ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.11.5 シンナー中毒警報発令!の一日

2013-11-05 20:20:45 | 日記
 義母の納骨のため、昨夜遅くに帰宅したものの、今日は休めないと夫は出勤。明日が実力テストの息子も当然、登校だ。昨夜は疲れているのに頭が興奮状態で、なかなか眠りにつけず、だった。
 朝起きるのが何とも辛いが、とりあえず朝食を用意し、息子のお弁当を作って2人を送り出す。

 今日は体力的に自信がなかったので、予め休暇を申請していた。
 良いお天気なので、早速洗濯を干す。そして、朝勢いがあるうちに夕飯の仕込みも完了する。体がだるくて重い。胸の圧痛も鈍痛も相変わらずだ。
 実家の母に、昨日息子が世話になったお礼の電話を入れた後、ゆっくり新聞を読み始めた。

 ほどなくして呼び鈴の音。荷物が届いたのかと思うと、工事の方たちの姿。そういえば玄関枠と扉塗装工事日程決定のお知らせのチラシが入っていたことを思い出す。
 普段なら平日は勤務で不在なのだけれど、ちょうど休みを取って良かった、と思ったのもその時だけ。チラシには「必ず終日在宅をお願いします」と書いてあったが、そんなに長時間かかるわけないだろうと高を括っていたのに4時間はかかる、とのこと。それまでは一歩も出られないらしい。乾かして2度塗りなので、扉をドアストッパーで開けっ放しにしておかなければならないから、当然、鍵を閉めて外出するわけにいかないのだ。

 一度目の作業は30分ほどだった。「2時間後、お昼頃にまた来ます。」とのこと。ならばそれが終わってから午後のヨガに参加して、凝り固まった身体をほぐして来ようと思ったがとんでもない。
 ものすごいシンナー臭で頭は痛くなるし、咳込むし。確かにチラシには「十分な換気をお願いします」とあったが、換気してもこの号棟全体が塗装工事中なのだから、新鮮な空気等入ってくるわけがないではないか。
 その後、2時間経っても全然次なる工事の方はやってこない。結局、1回目の塗装から4時間後に呼び鈴が押される。「あとどのくらい出かけられないのでしょう。」と訊くと、不思議そうな顔をして「何時に出かけて何時に帰ってくるのか。今日はもう帰ってこないのか。ハンコももらわないといけないし・・・」とトンチンカンな答え。「もちろん帰ってきますけれど、出かけたら何時までに帰ってこなければいけないのですか。」と言っても話が噛みあわない。
 このままドアを開け放して出かけて「盗難・紛失については責任を負いかねます」とチラシに書いてありました、では笑い話にもならない(まあ盗られるものなどないけれど・・・)。15分ほどで終えたと思うと、この後さらに2時間はいてくれないと困ると言われる。そ、そんなという感じ。泣く泣くヨガはキャンセル。

 ただでさえ、草臥れて家でのんびりしていたかったのに、苦手なシンナー臭を嫌というほど嗅がされ、緊急避難で外出することも出来なかった。実際に作業が終了して押印したのはすっかり暗くなってから。今日一日、貴重な秋晴れの休日だったにもかかわらず、籠城蟄居状態を余儀なくされた。

 集団住宅に住むということは、普段気楽な分だけ融通が利かないものだ。
 具合が悪くて寝込んでいたり、小さな赤ちゃんがいたり、というお宅だったらこんな工事は本当に大変だろう。もちろん、工事をする塗装の方たちの健康を思えば、この臭いに晒されているのは本当に良くないだろう。
 何とかならないか、と思いながら息苦しさと頭痛を抱え、気分的には殆ど休息出来ずじまいのトホホな1日になってしまった。
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2013.11.4 土に還る日―義母の納骨を終えて

2013-11-05 20:01:20 | 
 昨日、無事に義母の三十五日法要と納骨の儀式を終えた。

 宿泊したホテルの部屋が何とも寝苦しく、早朝に目覚めてしまった。5時から大浴場がオープンということだったので、こっそり出かけてきて戻ると、夫も眠れないようだった(が、お風呂嫌いなので当然、朝風呂などには行かない。)。雨模様が気になる。
 昨夜の飽食でお腹がまだもたれていて、朝食はごく軽く済ませてチェックアウトし、タクシーで菩提寺まで移動する。義妹一家は一足先に到着済みだった。雨が小止みになったようでほっとする。
 ご住職ご夫妻に挨拶した後、打ち合わせをしたり、準備をしたりするうちに、ほどなくして参列される方たちを出迎える。

