何度もご紹介している朝日新聞のyomiDr.の高野先生のコラム。最新号にまた唸ってしまったので、以下、転載させて頂く。とても長文なのでエッセンスだけご紹介しようかと思ったが、どこも省略出来ず、全文である。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室(2013年11月11日)
近藤誠さんの主張を考える
2013年ベストセラーの上位には、こんな本がランクインしています。
「医者に殺されない47の心得」(アスコム)
著者の近藤誠さんは、放射線治療を専門とする医師で、1996年に、「患者よ、がんと闘うな」(文藝春秋)という本を出して話題を呼んで以来、抗がん剤を否定する主張を展開しています。最近では、「抗がん剤は効かない」(同)や、「がん放置療法のすすめ―患者150人の証言」(文春新書)といった本も出していて、いずれもよく読まれています。
近藤さんと私は、世代も、がん診療についての考え方も、かけ離れていますが、学生時代にボート部に所属していたこと、放射線科の医局に属して主に乳がん診療に取り組んできたことなどの共通点があり、それなりの親近感を持っていました。
私が医者となって間もない頃(12年ほど前)には、患者団体の会報やシンポジウムなどで、近藤さんと論争を繰り広げたこともありますが、若造相手でも、きちんと話を聞き、真剣に議論しようという姿勢には好感が持てました。この頃は、「患者さんの幸福を第一に考える」という思いは共通していたように思います。
ただ、最近の近藤さんの主張は、いきすぎているように感じます。医療界からの反発を浴び続ける中で、原理主義のように、極端な考え方に突き進んでいるようです。批判的な主張に対しては、揚げ足をとるような反論ばかりして、本質的なところは取り合おうとはせず、生産的な議論を避けているように見えます。
ベストセラー本と患者の戸惑い
近藤さんの主張は次のようなものです。
•抗がん剤に延命効果はない
•抗がん剤に延命効果があるというエビデンス(臨床試験の結果)があっても、それは、腫瘍内科医が人為的操作を加 えたものなので、信用してはいけない
•がんの治療は命を縮める(医者に殺される)だけなので、治療は受けずに放置するのがよい
これらの主張をそのまま信じてしまう人は、必ずしも多くはないと思いますが、近藤さんの本を読む患者さんは、それなりの戸惑いを感じるはずですし、実際、医療現場では、混乱が生じています。
「抗がん剤が効かないって本当ですか?」「がん放置療法をやってもらえませんか?」という言葉は、何度も聞きました。
「家族(友人)から、抗がん剤なんてやってちゃダメだと言われて、困ってるんです」という悩みを聞いたこともありますし、「近藤さんの本を読んで、病院に行かなくなった知人がいます。家族の説得にも耳を貸さないみたいです」なんていう話もありました。
近藤さんの本がベストセラーになっている背景には、現在のがん医療への不信感があるのも確かで、近藤さんの主張の誤りを指摘するだけでは、患者さんの混乱は解消しないでしょう。
ここでは、近藤さんの主張の問題点を指摘しつつ、私たちに足りていなかったことも反省し、より生産的に、がん医療との向き合い方を考えたいと思います。
抗がん剤は「絶対ダメ」?
近藤さんの主張に対しては、次の4つの疑問が浮かびます。
(1)「抗がん剤は絶対ダメ」というのは思考停止では?
(2)これって「エビデンスに基づく医療(EBM)」?
(3)刺激の強い言葉で患者さんの不安を煽っているだけ?
(4)そもそも、「抗がん剤が効く」ってどういうこと?
