ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2012-86 終戦記念日 語り継ぎたい戦争の記録

2012年08月15日 | 日記
 国語イン盛岡の続きは後日。

 今日は終戦記念日
 テレビではなぜかNHKの1本のみ。
 風化を感じさせる一瞬。

 県立図書館のホールで小さな展示会が開催されていた。
「若き農民の兵士の声」と称した
北上平和祈念展示館のものが展示されていた。

イン盛岡での休憩タイムでのこと。
なにげなくみていたら
大変貴重な資料であることに気付かされた。

7000通の軍事郵便の一部。多くは農民である。
特に感心させられたのは運営方法である。
地元の人たちで運営されているそうだ。
場所は和賀のある公民館。

戦争を理解する上で学校の見学学習もあるとか。(朝日新聞より)

沖縄の平和学習で伊江島を訪れた。
ここにも戦争記念館があった。
当時の方の話等ききながら
次第と風化していること。
そしてなによりこの記念館の運営の厳しさを肌で感じたものだった。

せっかくの資料が埋もれたままのものが
数多くみられた。
行政の助けが必要である。
隣には立派な公民館がたっていた。

公民館活用の在り方で
沖縄と岩手を比べながら
この小さな和賀の記念館にいつかいってみたい気になった。

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2012-85 しばし休憩。ゴルフで息抜き。

2012年08月15日 | 日記

 昨日は盆最中ながら、東京にいる旧友と近くのHゴルフ場でゴルフ。
夜中の雨のせいでグリーンはほどよい湿り気。
パターが午前はまあまあ決まった。

ウッド、アイアンはフック気味だがまあまあ、
ボギーが2つ。池ポチャ1つ。
真にあたった爽快感、8mパターが入った感激。

午後17番ホールでバンカーにはまった。
うっては戻ってまた打って。なかなか抜け出せない。
終わってみればスコア120台。今年度初ゴルフとしてはまあまあか。
ちなみにつれあいはスコア83。
30代に始めたゴルフ、スタートだけは自分の方が長いのだが。

友人がゴルフ場まで数十分なんてと。
むこうはつくまでに3,4時間
練習場も30分まちとか。うらやましいの連発。

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2012-84 単元学習は追求が多方面のプロジェクト型である。

2012年08月14日 | 日記
オリンピックの閉会式。
まるでスポーツの閉会と思えない一つのショウをみるような表現力。
あれから一夜あけ、静かな朝ですね。

さてイン盛岡にて
佐藤学氏は照れ症。しかし、鋭い舌鋒。

彼は学びの共同体をめざし学校改革に着手。
1000以上の学校訪問をし改革をめざし助言をする。
かっつて私自身、神奈川の浜之郷小学校の公開に参加した時のこと、

そこは予想以上であった。
物校長の故、大瀬校長とスクラムくんで
学校改革。現場主義。授業中心。

かの大瀬校長は病をおしながら
「命の授業」をする。授業を参観。山のような人だかり。
大変教育と真摯に向き合い、しぬまで子どもを見守り、
最後まで授業をしたいとおっしゃっていた。

 何度も何度もくりかえし他学級でし
 全体研究授業をするようなシステム廃止。
 もちろん形式的指導案は廃止。
 生きた子ども中心の発想。何をどのように教え
 子どもをどう見取るか。
 教師の想いを書きこむ形式にこだわらない
 1枚の案を用意し参観者に問う。

 授業中心で、年3回授業を一人公開。
 このような学校システムを作った。失敗も数多かったと。
 理想を追求して全国行脚してきた佐藤学氏。

 その彼がイン盛岡でいったこと。
 単元学習はプログラム型でなく、プロジェクト型であると。
(続く)
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2012-83 続 パネラーの意見 佐藤学氏、メデイア批判

2012年08月12日 | 日記
 佐藤学氏
全ての教科に当てはまるか
否である。
特に国語の文学作品には適していない。

文学詩歌は言語芸術である。
課題解決型より丸ごと学ぶ方法がふさわしい。
気持ち問わない。丸ごと味わうべきなのだ。

甲斐氏
なるほど大村はまは、国語で文学作品をとり扱っていない。

学氏続く

単元学習ははいまわる授業の危険性がある。
教科内容の追求でどういう力をつけるのか。

教科書は50年残るものにしてほしい。
工藤直子とまどみちお
どちらが文学と呼べるか

工藤直子の作品は商業コピーである。
詩ではない。
巷に氾濫しているわけであり
教科書には載せなくていいのではないか
メデイアにどっぷり子どもも教師も浸りすぎである。
言葉の真実豊かさを鍛える必要がある。
文体の教育も弱い。
豊かな言語能力を鍛える必要がある。
学氏は、このテーマより広いテーマで話をしたかったようでした。
神奈川の茅ヶ崎小学校までいって実際の授業をみ、学氏の「学びの共同体」を読み実践に感銘をうけていたので
イン盛岡に来ることが信じられない思いでした。案の定このテーマでは物足りないように感じ取れました。



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2012-82 大村はまの単元学習について3氏が切る。

2012年08月11日 | 日記
 国語in盛岡にて

佐藤学氏、
単元学習とは近代化の産物である。
今や単元学習は世界では死語になっている。
単元学習の功罪は
問題解決学習として社会、理科で単元学習されているが
全てに当てはまるかは疑問に思う。

甲斐氏
大村はまの実践は、
昭和43年、44年当時中学では、国語は525時間小学⑤⑥年は490時間あった。
今は中学385時間 小学校は350時間である。
どうふりわけるか
はま氏は「いきいきと話す」に対して具体的なイメージをもって
単元を構造化している。はっきりとしたビジョンを持っている。

阿部氏
戦後の授業に功績があった。
子ども主体、探求型、そして教科書を絶対化しない部分優れていた。
しかし身につけるべき国語の力を解明できていない。
それは約150年間の国語の弱さでもある。

このように焦点をしぼって4ラウンドそして会場からと続いたのであった。
(続く)




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