先週、「“最後の経過は早い”という厳しさ」という記事でご紹介した読売新聞医療サイトyomi Dr.のコラム、緩和ケア医の大津秀一先生による最新号である。
今回もとても重い内容だし、長文だけれど、再発進行乳がんとともにこれからの毎日を大切に過ごすうえで、きちんと受け止め、心していきたいと感じたので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
専門家に聞きたい 終末期と緩和ケアの本当の話 闘病だけで終わらないことが大事(2013年10月31日)
30代後半のAさんは、非常に進行した胃がんの患者さんでした。
大変熱心な患者さんで抗がん剤のことも徹底的に調べて、もはや有効な抗がん剤がないと考えられる状況になっても、主治医の先生にこの抗がん剤はどうですか?あの未認可の薬剤はどうですか?と尋ねて、実際に一部望む通りの治療を受けていたようです。
そんな彼もいよいよ病気が進行し、末期の状況となりました。私たち緩和医療科の医師が関わるようになっても、彼は「緩和医療で良くなって、さらに抗がん剤をやるんだ」と言いました。私たちは緩和医療をしてもそれはなかなか難しいだろうと伝えましたが、彼はそれを聞こえていないかのように振る舞いました。
彼には奥さんとまだ小さいお子さんがいらっしゃいました。はためにも状態が悪いことはわかります。奥さんは今後のことも色々と考えなければいけないね、とやんわりと治療と併行して「やるべきこと」や「やらなければいけないこと」を一緒に考えようと促しました。
しかし彼の言葉はこうでした。「絶対に治る。なぜそんなことを言うんだ!?」。怒気をはらんだ目でした。身体の苦痛も出ていました。ようやく緩和医療を受けようとしたのも、痛みや身体のだるさ、食欲不振などの苦痛症状がとても強くなったからでした。がんが非常に進行していたのです。
お子さんが「お父さん」とにこにこして近寄ると、「お前はあっちへ行ってろ!」とそれを拒絶しました。身体の苦痛が強かったことと、絶対に治ると信じていたのにそれが少しずつ難しくなって追い詰められていく状況に精神的にも追いつめられていたからです。お子さんは険しい声にびっくりして奥さんの背中に隠れるのでした。
緩和医療科に依頼が来たのは死の1週間ほど前でした。先に述べたように、その状況でも彼はまだ抗がん剤治療を行うことを希望し、緩和医療で全身の状態を改善することをも望んでいました。
皆さんが彼と同じ立場だったらどうしますか? 確かに治りたい、まだ若い、気持ちはとてもよくわかります。
<彼の急変>
そんなある日、彼は急変しました。状態は急激に悪化し、終末期に出現するせん妄(意識が変化し、言動に異常が出る状態)となってしまい、身の置き所がない様態で苦しみました。
症状は薬剤の使用で緩和されましたが、彼はせん妄状態から戻ることなく、翌日お亡くなりになりました。
私たちに忘れられなかったのは、奥さんが死の床で叫ぶようにおっしゃっていた言葉です。
「子供に何か声をかけてあげてください!子供に何も言わないで逝くんですか!」
お子さんを遠ざけて、ひたすら治すことを希求した最期でした。
しかし当然のことながら、奥さんのつらさは甚大でしたでしょうし、お子さんの将来にとっても、「お前はあっちへ行ってろ!」と伝えたことが傷となって残るのではないかと危惧されました。関わったのは一週間あまり、私たちも時間がなく、確かに痛みなどは少々緩和されましたができることは少なかったです。
<残される家族と、ほんの少しだけでも…>
こういう話をすると、少数ながら、「それは本人にとって本望だったのではないか」とおっしゃる方がいます。それは確かに、そうかもしれません。誰もがまだ30代後半で死ぬことを受け止めるのは困難です。何としてでも生きたいと思うのが通常の気持ちです。したがってその思いに殉じたという考えもあるかもしれません。
けれども彼が治すことに一生懸命になるのと同時に、ほんの少しだけでも、もしもの時に備えて、奥さんと一緒の時間を過ごしたり、お子さんときちんと触れ合う時間が取れたりしたら、どうだったでしょうか?
