ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2023-17 ウクライナ・ロシア・ポーランド歴史的関係no2

2023年01月23日 | 日記
ウクライナ民族を皮肉にもレーニンが承認したといわれるのが1917年のロシア革命だった。
革命後、ソビエト連邦1922~1991)がつくられた。ロシアをはじめ15の社会主義共和国で構成されている。
ウクライナもその1つであった。
つまり連邦でありウクライナを国家と認めているのである。
ソビエトは土着化・現地化政策をとりウクライナ語、ウクライナ文学・歴史
ウクライナ正教を承認していた。
しかし、1932^1933年、ウクライナに大飢饉が襲い、400万から600万人が犠牲に。
当時31年に不作そのため、供給拒否。翌年強制的調達され、飢饉に。穀倉地帯を中心に餓死者が。
当時の人口が4千から5千万人で15パーセントが犠牲になったのであった。
ウクライナにとっては飢餓殺人ホロドモールといわれる。
現代これは天候不順だが人為的要因大、つまりソ連指導部の責任が大きいといわれる。
二次大戦ではウクライナはナチスをソ連の解放者として協力しユダヤ人虐殺に加担した人もいれば
或いはソ連兵士として参戦したのが200万人と様々だった。民族性の区別の難しさが見られる。

そして戦後のウクライナへ。
それから45年後
 経済の行きづまりなどのソビエト連邦をゴルバチョフはペレストロイカで改革。
そしてソビエト連邦は解体される。1991年
ポーランドにはウクライナの民主化を支援し、そしてウクライナは独立し91年に国連に加盟する。
ポーランドにとってウクライナは未熟な国でポーランドは民主化を先行させた国でもあった。

それから30年後。ウクライナへロシアが侵攻するのだ。
この辺りからはTVなどで、詳しい説明がなされているようだ。


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