ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.9.1 採血後診察、カドサイラ(T-DM1) 26回目(減量16回目)

2016-09-01 22:37:54 | 治療日記
 遊んでいるうちに今日から9月。今年もあと3分の1となった。
 昨日は夕方帰宅した後、何がなんでも今日中にやってしまわなければ!ということで、勢いで2つのスーツケースを開けて大洗濯。2回分回して干して、何とか片付けることが出来た。その間、とにかくざっと大まかに片付けを終えて、スーパーで調達してきた食事を済ませる。そして体力温存のために病院最寄り駅に移動、常宿に前泊した。

 さすがにくたびれ果てて、貴重な読書時間であるはずの車中では本も読めずウトウト。チェックインするや否や入浴して、そのまま殆ど正体不明で爆睡。夜中に1度も起きることなく、目覚まし時計が鳴るまで連続して眠ることが出来た。こんなこと、どのくらいぶりだろう。

 夫にモーニングコールをした後、恒例の熱めの浴槽足湯と瞑想で、頭と身体に起きてもらう。いつもの焼き立てデニッシュの朝食を済ませ、チェックアウトして徒歩5分で病院到着。朝から残暑が厳しい。

 自動再来受付機はすんなり。採血は15人以上待ちで13分とあったが、15分ほどかかった。今月はマーカー測定があるので4本の採取。何度もお世話になっている臨床検査技師のYさんは、慣れた手つきで刺針も抜針もすぐに終了。

 止血したまま、向かいの腫瘍内科受付へ移動。月初めの保険証チェックばかり気になってIDカードを添えるのを忘れる。やはりまだぼーっとしている。まだ時間が早いので定位置の待合椅子に腰かけ、読書を開始。
 それにしても、いわゆる夏休み期間にこれほど本を読まず(7,8月の2か月で5冊)で、映画も観なかった(同じく0本)のは珍しい。父の入院・葬儀と諸々あったので致し方ないのだけれど。

 今日のお伴、1冊目は疲れた身体を休めるために群ようこさんの「寄る年波には平泳ぎ」(新潮文庫)。
 帯には「何が起こっても、心はなるべく平穏に。人生の視界が広くなるエッセイ」とある。群さんのエッセイにはいつも元気を頂く。後ろ表紙には「『一つ買ったら三つ捨てる』の習慣でもの減らしに挑戦、ネットの罵詈雑言に憤然、エンディングノートの書き方に逡巡。…長く生きてると何かとあるけれど、控えめな気合を入れて、淡々と暮らしていこう」とある。

 ネットの罵詈雑言などの件は本当にその通りだな、と思う。群さんは私より7つ年上でおられるから、もう還暦を過ぎているけれど、このエッセイは東日本大震災後58歳から1年ほどの間に書かれたもの。
 「日本人女性の平均寿命が80代半ばくらいになって、その年齢まで生きないと、損するような気分にさせられるが、そんなことはない。・・・寿命というのは自分でどうすることもできないのだから、生かされているのならば、生きていかなくてはならない。短くても長くてもすべて運命、天命なのだ」と書いておられるが、まさにそうだ、と思う。

 あっという間に読み進み、1時間が経つ。“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出てから慌てて血圧測定へ。119-70、脈拍は73とちょっと高め。 
 順番は次かと思って掲示板を見ると、既に私の番号が診察中となっている。慌ててノックをして「申し訳ありません。血圧測定が遅くなって・・・」と診察室に入る。先日のフォーラムの感想と労いの言葉をお伝えすると、「さて、体調はいかがでしたか?」と問われ、「おかげさまで体調は概ね良好で、昨日旅行から帰ってきました」とご報告。「どちらへ?」と訊かれ、インド行きを事後報告した。「(現地では)胸痛も出ず、空咳もなく、暴飲暴食もせず慎重に過ごしたので、おかげさまでお腹を壊すこともなく持ちこたえることが出来ました。」と。

 すると、なんと先生はかつて病院の現地日本人健康診断事業で2週間インド国内を回られたという。「仕事だったので一度行きたかったタージマハールには行けずに残念だったなあ」とおっしゃるので、調子に乗ってサリーを着てタージマハールをバックにした写真をお見せしてしまった。そして「インドのカオスはやはり一度見ておくべきですね。」というところで意見が一致した。

 さて、採血の結果は概ね問題なしとのこと。気になるマーカーは、基準値超えして久しいが、久しぶりに先月より1割の減。「では、治療続行でいいですか」と思わず乗り出す。「うーん、なぜですかねえ、上がったり下がったり。ただここのところ上昇傾向だったので、良しとしましょう。(治療変更は)涼しくなってからチェックしながら、ということで次回レントゲンを撮ってまた考えましょう。」と、思っていなかった展開になる。診察室での検温は6度6分。