 義父の妹夫婦である叔父、叔母は市内に住んでいるが、既に95歳と90歳になっている。ちょうど実家の両親に各々10歳を足した年齢である。10数年ぶりの再会、さすがに年月が過ぎたのを痛感する。足元がかなりおぼつかない中、夫の従弟である息子2人付き添ってやってきてくれる。
 また、北九州からは義父の弟の娘(夫の従妹)も、お嬢さんを付き添わせて駆けつけてくれた。子供の頃、義母に可愛がってもらったのだ、とのこと。夫は、数十年前に彼女が嫁いで以来の再会だという。そして、義母が化粧品セールスの仕事をしていた頃からの友人たち、義妹一家、私たち夫婦合わせて総勢20人弱。
 挨拶を済ませた後、定刻どおり本堂に移動して、法要に臨む。

 ご住職とお目にかかるのも義父の十三回忌以来だろうか。随分面差しが細くなって、写真で拝見するに、先代のご住職ととてもよく似ておられる。副住職である息子さんと2人で、まるで和音のハーモニーを奏でるように朗々と読経が続く。立ち上る線香の煙で咳き込みが酷くならないように、とそれだけを祈りながらお経を聴く。
 奇しくも義母は姑(夫の祖母)と同じ名前であった。今回頂いた戒名にも同じ漢字一文字が入っている。その夫の祖母の三十七回忌も併せて執り行われた。
 焼香の後、皆で墓地に移動し、納骨の儀。昨年二十七回忌だった義父の納骨以来、久々に拝石がどかされる。小さな穴の中にはもはやお骨を見ることは出来ない。これまで私が経験した納骨というと、骨壺をそのまま納めるものだったが、ここでは骨壺からお骨のみを取り出して、墓穴に納めるのだった。葬儀の折に骨壺に納めた義母愛用の眼鏡や数珠も残らず全て注がれ、再び拝石が置かれる。
 真新しい白木の塔婆が経ち、お花とお線香を供え、皆で交替にお水をかけながら供養が滞りなく終了する。
 そうなのだ。こうして人は土に還っていくのだ、と改めて思う。

 寺内の大部屋をお借りしてご住職も囲み、皆で昼食。義母の思い出話は、尽きることがない。2時間ほどでお開きとなり、皆さんをお見送りする。

 すっかり気が抜けてしまった、と言う義妹一家は、今回数十年ぶりに親子4人、水入らずで2泊3日の温泉旅行を兼ねたというが、会食が終わって間もなく車で一足先に帰って行った。この後、義母が使っていた部屋の片づけ、遺品整理等の際にはまた義妹宅へ足を運ぶことになろう。
 夫と私はもろもろの片付けを済ませ、再びタクシーでホテルに戻り、着替えやらスーツケースのパッキングやら。 飛行機の時間までにはたっぷり1時間ほど余裕があったが、リムジンバスは東京行き4便の時間に合わせたものしか運行していないため、ホテルのロビーで時間調整。今日までのことを種々仕切った夫はさぞかし疲れたと見えて、ソファの上で時折鼾をかいて寝ている。

 義母の遺影等を納め、すっかり重くなったスーツケースを携えて空港へと向かう。到着が少し遅れているということだったが、ほぼ定刻通りの離陸となった。1時間少々のフライトで定刻通りの到着。同じ便だった北九州に戻る従妹母娘と挨拶。多分間に合わないだろうと諦めかけた最寄駅前までのリムジンバスに、幸運にも滑り込むことが出来た。
 バスの中、売店で慌てて調達したサンドイッチの夕食を摂る。疲れすぎて眠れない。本を読む元気もない。早くもクリスマスツリーのような緑色のライトアップがされた東京タワーが綺麗だ。渋滞もなく極めて順調。予定より20分ほど早く到着してほっとした。

 息子は実家から塾に行った筈が早々と帰宅し、一人の時間を愉しんでいた模様。私達の帰宅が予想外に早かったので複雑な顔をしていた。
 
 とりあえず、一段落。すぐまた新盆やら一周忌がやって来るけれど、とりあえず一段落、である。
コメント (2)
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