ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.11.27 私が死んだら再婚するの?

2013-11-27 19:56:04 | 日記
 患者仲間から、私より一回り以上年上―60代半ば―のご夫婦のお話を伺った。
 とても仲の良いご夫婦で、家族ぐるみでお付き合いがあったという。その奥様が、部位は違えど同じ病に冒され、様々な治療の甲斐なく逝かれた。お子様たちは既に皆、独立されているので、ひとり遺されたご主人は、彼女を一人でお墓に入れるのはあまりに可哀想だから、自分が死んだら一緒に入れてくれ、とおっしゃっていたそうだ。
 ところが、1年もしないうちに年上の女性と事実婚に入られたとのこと。ずっと家に置いておくわけにもいかないから・・・と納骨もするのだそうだ。
 「言ってることとやってること、違うじゃん!」というのが患者仲間の弁。

 それを聞いて、因みに我が家は、と夫と息子にインタビューしてみたのが、今日のお題だ。
 平均寿命迄、まだ長い時間が残されている。
 夫は、私が言うのもなんだけれど、マメで器用だし、自分のことは一通り出来る(妻がやらなければ夫は自然と出来るようになる!ということもあるか。)から、言葉は悪いかもしれないけれど、いわゆる家政婦としての妻は要らないのではないかと思う。
 けれど、早晩息子も家を出るだろうし、ずっと一人での余生が淋しいことに違いはない。「つまりは茶飲み友達ってことだな~」と夫。確かに働いているうちはいいけれど、リタイアしてからひねもす誰ともお喋りすることもなく一人で暮らしていたら、淋しいだけでなく認知症も出てしまうかもしれない。そんなことになったら大変だ。でも「若い相手とは体力的にも話を合わせるにも大変だからなあ・・・」という。
 逆に、私が病気を抱えない健康体だと仮定して、自分が先に逝ったら、一人で余生を過ごさせるには長すぎるから、いい人がいれば是非再婚してほしいと思っている、とのたまう。
 うーん、50過ぎてからそんないい人が見つかるのかどうか。

 そして、息子。「いきなり新しいお母さんが来るなんて、とても心の整理がつかないから勘弁してよ。お母さんより年上の人が来たらグエッ、オバサンだな、と思うし。年下なんてお父さんが連れてこられる保証もないし・・・。」と言う。これまた至極もっともなことだ。能天気に「いいよ~」などと返事をされたら、草葉の陰から頭をはたかなければなるまい。
 「じゃあ、君が独立してこの家を出てからお父さんが再婚するっていうのはどう?」と訊くと、「それはそれで微妙だよ。自分の家に帰ってきて自分の知らない人がお母さんの代わりに家にいたら、嫌だよな。」と夫が代弁。

 もちろん、私の代わりなど簡単に見つけられると言われれば、ちょっと、いや大分、傷ついてしまう。けれど、息子がもっと小さくて手がかかって(今も十分手がかかるけれど)、夫の仕事が今よりうんと忙しくて、仕事・家事・育児の両立、いや三立させるには“夫、過労死”が容易に想像出来るとなれば、話は違う。
 ワーキングマザーは長いこと悩みながら仕事・家事・育児を成り立たせて頑張っているわけだから、男性も工夫次第でそれが出来ないことはないだろう。けれど、同じことをいきなり同じレベルで、しかも誰のサポートもなしにやってみろ、というのはあまりに酷だ。
 むろんライフステージでそれぞれ状況は違うのだろうけれど、かけがえのない伴侶が亡くなっても、遺された家族は“それでも生きて”ゆかなければならない。
 いつかも書いたけれど、やはり遺された方が辛いのだろう、と思う。その先の生活は普段通りに否応なしに続いていくのだから・・・。

 とにもかくにも明日のことは誰にもわからない。
 人は皆、生老病死。生を受ければ必ず死んでいかなければならない。老衰なのか病気なのか不慮の事故なのか。いずれにせよ最期の時まで細く長くしぶとく、生かされている限り生きなければならない、と改めて思う。

 昨夜、喉が痛くて慌てて葛根湯を飲んだ。今朝も再度ダメ押しをしたら、なんとかセーフだったようだ。
 そしてもう一つ、滑り込みセーフで11月と印刷された喪中欠礼状も投函出来た。この機会を逃すとまた1年間にわたって近況報告が出来なくなる方も多いので、大車輪で一,二行ずつ書き込んでしまった。「普通は書かないんじゃないの?」と夫に言われたけれど。今日明日には届いてくれる筈である。
 
コメント (2)
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