今回は、(1)について考えます。次回以降は、(2)~(4)を取り上げながら、これまでの連載で論じてきたことを振り返り、「(近藤さんの本を読んでも)冷静にがんと向き合うためのコツ」を考えたいと思います。
抗がん剤について、近藤さんは、「絶対ダメ」と否定します。ここが、近藤さんの出発点であり、基本的原理ですので、その原理に反することは、ことごとく否定します(こういう姿勢を、「原理主義」と言います)。
抗がん剤の有効性を示すエビデンスがあっても、近藤さんは、エビデンスが間違っていると主張しますので、誰かが、エビデンスに基づいて反論しても、議論がかみ合うことはありません。
「抗がん剤は絶対ダメ」というのが結論で、それ以上は思考停止してしまっているようです。近藤さんの主張に共感する患者さんは、「抗がん剤についてこれ以上考えなくてよい」という部分に惹かれて、近藤さんと同じように、思考を停止してしまっているのかもしれません。
近藤さんに言わせると、私のような「腫瘍内科医」は、「抗がん剤ワールドの住人」という悪者です。患者さんがどうなろうと、製薬業界や自分自身の利益のためだけに抗がん剤を使いまくる存在のようです。
「抗がん剤」と「腫瘍内科医」を悪者とする「善悪二元論」が徹底していますね。
でも、腫瘍内科医の実像はだいぶ違います。腫瘍内科医は、「抗がん剤」の専門家ですが、「抗がん剤を使いまくる」ことはありません。抗がん剤のいい点も悪い点もよく知っているからこそ、「抗がん剤を使うか使わないかを適切に判断すること」にこだわります。
使うかどうか、適切な判断こそ重要
私の診察室には、いろんな患者さんが来られます。「とにかく、なんでもいいので、抗がん剤を使ってください」と訴える患者さんもいれば、前回紹介したUさんのように、「何があっても、抗がん剤治療は受けません」と言う患者さんもいます。
腫瘍内科医は、そんな患者さんの思いに耳を傾けつつ、患者さんにとってマイナスに働く可能性が高ければ、抗がん剤をやめることをお勧めし、プラスに働く可能性が高ければ、抗がん剤治療を受けることをお勧めします。
プラスやマイナスというのは、言葉で言うのは簡単ですが、実際には、リスクとベネフィットの微妙なバランスから導かれるものであり、「何のために治療をするのか」によって、その方向性は違ったものになりますし、患者さんの価値観によって、プラスやマイナスの受け止め方も様々です。
とにかく、患者さんやご家族とじっくり話し合い、納得できる方針を決めることが重要です。病状によっては、ギリギリの判断を迫られることもあるわけですが、そんな状況でも、患者さんにとって最善の治療方針を考えるのが、腫瘍内科医の仕事です。
「抗がん剤は絶対ダメ」とか、「抗がん剤は絶対やらなきゃダメ」と思いこんで、それ以上の思考を停止してしまうのではなく、治療目標をよく考え、リスクとベネフィットのバランスを慎重に考え、抗がん剤を使うかどうかを適切に判断することが重要なのだと思います。
「抗がん剤をやるかやらないか」という線引きが、重視されすぎているような気もします。抗がん剤にこそ希望があって、抗がん剤をあきらめたら絶望しかない、と思い込んでいる患者さんも多いようです。抗がん剤をやるかやらないかで運命が変わるというイメージです。こういうイメージが蔓延しているからこそ、その線引きにズバッと斬りこんだ近藤さんの本がベストセラーになったのかもしれません。
どう病気と向き合い、どう生きるか
でも、本当に重要なのは、「抗がん剤をやるかやらないか」ではなく、「どのように病気と向き合い、どのように生きていくか」ということです。そこをきちんと考えて、抗がん剤をやった方がよいと思うならやればいいし、やらない方がよいと思うならやらなければいいわけです。
私の診察室にやってくる進行がんの患者さんの中には、抗がん剤治療をしていない方もたくさんおられます。近藤さん風に言えば、「がん放置療法」をしているということになるかもしれません。でも、そういう患者さんも、抗がん剤治療を続けている患者さんも、それぞれの人生を歩んでいる点に違いはなく、私の方で、特に区別して接するようなことはありません。抗がん剤を使っていても使っていなくても、みんな、私の大事な患者さんであって、「放置」しているなんて考えたことはありません。
抗がん剤についてはともかく、「どのように生きていくか」についての思考は停止しないようにしたいものです。
(転載終了)※ ※ ※
近藤誠先生の本「患者よ、がんと闘うな」は、初発の病気休暇中、がんに関する本を手当たり次第読んだ時に拝読したし、それ以降も先生の著作は何冊も読んでいる。最近では「どうせ死ぬなら『がん』がいい」や「『余命3カ月』のウソ」等も読ませて頂いた。
初発の術後、ナースステーションで夫とともに当時の主治医であるS先生から病理検査の結果を聞いた時、「ごく早期で(リンパ節転移もないし)低リスクだから術後の抗がん剤は必要ない」と言われ、肩の力が抜け、本当にほっとしたのを今もリアルに覚えている。
まあ、結果として3年経たずして再発したけれど、冷静に考えてみると、その後数年にわたる抗がん剤治療を行っていなければ、今まで延命は出来なかっただろう、と思う。
けれど、先日も書いたように、この後、最後の瞬間までずっと抗がん剤に振り回され続けてヨレヨレになって人生を終わりたいとは思っていない。