私たちの命は誰かとつながっています。けっして一人なのではありません。誰かが亡くなっても、私たちはその誰かの思い出とともに生きます。良い思い出は、将来には力を与えてくれもします。誰かの死はけっして一人の死ではないのです。もしAさんがほんの少しだけでも2つの気持ちを「併用」してくれたら、奥さんやお子さんの未来も異なったものではないかと思えてなりません。
治りたい気持ちは大切です。けれどもそれと同時に、来るべき可能性に備えて準備する、あるいは治療以外に自分が大切にしていること為す、前回の連載でそれが一番良いのではないかとお伝えした理由は、このような悲しみの連鎖を避けるためなのです。
一生懸命に治療を行っている方に、「治療が思わしくない場合も一応は念頭において、やるべきことや、やらなければいけないことをすると良い」と伝えると、中には「絶対に治る気でやっているのになぜそういうことを言うのだ」「治療は大変で他のことを考える余裕なんてありません」「治すのに必死なのに冷たいことを言って水を差さないでほしい」とそう考える方もいるかもしれません。しかし心ある治療医がそれを内心つらい思いをしながら伝えるのは、Aさんと同じような治療のみに邁進した結果、何も(おそらく)やるべきことややりたいこと、家族と一緒に過ごす時間を取れなかった方たちの経験が、私と同じようにあるからなのです。
次回以降、緩和ケアの話をしていきますが、この「治療とそれ以外の両立」こそ、「病気を治す治療」と「質に考慮した医療、人生」の両立でもあり、治療と緩和ケアを並行して為すということなのです。
(転載終了)※ ※ ※
ここに登場するAさんは30代後半の若さ。人生まだまだこれから、という時にこうした病に襲われれば、何としても治してやる、という戦闘態勢になるのは当然だ。だからこそ、Aさんと遺されたご家族にとって、この哀し過ぎるシナリオに胸が掻き毟られる思いだ。
約9年前、43歳で発病し、その後3年経たずして再発・転移。迎えることが出来ないかもしれないと思っていた50代に、なんとか突入することが出来た私でさえ、今、ここで人生が終わるのはちょっと淋しいな・・・と思う。
けれどこれまで数年にわたり、3種類の抗がん剤治療(タキソテール、ナベルビン、EC)を受け、今、分子標的薬(ハーセプチン)とホルモン治療(フェソロデックス)で命を繋ぎ、顎骨壊死という副作用出現のためゾメタも中止し、次なる新薬(T-DM1)を待っている私が痛感しているのは、抗がん剤を投与する時間が短くて済むならそれに越したことはない、ということだ。
去年の今頃、EC治療の副作用による体調の悪さに加え、精神面でもポジティブ志向になれなかったことを思えば、たとえ毎朝胸痛とともにあったとしても、今の精神的な穏やかさは、しばしば病気であることを忘れるほど。嘘のようだ。
インターバルなく次はこの抗がん剤、次はこの抗がん剤、とずっと続けていけば体が悲鳴を上げるのは目に見えている。かつてサードオピニオンを頂いたS先生のお言葉を借りれば「負けが混んできた時には、当然いろいろな治療を経験してかなり体もダメージを受けているから、その時になってさらに強い薬を使うのは難しくなる。」ということだ。
もちろん、完全奏功して画像上は影が消えたといえるほど著しく薬が効いている、というならそれもよいかもしれない。けれど、こう言ってしまえば身も蓋もないといわれるかもしれないけれど、現実は、画像上は消えてはいても、タンポポの種のように体中に散らばった小さながん細胞は決して消えてなくなっているわけではなく、次なる活動の機会をうかがっているだけだ。
元気な体にとっても劇薬なのに、ただでさえ体が弱っているところに強い抗がん剤を入れ続ければ、生き延びてきた悪い細胞の思う壺なのではないか。
