紛争地帯は遊牧民・農耕民族の世界で河川と黒海を用いた交易ルートが交差した地域であった。
その地域はキリスト教圏とイスラム教圏との境界の場所。境界線もはっきりせず曖昧なままだった。
近世はウクライナやベラルーシは地域名称でロシア史の中であまり重要でなかったらしい。
さてウクライナのシンボルのコサックは
16世紀各国の実効支配の及ばない辺境に出現した武装した自由の民であった。
その後、ポーランドでは軍役と引き換えに国から俸給や貴族特権を得るなど特権層と非特権コサックと
コサック内部の階層差が拡大されていくのであった。
17世紀、ドニエプル川をはさんで左岸とキエフがロシア領、キエフを除く右岸がポーランド
東南部がコサックの自治区ヘトマン国家へ。
その後ピョートル大帝あたりからロシアが拡大して大国になりウクライナは組み込まれて小ロシアへ。
これが18世紀まで続くのだった。
19世紀に入るとナポレオンのロシア侵攻で結局ナポレオンは敗走するのだが
ヨーロッパに民族独立運動を引き起こす。ウクライナもしかり。
大きく変わったのは1917年のロシア革命後だった。(続く。)