 今回から薬のチェンジをある程度覚悟していたので、ちょっと拍子抜けの感じだが、これもインドの逞しい生命力を頂いてきたおかげかもしれない、と気を良くする。
 2種類の漢方とデノタスチュアブルを3週間分、ヒルドイドローションはいつも通り2本、ロキソニンも通常通り、パタノール点眼薬も1本処方して頂き、ご挨拶をして診察室を後にした。

 化学療法室へ移動し、いつものように待ち時間に夫やお友達に報告LINEやメールを打ってやり過ごす。15分ほどしてSさんから窓側のリクライニング椅子に案内される。
 ほどなくして、Sさんがすぐにポートの針刺しをしてくださる。刺す瞬間は殆ど痛まず、圧迫するときにちょっぴり痛んだけれど、相変わらずお名前のとおり静かでお上手である。

 10分ほどしてKrさんがセットをして点滴開始。生理食塩水で満たした後、カドサイラ(T-DM1)。途中、Krさんが、「お忙しかったのですね、凄いところにいらしたのですね」と針などのチェックに見える。カルテをご覧になったようで、インドのお話になる。ふと自分の腕を見て、ずいぶん焼けているなと改めてびっくり。再び生理食塩水で流して1時間半弱で無事終了。

 2冊目は湊かなえさんの「山女日記」(幻冬舎文庫)。
 読み始めてしまったら、ひたすら眠いのに面白くてやめられない。帯には「私の選択は、間違っていたのですか。山頂からの景色が小さな答えをくれる。感動の連作長篇」とある。裏表紙には「こんなはずでなかった結婚。捨てきれない華やいだ過去。拭いきれない姉への劣等感。・・・真面目に、正直に懸命に生きてきた。なのに、なぜ?誰にも言えない思いを抱え、山を登る彼女たちは、やがて自分なりの小さな光を見いだしていく。新しい景色が背中を押してくれる、感動の連作長篇。」とあるとおり、50頁ほどの8編はどれも捨てがたく、それぞれ光が差す最後のシーンに至る湊さんの筆致は流石。すっかり惹き込まれた。

 終了時の血圧測定と抜針もSさん。110-63、脈拍は58。本当に抜くときに衝撃がなく、いつもながら有り難くも御礼を言う。
 ご挨拶して化学療法室を後にする。待合で15分ほど会計を待つ。自動支払機へ移動して、採血、点滴の3割負担、12万円弱をカードで支払った。

 外に出ると、相変わらず暑い。薬局は大混雑。病院はとてもスムーズだったけれど、なかなか最後までうまくはいかないな、と本を読み続けた。いつものようにあれこれ抜かれて結局1時間近く。前回同様2,500円弱の現金払い。

 前泊かつスムーズな流れだったので、病院と薬局の滞在時間は合わせて5時間弱。駅ビルでランチを摂ろうとレストラン入ると着信があった。薬局から。
 なんと小銭入れを忘れてきたようだ。トホホ、やっぱり旅行ボケなのか疲労が溜まって注意力散漫なのか。食事を済ませて暑い中再び病院近くまで往復する羽目になった。せっかく早めに帰宅できると思ったが、ここで30分のロス。

 夕食を作る気力がなくなり、夫のOKを取り付けてまたしてもお弁当を調達して帰宅した。やはり思いのほか疲労が溜まっているのを実感。
 
 帰宅後、たんまり干した洗濯物を取り込んで、畳み、もろもろ片付けているうちに出張から直帰の夫が予定より1時間近く帰宅した。まだ全然夕飯の支度も出来ていないので、焦ったけれど仕方がない。

 明日から職場復帰。どれだけメールが溜まっているか考えただけで気分が滅入るが、とにかく1日行けばまた土日である。
 今もだるくてひたすら眠い。今日も早めの就寝としたい。

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2016.8.30-31 旅行5-6日目、終日デリー観光とショッピング、そして無事帰国

2016-09-01 22:25:02 | 
 湿度も気温も高く、長距離移動とフル回転の4泊6日の旅行も実質最終日。
 3都市各地1泊の3泊5日の弾丸旅行ではとても持たなかった、と思う。アグラで2泊出来て一息ついて、6人の総意で出発時間を30分遅らせてもらってほっとする。
 それでもモーニングコールは6時、出発は8時。ざっと荷物を片付け、ホテルのレストランで4回目の食事を終えて、部屋で最終のパッキングを済ませ、チェックアウトした。