これまで何を使っても消えることのなかった私の両肺にある腫瘍影や結節を思うと、これらをなきものにするのは、もはや厳しいのだろうな、と実感している。たとえまだ使える薬があっても、自分自身の骨髄機能、肝機能等に注意信号が灯ってしまったら、使える薬も使えなくなるわけだ。
だから、なるべく今の状態をキープするために、自分がやりたいことをやれる環境と今の日常生活を壊さないように、だましだましでも細く長くしぶとく粘りながら、マイルドな治療を続けていきたい。
そのあたりは主治医も同じお考えのようなので、今、こうして私の希望する治療が続けられているのだと感謝している。
いくら若いとはいっても、強力な抗がん剤治療を続ければ、間違いなく体が被るダメージは蓄積していく。
緩和ケアはあくまで緩和ケアであり、完治を目指すものではない。その厳然たる事実を受け入れずして自分を追い込めば、いずれどん詰まり、辛くなるのが見えている。
世の中、“絶対”は存在しない。治るかもしれない、ひいては治ることがなくともある程度長い時間寛解期間が望めるかもしれない、という希望を持ちながら辛い治療を続けることは、気力をキープさせていく上で、紛れもなくとても大切なことだと思う。
けれど、“絶対治る”と思うことがかえって自分を追い詰め、それが叶わなくなったことを認めざるを得なくなった時に、とてもではないが安らかな気持ちではいられない、とも思う。
これからは今以上に家族や友人たちと共に過ごす時間、一人で好きなことをする時間を大切にしていきたい。そして、いつか周りの方たちが私のことを思い出してくれる時のために、辛い治療を最期まで続けてマルコメ頭でガリガリに痩せて、ヨレヨレでヘロヘロな姿を彼らの眼に残しておきたくはない。いや、どうしても嫌である。
だから、ヘタレと言われるかもしれないけれど、今後、あまりにきつい治療を長く続けることにはとても消極的な私だ。
心穏やかに、イライラすることなく今の生活と治療を両立させていくために、決して抗がん剤治療に頼りすぎることなく、命を繋いでいきたいと思う。
今回もとても重い内容だし、長文だけれど、再発進行乳がんとともにこれからの毎日を大切に過ごすうえで、きちんと受け止め、心していきたいと感じたので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
専門家に聞きたい 終末期と緩和ケアの本当の話 闘病だけで終わらないことが大事(2013年10月31日)
30代後半のAさんは、非常に進行した胃がんの患者さんでした。
大変熱心な患者さんで抗がん剤のことも徹底的に調べて、もはや有効な抗がん剤がないと考えられる状況になっても、主治医の先生にこの抗がん剤はどうですか?あの未認可の薬剤はどうですか?と尋ねて、実際に一部望む通りの治療を受けていたようです。
そんな彼もいよいよ病気が進行し、末期の状況となりました。私たち緩和医療科の医師が関わるようになっても、彼は「緩和医療で良くなって、さらに抗がん剤をやるんだ」と言いました。私たちは緩和医療をしてもそれはなかなか難しいだろうと伝えましたが、彼はそれを聞こえていないかのように振る舞いました。
彼には奥さんとまだ小さいお子さんがいらっしゃいました。はためにも状態が悪いことはわかります。奥さんは今後のことも色々と考えなければいけないね、とやんわりと治療と併行して「やるべきこと」や「やらなければいけないこと」を一緒に考えようと促しました。
しかし彼の言葉はこうでした。「絶対に治る。なぜそんなことを言うんだ!?」。怒気をはらんだ目でした。身体の苦痛も出ていました。ようやく緩和医療を受けようとしたのも、痛みや身体のだるさ、食欲不振などの苦痛症状がとても強くなったからでした。がんが非常に進行していたのです。
お子さんが「お父さん」とにこにこして近寄ると、「お前はあっちへ行ってろ!」とそれを拒絶しました。身体の苦痛が強かったことと、絶対に治ると信じていたのにそれが少しずつ難しくなって追い詰められていく状況に精神的にも追いつめられていたからです。お子さんは険しい声にびっくりして奥さんの背中に隠れるのでした。