抗がん剤が延命してくれる期間と抗がん剤により逆に命を縮めてしまう期間には、必ず分岐点があるように思う(これは朝日新聞の医療サイト・あぴたるに連載中のコラム「町医者だから言いたい」で長尾和宏先生も書いておられる。)のだ。
だから、出来れば自分の体の声を信じて、いいとこどりを出来るように(限りなく目一杯、治療により延命の恩恵を被るとともに、出来る限り治療による縮命を避けるタイミングを)見極めたい、と思う。
そう、どのように生きていくか、どう自分らしい人生を送っていくか、は人として生きている限り一生の課題だろう。
何事にも絶対はない、と先日、同じくyomiDr.連載中の緩和医療医・大津秀一先生のコラムを紹介したときにも書いたけれど、今回もこのことを強く思う。
人はついつい“絶対”を求めようとしてしまうけれど、そもそも絶対など、ない。“絶対”を求めようとすると、必ずどん詰まる。
だから、絶対は、ないということ、想定していないことも重々ありうるということを常に頭におきたい。そして、自分にとって出来れば起きてほしくないこと、あってほしくないことが起こった時も、嬉しくないけれどこれまた想定内なのだ、と落ち着いて、その都度その都度、うまく微調整して方向転換をしながら、自分なりに折り合いをつけて、その時その時のベストの選択をしていきたいと思う。
最悪のことが起こることを念頭に置き、(絶対は無理だけれど)それを回避するために、次なる策を用意しておく、あるいは起きたら微調整してことに当たる。
考えてみれば、仕事を進めていくうえでもそれと同じことをしているではないか。要はいつもの通りに対処する、ということなのだ。
そう、私の主治医である腫瘍内科医のA先生も高野先生がおっしゃるとおりの方だ。「抗がん剤」の専門家だけれど、決して「抗がん剤を使いまくる」ようなことはしない。穏やかに、そしてはっきりと「抗がん剤を使う期間は、短ければ短いほどいいのです。」とおっしゃる。
そして今も私の希望に耳を傾け、出来るだけホルモン治療と分子標的薬の併用期間を粘り、毎月丁寧に経過観察しながら次の抗がん剤へのチェンジを辛抱強く待ってくださっている。
私がこの病気と少しでも長く共存していく上で、「なんでもいいから抗がん剤を」はあり得ないし、「何があっても抗がん剤は嫌」もあり得ない。
うまくバランスを取りながら、いいとこどり、すなわちリスクは出来るだけ小さく、ベネフィットは出来るだけ大きく。これが一番ではないだろうか。抗がん剤で思考停止してしまうなんて、あまりにもったいないではないか。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室(2013年11月11日)
近藤誠さんの主張を考える
2013年ベストセラーの上位には、こんな本がランクインしています。
「医者に殺されない47の心得」(アスコム)
著者の近藤誠さんは、放射線治療を専門とする医師で、1996年に、「患者よ、がんと闘うな」(文藝春秋)という本を出して話題を呼んで以来、抗がん剤を否定する主張を展開しています。最近では、「抗がん剤は効かない」(同)や、「がん放置療法のすすめ―患者150人の証言」(文春新書)といった本も出していて、いずれもよく読まれています。
近藤さんと私は、世代も、がん診療についての考え方も、かけ離れていますが、学生時代にボート部に所属していたこと、放射線科の医局に属して主に乳がん診療に取り組んできたことなどの共通点があり、それなりの親近感を持っていました。
私が医者となって間もない頃(12年ほど前)には、患者団体の会報やシンポジウムなどで、近藤さんと論争を繰り広げたこともありますが、若造相手でも、きちんと話を聞き、真剣に議論しようという姿勢には好感が持てました。この頃は、「患者さんの幸福を第一に考える」という思いは共通していたように思います。
ただ、最近の近藤さんの主張は、いきすぎているように感じます。医療界からの反発を浴び続ける中で、原理主義のように、極端な考え方に突き進んでいるようです。批判的な主張に対しては、揚げ足をとるような反論ばかりして、本質的なところは取り合おうとはせず、生産的な議論を避けているように見えます。
ベストセラー本と患者の戸惑い
近藤さんの主張は次のようなものです。
•抗がん剤に延命効果はない
•抗がん剤に延命効果があるというエビデンス(臨床試験の結果)があっても、それは、腫瘍内科医が人為的操作を加 えたものなので、信用してはいけない
•がんの治療は命を縮める(医者に殺される)だけなので、治療は受けずに放置するのがよい
これらの主張をそのまま信じてしまう人は、必ずしも多くはないと思いますが、近藤さんの本を読む患者さんは、それなりの戸惑いを感じるはずですし、実際、医療現場では、混乱が生じています。
「抗がん剤が効かないって本当ですか?」「がん放置療法をやってもらえませんか?」という言葉は、何度も聞きました。
「家族(友人)から、抗がん剤なんてやってちゃダメだと言われて、困ってるんです」という悩みを聞いたこともありますし、「近藤さんの本を読んで、病院に行かなくなった知人がいます。家族の説得にも耳を貸さないみたいです」なんていう話もありました。
近藤さんの本がベストセラーになっている背景には、現在のがん医療への不信感があるのも確かで、近藤さんの主張の誤りを指摘するだけでは、患者さんの混乱は解消しないでしょう。
ここでは、近藤さんの主張の問題点を指摘しつつ、私たちに足りていなかったことも反省し、より生産的に、がん医療との向き合い方を考えたいと思います。
抗がん剤は「絶対ダメ」?
