ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.11.26 細い糸は細いままにしておきたいか

2013-11-26 19:53:29 | 日記
 とても細い糸―言ってみればお互いに努力しなければ容易く切れてしまいそうな細い糸―で結ばれたご縁がある。
 こうしてブログを通じてやりとりをさせて頂く方との繋がりもそうであると思う。
 ハンドルネームだけで実際のお名前もお顔も知らない、けれどコメントを通じたやりとりを続けるうちに一度お会いしてみたいな、という気持ちを丁寧に手繰り寄せると、うまくその糸が繋がることがある。
 実際にお目にかかって一緒の時間を過ごし、お別れする時、「またお目にかかりましょう。」と言うことが出来れば、細かった糸をより太い絆に育てていくことも出来る。
 もちろん、残念ながら一度もお目にかからずに切れてしまう糸もあれば、一度お目にかかってもそれっきり、その後の「また」が続かない、という糸もある。

 病を得るまで、どちらかといえば人付き合いは淡白な方だったと思う。けれど、こうして一期一会の大切さを身を以て知るにつれて、私は俄然欲張りになったようだ。だから、せっかく繋がった細い糸は、出来るものならより太い繋がりにしていきたいと思っている。
 もちろん、必ずしもそう望んでいる方ばかりではないし、実際に会ってみたらお互いに想像していたような方ではなかったからフェイドアウト、ということもままあるだろう。

 こうした闘病記ブログや患者会等をきっかけにお付き合いが始まる方は、同病で、かつ再発治療を続けておられる方が多い。これまでにご縁あってお目にかかり、交流を続けたけれど、残念ながら訃報に接してしまった方も一人や二人ではない。
 健康な友人知人であれば、たとえ年に一度の年賀状のやりとりだけ、というような状況でも“便りがないのは良い知らせ”ということで、あえて必要以上の心配はしない。
 けれど、こと同病の方となれば、1年間の音信不通はかなり大事(おおごと)だ。どうなさっているのだろう、具合が悪いのだろうか、もしや入院でもされているのだろうか・・・と心配し始めれば、なかなか心穏やかではいられない。
 こうして日々の状況をブログにアップしていれば、相手は管理人の生存確認が出来るわけだけれど、管理人としては哀しいかな、相手のことが分からない。
 
 人と関わるということ―特に共通の辛い体験をし、痛みを抱えながら生きている方たちと関わりを持てること―は、前を向いて治療を続けていく上でとても大きな力を頂くことが出来る素晴らしいことだ。けれど、同時に難しいことに違いはない。
 “同病である”というバックグラウンド以外何も知らない同士のこと。うまくお付き合いが続く方が珍しいのかもしれない。そして、一方だけでなく双方の努力が必要だろう。
 いったんリアルな関わりを持ってしまえば、いざ訃報に接した時のダメージがとても大きいのは経験済みだ。だからあまり深いお付き合いはしないでおこう、と思う方がいることも当然のことと頷ける。
 
 一人で思い悩み続けることは辛いし、一人だけでエンドレスの治療に向き合っていくこともしんどいことだ。だから本音を話すことの出来る、似たような経験をしている仲間が欲しい、と魂が叫ぶわけだ。けれど、こと再発治療中の友人を持つということは、いつかは相手を見送るというとても辛い経験をするか、逆に自分が見送られることになるか、二つに一つ、ということでもある。何とも厳しい現実だけれど。
 
 それでもあえて私はせっかく繋がった細い糸を大切にしたい。そして出来れば、生きている限り、そうした糸をより太いものに育てていきたい、と思うのだ。
 もちろん、相手がたとえやんわりとでも“No,Thank you.”とおっしゃるのなら無理強いはしないつもりだけれど。これは独りよがりなことだろうか。

 11月最終週が始まった。休み明けの職場の冷え切っていたこと。朝、出勤して机上の温度計を見ると、14度しかなかった。皆が揃って9時を過ぎる頃にようやく19度。人熱が頼りだ。ジャケットやコートを着込んで仕事をすると肩も凝る。それでも12月までは暖房は入らない。節電体制は例年通り。
 痛みを感じないように体調管理が難しい季節になってきた。
コメント (3)
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