 午前中は200㎞、4時間余りをかけてひたすらデリーに向けて移動だ。この高速道路が一番高速道路らしく柵もあり、途中休憩するいわゆるドライブイン状の建物(簡単なレストランとお手洗いが付設されている)があった。とはいえ、相変わらず牛は歩いているし、赤ちゃんを抱っこした女性がいきなり道路を渡ったり(これはもう自殺行為ではないかと思う。)とハラハラする場面はそれなりにあった。

 タージマハールの裏にも流れていたヤムナー河の鉄橋を渡り、バスはデリーに入る。市役所のブランチだという掘っ建て小屋のような所で、ツーリストバスのような商用車両は入市税を支払うことになっているという。街に入るといきなり車線も無視して車、オートリキシャ、自転車、バイクが押し寄せてきて、その中で自転車や歩行者も我先にと、あらゆるものが入り乱れるようになる。牛も犬もいる。道端には豚も。クラクションの嵐、割り込み、追い越し、もう止まらない。

 ガイドさんいわく、田舎中から人が集まってきて、収拾がつかないという。車が動かない。見渡せばスラム街。まさにいつか観た「スラムドッグ$ミリオネア」を地で行く風景だ。何やら映画を観ているような気がする。バスが止まれば、ガラス越しに赤ちゃんを抱いた若いお母さんやガリガリに痩せた男の子、女の子が食べ物やお金を求めて手を出してくる。
 けれど、ここで少しのお金や食べ物を渡したところで事態は解決しない。じっと目が合う。だんだん息苦しくなってくる。バスの窓を一枚隔てているだけで・・・と思う。

 そうこうするうちに、今回最後の昼食を摂る洒落たインド料理レストランに到着だ。多種類のカレー、ナンやタンドリーチキンに紅茶とアイスクリーム。夜は中華なので、これでインド料理も食べ納め。美味しいけれど、食べ過ぎは良くないと、ここでも腹八分目。夫は相変わらずこわごわとちょっぴり食べてごちそうさま、といった感じ。夫と一緒にお腹の薬は飲み続けている。

 昼食後は紅茶専門店へ向かう。ゴミの山、腐った食べ物の臭いで満ちたスラム街を見たと思ったら、今度は緑豊かな広い舗装道路の両脇に各国大使館が延々と並ぶエリアへ。別世界である。花々も緑も手入れされ、いかにも高級住宅地といった通りを抜け、小さなお店に入った。

 かつて日本のバラエティ番組で紹介されたというお店。数人の日本の芸能人と、今よりだいぶ若い社長さんのツーショットの写真が壁に飾られている。社長さん自ら商品の説明をしてくれて、皆でファーストフラッシュのダージリンやチャイの試飲。飲み比べてから購入した。

 次に訪れたのはインド門。高さ42mのこの門は第一次世界大戦で戦死したインド兵の慰霊碑として建てられたもの。白ければフランスの凱旋門といったところ。政府の交通規制が急遽入ることもある、と聞いていたが特に問題なく、門の周りを徒歩で1周出来た。門に至る緑の公園は家族連れやカップルなどで賑わっており、露店も沢山。門の周りにはサークル状に柵があり、中には銃を持った警護の兵隊さんが。

 この後、雑貨屋さんに寄って最後のお土産を物色して予定された観光は終了。けれど夕食まで4時間あるという。自由散策というのもちょっと、かといって4時間夕食のレストランで待つしかないのはちょっと・・・ということで、ヒンドゥー教徒のガイドさんが「6人のうち一人でも凄い、素晴らしいという声を上げなかったらお金は要りません」と言うほどお勧めのお寺と、バザールのオプショナルツアーが急遽実現した。

 アクシャルダム寺院は世界一大きなヒンドゥー教寺院として、2007年にギネスブックに認定されたという2005年建築の新しいお寺だ。セキュリティがとても厳しく、電子機器の持ち込み、食べ物は全て禁止。女性は小さなバッグを持ってもよいが、その中にはパスポートと現金、薬、ペットボトルの水以外はダメとのこと。男性はバッグすら持てない。

 セキュリティチェックはレーンが男女分かれていて、金属探知機を当てられ、さらにバッグの中を一つ一つ全部ひっくり返された。ポシェットの漢方薬(下痢止め)を説明して、ニヤリとされたのがトホホだった。入場料自体は無料だそうだが、あちこちにいわゆる寄付箱がある。