近藤さんの主張に対しては、次の4つの疑問が浮かびます。
(1)「抗がん剤は絶対ダメ」というのは思考停止では?
(2)これって「エビデンスに基づく医療(EBM)」?
(3)刺激の強い言葉で患者さんの不安を煽っているだけ?
(4)そもそも、「抗がん剤が効く」ってどういうこと?
今回は、(1)について考えます。次回以降は、(2)~(4)を取り上げながら、これまでの連載で論じてきたことを振り返り、「(近藤さんの本を読んでも)冷静にがんと向き合うためのコツ」を考えたいと思います。
抗がん剤について、近藤さんは、「絶対ダメ」と否定します。ここが、近藤さんの出発点であり、基本的原理ですので、その原理に反することは、ことごとく否定します(こういう姿勢を、「原理主義」と言います)。
抗がん剤の有効性を示すエビデンスがあっても、近藤さんは、エビデンスが間違っていると主張しますので、誰かが、エビデンスに基づいて反論しても、議論がかみ合うことはありません。
「抗がん剤は絶対ダメ」というのが結論で、それ以上は思考停止してしまっているようです。近藤さんの主張に共感する患者さんは、「抗がん剤についてこれ以上考えなくてよい」という部分に惹かれて、近藤さんと同じように、思考を停止してしまっているのかもしれません。
近藤さんに言わせると、私のような「腫瘍内科医」は、「抗がん剤ワールドの住人」という悪者です。患者さんがどうなろうと、製薬業界や自分自身の利益のためだけに抗がん剤を使いまくる存在のようです。
「抗がん剤」と「腫瘍内科医」を悪者とする「善悪二元論」が徹底していますね。
でも、腫瘍内科医の実像はだいぶ違います。腫瘍内科医は、「抗がん剤」の専門家ですが、「抗がん剤を使いまくる」ことはありません。抗がん剤のいい点も悪い点もよく知っているからこそ、「抗がん剤を使うか使わないかを適切に判断すること」にこだわります。
使うかどうか、適切な判断こそ重要
私の診察室には、いろんな患者さんが来られます。「とにかく、なんでもいいので、抗がん剤を使ってください」と訴える患者さんもいれば、前回紹介したUさんのように、「何があっても、抗がん剤治療は受けません」と言う患者さんもいます。
腫瘍内科医は、そんな患者さんの思いに耳を傾けつつ、患者さんにとってマイナスに働く可能性が高ければ、抗がん剤をやめることをお勧めし、プラスに働く可能性が高ければ、抗がん剤治療を受けることをお勧めします。
プラスやマイナスというのは、言葉で言うのは簡単ですが、実際には、リスクとベネフィットの微妙なバランスから導かれるものであり、「何のために治療をするのか」によって、その方向性は違ったものになりますし、患者さんの価値観によって、プラスやマイナスの受け止め方も様々です。
とにかく、患者さんやご家族とじっくり話し合い、納得できる方針を決めることが重要です。病状によっては、ギリギリの判断を迫られることもあるわけですが、そんな状況でも、患者さんにとって最善の治療方針を考えるのが、腫瘍内科医の仕事です。
「抗がん剤は絶対ダメ」とか、「抗がん剤は絶対やらなきゃダメ」と思いこんで、それ以上の思考を停止してしまうのではなく、治療目標をよく考え、リスクとベネフィットのバランスを慎重に考え、抗がん剤を使うかどうかを適切に判断することが重要なのだと思います。
「抗がん剤をやるかやらないか」という線引きが、重視されすぎているような気もします。抗がん剤にこそ希望があって、抗がん剤をあきらめたら絶望しかない、と思い込んでいる患者さんも多いようです。抗がん剤をやるかやらないかで運命が変わるというイメージです。こういうイメージが蔓延しているからこそ、その線引きにズバッと斬りこんだ近藤さんの本がベストセラーになったのかもしれません。
どう病気と向き合い、どう生きるか
でも、本当に重要なのは、「抗がん剤をやるかやらないか」ではなく、「どのように病気と向き合い、どのように生きていくか」ということです。そこをきちんと考えて、抗がん剤をやった方がよいと思うならやればいいし、やらない方がよいと思うならやらなければいいわけです。
