ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.9.12 確かなことはひとつ~不老不死の薬はないということ

2016-09-12 21:59:21 | 日記
 巷では、世界初のがん免疫療法薬オプジーボが1年間投与されると3,500万円かかり、患者の半分が使うと薬剤費全体の2割になる、と喧しい。
 ここまで高額ではないにしても、1回の既定量の点滴が約50万円(3週に1度の投与ゆえ年間17回が必要)、年間フルに投与すれば850万というカドサイラ(T-DM1)を1年半に渡り使わせて頂いている一患者としても、なんとなく肩身の狭い日々を送っている昨今である。

 そんな中、朝日新聞のネット記事 耕論で、心に響いたものがあった。
 製薬会社社長の相良さん、財政学者の土居さん、大学病院のがん看護専門看護師である田村さんの3人がそれぞれ意見を述べておられる。その中で、田村さんの部分を転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

耕論 命の値段(相良暁さん、土居丈朗さん、田村恵子さん)(2016年9月12日11時35分)
 高額のがん治療薬をめぐり、薬剤費や医療費のあり方が議論されている。治せる病気は治したいけれど、負担には限りがある。治療や延命にかける費用の「適正」額は存在するのか。

 ■治療、生き方から考えて 田村恵子さん(京都大学大学院教授)
 高価な薬との関連で医療費の問題に注目が集まる機会に、私は人々の目がより根本的なことに向くことを期待しています。それは、命について考えるということです。
 なぜかというと、命について議論することがとても難しいからです。語るにはなにか清廉潔白でなければいけないように思われていますし、家族でご飯を食べながら語り合うこともまれですよね。
 死が迫ってから考えるのでは、こわいだけです。子どものころから人は死ぬものだということを見聞きし、命について考えられるようにしておきたいものです。それができるよう、仕組みを作っていくことも必要だと思います。
 誰しも老いて死ぬという当たり前のことが、医療の進歩とお金の力によって見えにくくなっています。このことも、命に目が向かない要因です。保険が利かない自由診療や最先端の老化防止にはかなりのお金がかかります。受けるのは個人の自由ですが、死や老化が避けられるのではという錯覚が広がってしまわないか、心配です。
 私は長いことホスピスで看護師を務め、今は大学病院でも働いています。がん治療を終え、地域に戻る患者さんが増えています。病院でできることには限界があるので、1年前からがん体験者が交流できる場所を、町屋を借りて開いています。生活に密着した形であれば、命について考えやすいと思ったからです。
 約束事もない、自由な場です。「こんなふうに考えたらええんやな」と気づき、自分なりに命への向き合い方をつかみ取ってもらえたら。地域のなかで知恵が積み重なっていけばと、やっています。
 薬についていえば、病状や病気の進行について平易な言葉で患者さんの理解を確認しながら説明していくことで、患者さんの薬の選び方は変わる気がします。長い目で見れば薬を使っても使わなくても、先の状態が変わらないことはよくあるからです。
 それから、人生の終わりを見定めて逆算して考えることも大切です。死を考えることは、生きる感覚を高めることにつながる。そうするなかで、自分で納得して積極的な治療をやめる人もいます。
 公的に受けられる治療の範囲は、個人ではどうしようもできません。ですから、毎日を心地よく暮らしていくことを考える方がいい。日々の暮らしが豊かになれば、命も豊かになります。
 結局は生き方の問題なのではないでしょうか。最新の薬を使う方が自分らしいのであれば、使えばいい。反対に、そうした薬にしがみついたら、そこだけなんだか自分の生き方と違うなと思う人もいるでしょう。
 確かなことはひとつ。不老不死の薬はないということです。(聞き手・北郷美由紀)
     *
 たむらけいこ 57年生まれ。がん看護専門看護師。25年間、ホスピスケアに携わる。著書に「余命18日をどう生きるか」。

(転載終了)※   ※   ※

 そう、つまるところ、治療の選択は生き方の問題なのである。不老不死の薬はないというのは厳然たる事実。生まれてきたからには死んでゆかなければならない。

 我が家では、田村さんがおっしゃっているような、家族と食事をしている時間に命の話をするのは稀、というわけではない。こういう病気と長く共存していると、どうしても命の話と無縁でいられない。夫や息子は、本音のところ私が病死することについて聞きたくないのかもしれない、あるいは、口にするのを遠慮しているかもしれない。けれど、私は自分の命の話題をわりと日常的に口にしてしまっている。

 母方の祖父が胃がんと肺がんのため、我が家で亡くなったのは今から50年近く前、私が小学校低学年の時のこと。
 今、父の遺骨を置いている和室にベッドをおいて祖父がおり、祖母が看取った。既に手術は終えて、自宅療養中だったから最期はとても苦しんでという状況ではなく、静かに息を引き取った。当時、抗がん剤治療をしていたのかどうか、私は知らない。近くのクリニックの先生が往診にいらしており、死亡診断書を書いてくださったと記憶している。

 祖父はまだ60代前半だった。末娘で可愛がられた30代前半の母のショックは大きく、その取り乱した様子はありありと覚えている。当時の私が肉親の死というものをどこまでわかっていたか、といえば心もとないが、人はいつか息をしなくなって亡くなるのだ、ということはなんとなく肌で感じていたと思う。

 その後、中学2年の時に従兄と父方の祖母が、高校2年の時に母方の祖母、父方の祖父が相次いで亡くなった。
 従兄と祖母2人の3人は病院で、祖父は朝起きてこないので部屋に行ってみると亡くなっていたという最期だった。 通夜や告別式もすべて祖父母宅で行ったので、斎場で全てを執り行うのが一般的になった現在よりも死が身近だったように思う。

 それから30年以上の空白期間を経て、3年前に義母を、2ヶ月前に父を見送ったわけだけれど、健康に暮らしている人たちにとって、生と死はかつてよりも日常生活と切り離されている感がある。

 父を見送った後、インドという国を旅して、生と死がごく隣合わせにあること、人は生きているのではなく、生かされていることを強く感じた。そして、親として最後に子どもにしてやれることは、いかに死んでゆくかを(子どもに)見せることなのだ、と痛感した。
 凡人である私にとって、大それたことは何ら出来ないのは当然だけれど、私なりにその精一杯の生き様を見せ、その死に様も見せることは出来る筈である。千葉敦子さんの言葉ではないが、“よく死ぬことは良く生きること”なのであると思う。

 これまで最新の薬で命を繋ぐことが出来ている私だけれど、薬の効力が永遠に続くわけではない。仮に細く長く効いてくれたとしても、必ずや終わりの日は来る。
 田村さんがおっしゃるように、最新の薬を使い、生き長らえることが自分らしいと思えるうちは使い、どんなに高額でも・・・としがみつくのがもはや自分らしくないと思う時が来たら(具体的には保険適応以外の薬を使うという選択肢だろうか)、後は薬に頼ることなく、生かされている期限を潔く精一杯生きる。

 だからこそ自分らしく精一杯日々を大切に、頂いた命を無駄にすることなく暮らしていきたいと思うのである。
コメント (2)
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