緩和医療科に依頼が来たのは死の1週間ほど前でした。先に述べたように、その状況でも彼はまだ抗がん剤治療を行うことを希望し、緩和医療で全身の状態を改善することをも望んでいました。
皆さんが彼と同じ立場だったらどうしますか? 確かに治りたい、まだ若い、気持ちはとてもよくわかります。
<彼の急変>
そんなある日、彼は急変しました。状態は急激に悪化し、終末期に出現するせん妄(意識が変化し、言動に異常が出る状態)となってしまい、身の置き所がない様態で苦しみました。
症状は薬剤の使用で緩和されましたが、彼はせん妄状態から戻ることなく、翌日お亡くなりになりました。
私たちに忘れられなかったのは、奥さんが死の床で叫ぶようにおっしゃっていた言葉です。
「子供に何か声をかけてあげてください!子供に何も言わないで逝くんですか!」
お子さんを遠ざけて、ひたすら治すことを希求した最期でした。
しかし当然のことながら、奥さんのつらさは甚大でしたでしょうし、お子さんの将来にとっても、「お前はあっちへ行ってろ!」と伝えたことが傷となって残るのではないかと危惧されました。関わったのは一週間あまり、私たちも時間がなく、確かに痛みなどは少々緩和されましたができることは少なかったです。
<残される家族と、ほんの少しだけでも…>
こういう話をすると、少数ながら、「それは本人にとって本望だったのではないか」とおっしゃる方がいます。それは確かに、そうかもしれません。誰もがまだ30代後半で死ぬことを受け止めるのは困難です。何としてでも生きたいと思うのが通常の気持ちです。したがってその思いに殉じたという考えもあるかもしれません。
けれども彼が治すことに一生懸命になるのと同時に、ほんの少しだけでも、もしもの時に備えて、奥さんと一緒の時間を過ごしたり、お子さんときちんと触れ合う時間が取れたりしたら、どうだったでしょうか?
私たちの命は誰かとつながっています。けっして一人なのではありません。誰かが亡くなっても、私たちはその誰かの思い出とともに生きます。良い思い出は、将来には力を与えてくれもします。誰かの死はけっして一人の死ではないのです。もしAさんがほんの少しだけでも2つの気持ちを「併用」してくれたら、奥さんやお子さんの未来も異なったものではないかと思えてなりません。
治りたい気持ちは大切です。けれどもそれと同時に、来るべき可能性に備えて準備する、あるいは治療以外に自分が大切にしていること為す、前回の連載でそれが一番良いのではないかとお伝えした理由は、このような悲しみの連鎖を避けるためなのです。
一生懸命に治療を行っている方に、「治療が思わしくない場合も一応は念頭において、やるべきことや、やらなければいけないことをすると良い」と伝えると、中には「絶対に治る気でやっているのになぜそういうことを言うのだ」「治療は大変で他のことを考える余裕なんてありません」「治すのに必死なのに冷たいことを言って水を差さないでほしい」とそう考える方もいるかもしれません。しかし心ある治療医がそれを内心つらい思いをしながら伝えるのは、Aさんと同じような治療のみに邁進した結果、何も(おそらく)やるべきことややりたいこと、家族と一緒に過ごす時間を取れなかった方たちの経験が、私と同じようにあるからなのです。
次回以降、緩和ケアの話をしていきますが、この「治療とそれ以外の両立」こそ、「病気を治す治療」と「質に考慮した医療、人生」の両立でもあり、治療と緩和ケアを並行して為すということなのです。
(転載終了)※ ※ ※
ここに登場するAさんは30代後半の若さ。人生まだまだこれから、という時にこうした病に襲われれば、何としても治してやる、という戦闘態勢になるのは当然だ。だからこそ、Aさんと遺されたご家族にとって、この哀し過ぎるシナリオに胸が掻き毟られる思いだ。