 そして、ここで事件が。
 本堂の中で、ツアーでご一緒しているご夫妻の奥様が「わー凄い」と上を向いて天井の彫刻に気を取られていると、スリに遭ってしまったのだ。鞄のファスナーが開けられているという。ガイドさんと数人の見学者がその瞬間を目撃していて、警護の職員に大声で知らせることに。その結果、ご夫妻とガイドさんは犯人と思しき3人の女性3人とともに事務所まで出向くことになってしまった。

 もう一組のご夫妻と私達4人は本堂の入り口で待つしかないことに。暑いし、この場所で座るのは禁止されているし、靴は本堂に上がる際にクロークに預けているし、全く身動きが取れない。ぐったりして滅入ってくる。夫は食べるものを食べていないので力が入らない状態だし、私もさすがに顎が出てくる。
 そもそもこの寺院、ガイドさんは良かれと思って連れてきてくださったのだろうけれど、歴史的建造物でもなく、大きいことは良いことだ、という感じでそれほど感激するというものでもなく。

 延々と待っているうちにどうでもよくなってくるのが困りもの。結局、被害はなかったのが不幸中の幸いだったけれど。ここでパスポートや現金の被害があったら、本当に旅の思い出が台無しになるところだった。

 雨がポツポツ降り始め、次なる目的地はバザール。公務員住宅のある通りの近くにある大きなバザールで、1時間の自由散策。衣類や靴、鞄、雑貨などを扱うお店が軒を連ねている。20分ほど、あちこちのお店を覗いてみるが、買いたいものは見当たらず、それでも物売りはしつこいし、すっかり草臥れてしまう。

 さらに探せば安くて面白いものもあったのだろうけれど、夫と私は軟弱にもカフェに入って、お茶。紅茶を頼んだのだけれど、これが待てど暮らせど出てこない。さんざん待ってようやく出てきたのはチャイ。結果オーライで美味しかったけれど、どうもミルクを買い出しに行っていた模様。そんなわけで、バザールは殆ど堪能することなく集合時間に皆と合流して、夕食の中華レストランに向かった。

 久しぶりの中華料理はスープが薄味で美味しくお腹に沁み渡った。他のお料理はちょっとピリ辛だったけれど、夫もカレーと違って少しは箸をつけていてほっとした。
 これで今回のスケジュールは全てコンプリート、一路空港に向かった。4泊5日ずっと面倒を見てくれたガイドさん、運転手さん、アシスタントさんと握手して空港の入り口でお別れ。別のガイドさんが空港内でサポートをしてくれた。ガイドさんにもいろいろな区分があるようだ。
 飛行機の離陸予定時間まで4時間弱。チェックインした後は、現地通貨を使い切るための買い物を済ませて、ラウンジへ移動した。

 ラウンジでは、バスタオルも貸してくれてシャワーが浴びられるということだったので、まずは汗と埃を流してさっぱり、その後着替えも。これが出来ずに汗だく埃まみれで機中泊だったら結構辛かったと思う。ラウンジには日付が変わる前後2時間ほどいただろうか。食事は済んでお腹は一杯だし、飲み物だけ頂いて、同じくシャワーでサッパリ出来た夫はウトウト、私も何をするでもなくスマホをいじって時間潰し。

 ラウンジと搭乗口がとても離れており、延々と歩いてようやく到着。
 機中の人となってからは歯磨きを済ませてアイマスクをして、眠る態勢に。今回は何の映画を観ることもなく、ひたすら眠った。7時間40分の飛行時間のうち、夫は6時間、私も5時間近く眠れたのではないか。

 気づけばあたりからいい匂いがしてきて、のそのそと起き出して、洗顔を済ませ、時計の針を3時間半進める。私達はかなりギリギリまで寝ていたようだ。すでに飛行機は日本上空を飛んでおり、四国の形がとてもハッキリと見えた。
 お目覚めのお食事を、ということで夫も私も迷わず和食を頂く。食後のお茶を頂いたらもう最終着陸態勢。成田は34度、クッキリとした夏空で景色が素晴らしくよく見えた。

 予定より20分ほど早く無事着陸。荷物もあっという間に出てきて、帰りのリムジンバスまで1時間半ほどあったけれど、大荷物を引きずりながら階段を上り下りして電車を乗り継ぐ元気もなく、バスの時間までお茶をして時間を潰す。インドも暑かったけれど、日本も暑い。
 バスの中で夫は爆睡。私は疲れすぎているのか殆ど眠れずじまい。見慣れた景色を通り過ぎて、予定通り無事最寄り駅に到着した。

 今回の旅行記も長々と書きました。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

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