田中館愛橘没後70年を記念して愛橘の半生を描いた演劇が公開された。
田中館愛橘は1856年生まれで同級生が原敬総理大臣、佐藤昌介初代北大総長、と
花の安政3年生まれとして知られている。
今の二戸市生まれで愛橘の會祖母は南部の「赤穂浪士」ともてはやされた
相馬大作の実姉である。藩士の息子で地球物理学者、帝国大学名誉教授など
今回は原敬と愛橘の親交が丁寧に描かれていた。
少年期、藩校「作人館」で学び、原は田中館愛を「ダテ君」と呼び合う仲だったようだ。
お互い、上京して愛橘は帝国大学に進学。ここで物理学を学ぶ。
恩師は元白虎隊の山川健次郎で帝国大学総長。
物理学者として世界を駆け回り、「2番目の月」と呼ばれた田中館愛橘。
日本式ローマ字やメートル法の普及や地震対策などに尽力を尽くした。
メートル法の導入当時、日本古来の尺貫法とどう折り合いをつけ社会を混乱させない
で浸透させるか当時の様子が再現され苦心した愛橘がよく伝わってきた。
原敬とフランスで交流した様子も加味されていた。また海軍大臣として米内光政まで登場していた。
原敬が65歳で暗殺された時の愛橘は
「声もなく 死におくれて 冬のせみ」と落胆した様子を残している。
それから30年後愛橘は亡くなる。
教え子は本田光太郎、寺田寅彦、木村栄など優秀な人材がおり
種まき翁とも呼ばれていたと。
郷土の偉人がところどころにちりばめられ
それらを1時間強のドラマと歌で仕上げた脚本と演出、
音楽など効果的で見応えがあった。
田中館愛橘は1856年生まれで同級生が原敬総理大臣、佐藤昌介初代北大総長、と
花の安政3年生まれとして知られている。
今の二戸市生まれで愛橘の會祖母は南部の「赤穂浪士」ともてはやされた
相馬大作の実姉である。藩士の息子で地球物理学者、帝国大学名誉教授など
今回は原敬と愛橘の親交が丁寧に描かれていた。
少年期、藩校「作人館」で学び、原は田中館愛を「ダテ君」と呼び合う仲だったようだ。
お互い、上京して愛橘は帝国大学に進学。ここで物理学を学ぶ。
恩師は元白虎隊の山川健次郎で帝国大学総長。
物理学者として世界を駆け回り、「2番目の月」と呼ばれた田中館愛橘。
日本式ローマ字やメートル法の普及や地震対策などに尽力を尽くした。
メートル法の導入当時、日本古来の尺貫法とどう折り合いをつけ社会を混乱させない
で浸透させるか当時の様子が再現され苦心した愛橘がよく伝わってきた。
原敬とフランスで交流した様子も加味されていた。また海軍大臣として米内光政まで登場していた。
原敬が65歳で暗殺された時の愛橘は
「声もなく 死におくれて 冬のせみ」と落胆した様子を残している。
それから30年後愛橘は亡くなる。
教え子は本田光太郎、寺田寅彦、木村栄など優秀な人材がおり
種まき翁とも呼ばれていたと。
郷土の偉人がところどころにちりばめられ
それらを1時間強のドラマと歌で仕上げた脚本と演出、
音楽など効果的で見応えがあった。