約9年前、43歳で発病し、その後3年経たずして再発・転移。迎えることが出来ないかもしれないと思っていた50代に、なんとか突入することが出来た私でさえ、今、ここで人生が終わるのはちょっと淋しいな・・・と思う。
けれどこれまで数年にわたり、3種類の抗がん剤治療(タキソテール、ナベルビン、EC)を受け、今、分子標的薬(ハーセプチン)とホルモン治療(フェソロデックス)で命を繋ぎ、顎骨壊死という副作用出現のためゾメタも中止し、次なる新薬(T-DM1)を待っている私が痛感しているのは、抗がん剤を投与する時間が短くて済むならそれに越したことはない、ということだ。
去年の今頃、EC治療の副作用による体調の悪さに加え、精神面でもポジティブ志向になれなかったことを思えば、たとえ毎朝胸痛とともにあったとしても、今の精神的な穏やかさは、しばしば病気であることを忘れるほど。嘘のようだ。
インターバルなく次はこの抗がん剤、次はこの抗がん剤、とずっと続けていけば体が悲鳴を上げるのは目に見えている。かつてサードオピニオンを頂いたS先生のお言葉を借りれば「負けが混んできた時には、当然いろいろな治療を経験してかなり体もダメージを受けているから、その時になってさらに強い薬を使うのは難しくなる。」ということだ。
もちろん、完全奏功して画像上は影が消えたといえるほど著しく薬が効いている、というならそれもよいかもしれない。けれど、こう言ってしまえば身も蓋もないといわれるかもしれないけれど、現実は、画像上は消えてはいても、タンポポの種のように体中に散らばった小さながん細胞は決して消えてなくなっているわけではなく、次なる活動の機会をうかがっているだけだ。
元気な体にとっても劇薬なのに、ただでさえ体が弱っているところに強い抗がん剤を入れ続ければ、生き延びてきた悪い細胞の思う壺なのではないか。
これまで何を使っても消えることのなかった私の両肺にある腫瘍影や結節を思うと、これらをなきものにするのは、もはや厳しいのだろうな、と実感している。たとえまだ使える薬があっても、自分自身の骨髄機能、肝機能等に注意信号が灯ってしまったら、使える薬も使えなくなるわけだ。
だから、なるべく今の状態をキープするために、自分がやりたいことをやれる環境と今の日常生活を壊さないように、だましだましでも細く長くしぶとく粘りながら、マイルドな治療を続けていきたい。
そのあたりは主治医も同じお考えのようなので、今、こうして私の希望する治療が続けられているのだと感謝している。
いくら若いとはいっても、強力な抗がん剤治療を続ければ、間違いなく体が被るダメージは蓄積していく。
緩和ケアはあくまで緩和ケアであり、完治を目指すものではない。その厳然たる事実を受け入れずして自分を追い込めば、いずれどん詰まり、辛くなるのが見えている。
世の中、“絶対”は存在しない。治るかもしれない、ひいては治ることがなくともある程度長い時間寛解期間が望めるかもしれない、という希望を持ちながら辛い治療を続けることは、気力をキープさせていく上で、紛れもなくとても大切なことだと思う。
けれど、“絶対治る”と思うことがかえって自分を追い詰め、それが叶わなくなったことを認めざるを得なくなった時に、とてもではないが安らかな気持ちではいられない、とも思う。
これからは今以上に家族や友人たちと共に過ごす時間、一人で好きなことをする時間を大切にしていきたい。そして、いつか周りの方たちが私のことを思い出してくれる時のために、辛い治療を最期まで続けてマルコメ頭でガリガリに痩せて、ヨレヨレでヘロヘロな姿を彼らの眼に残しておきたくはない。いや、どうしても嫌である。
だから、ヘタレと言われるかもしれないけれど、今後、あまりにきつい治療を長く続けることにはとても消極的な私だ。
心穏やかに、イライラすることなく今の生活と治療を両立させていくために、決して抗がん剤治療に頼りすぎることなく、命を繋いでいきたいと思う。