私の診察室にやってくる進行がんの患者さんの中には、抗がん剤治療をしていない方もたくさんおられます。近藤さん風に言えば、「がん放置療法」をしているということになるかもしれません。でも、そういう患者さんも、抗がん剤治療を続けている患者さんも、それぞれの人生を歩んでいる点に違いはなく、私の方で、特に区別して接するようなことはありません。抗がん剤を使っていても使っていなくても、みんな、私の大事な患者さんであって、「放置」しているなんて考えたことはありません。
抗がん剤についてはともかく、「どのように生きていくか」についての思考は停止しないようにしたいものです。
(転載終了)※ ※ ※
近藤誠先生の本「患者よ、がんと闘うな」は、初発の病気休暇中、がんに関する本を手当たり次第読んだ時に拝読したし、それ以降も先生の著作は何冊も読んでいる。最近では「どうせ死ぬなら『がん』がいい」や「『余命3カ月』のウソ」等も読ませて頂いた。
初発の術後、ナースステーションで夫とともに当時の主治医であるS先生から病理検査の結果を聞いた時、「ごく早期で(リンパ節転移もないし)低リスクだから術後の抗がん剤は必要ない」と言われ、肩の力が抜け、本当にほっとしたのを今もリアルに覚えている。
まあ、結果として3年経たずして再発したけれど、冷静に考えてみると、その後数年にわたる抗がん剤治療を行っていなければ、今まで延命は出来なかっただろう、と思う。
けれど、先日も書いたように、この後、最後の瞬間までずっと抗がん剤に振り回され続けてヨレヨレになって人生を終わりたいとは思っていない。
抗がん剤が延命してくれる期間と抗がん剤により逆に命を縮めてしまう期間には、必ず分岐点があるように思う(これは朝日新聞の医療サイト・あぴたるに連載中のコラム「町医者だから言いたい」で長尾和宏先生も書いておられる。)のだ。
だから、出来れば自分の体の声を信じて、いいとこどりを出来るように(限りなく目一杯、治療により延命の恩恵を被るとともに、出来る限り治療による縮命を避けるタイミングを)見極めたい、と思う。
そう、どのように生きていくか、どう自分らしい人生を送っていくか、は人として生きている限り一生の課題だろう。
何事にも絶対はない、と先日、同じくyomiDr.連載中の緩和医療医・大津秀一先生のコラムを紹介したときにも書いたけれど、今回もこのことを強く思う。
人はついつい“絶対”を求めようとしてしまうけれど、そもそも絶対など、ない。“絶対”を求めようとすると、必ずどん詰まる。
だから、絶対は、ないということ、想定していないことも重々ありうるということを常に頭におきたい。そして、自分にとって出来れば起きてほしくないこと、あってほしくないことが起こった時も、嬉しくないけれどこれまた想定内なのだ、と落ち着いて、その都度その都度、うまく微調整して方向転換をしながら、自分なりに折り合いをつけて、その時その時のベストの選択をしていきたいと思う。
最悪のことが起こることを念頭に置き、(絶対は無理だけれど)それを回避するために、次なる策を用意しておく、あるいは起きたら微調整してことに当たる。
考えてみれば、仕事を進めていくうえでもそれと同じことをしているではないか。要はいつもの通りに対処する、ということなのだ。
そう、私の主治医である腫瘍内科医のA先生も高野先生がおっしゃるとおりの方だ。「抗がん剤」の専門家だけれど、決して「抗がん剤を使いまくる」ようなことはしない。穏やかに、そしてはっきりと「抗がん剤を使う期間は、短ければ短いほどいいのです。」とおっしゃる。
そして今も私の希望に耳を傾け、出来るだけホルモン治療と分子標的薬の併用期間を粘り、毎月丁寧に経過観察しながら次の抗がん剤へのチェンジを辛抱強く待ってくださっている。
私がこの病気と少しでも長く共存していく上で、「なんでもいいから抗がん剤を」はあり得ないし、「何があっても抗がん剤は嫌」もあり得ない。
うまくバランスを取りながら、いいとこどり、すなわちリスクは出来るだけ小さく、ベネフィットは出来るだけ大きく。これが一番ではないだろうか。抗がん剤で思考停止してしまうなんて、あまりにもったいないではないか。