このところ、哀しいくらい読書の時間を捻出出来ず、通院時の記事にサラッと読書メモを書く程度になっている。
中秋の名月後の三連休、気付けばあっという間に日の暮れるのが早くなり、あの夏の厳しかった暑さもどこへやら、といった風情。不思議なもので、早く暗くなると、夜眠くなる時間も早くなった。涼しくて良く眠れるので、寝ても寝てもまだ寝足りない感じ。
それでも一旦本を読み始めると、忘れていた新しい本との出会いの感動がまた蘇ってくる。やはり読書はやめられない、と思う。
今日は、ここ数日で読んだ2冊のご紹介。
1冊目は角田光代さんのエッセイ「世界中で迷子になって」(小学館文庫)。
角田さんは小説だけでなく、エッセイも実に面白い。今回は「旅」のエッセイだけだと思って手に取ったのだが、開けてみたら、後半は「モノ」についてのあれこれ。文字通り1粒で2度美味しい気分を味わった。
「旅に思う」のパートでは“アジアは水の文化で、ヨーロッパは石の文化”という例えに納得する。水に自分を投じれば、ものごとは勝手に動いていく。「何も決めずとも、水の流れる方に身をゆだねていれば、景色は勝手に変わってくれる。目指したところと違う場所に流れ着いている。石はそうはいかない。石の上に座っていても何も動かない。その場から自力で動かなければ、どこにも行きつかないし、景色は何も変わらない。」なるほどな、と思う。
そして、「モノに思う」では、プレゼント苦悩の話題でマイッタと思うものに共感。服やアクセサリーや本を贈ることの難しさ、怖さに納得する。だからこそ、なるべく消えモノを選ぶというのも道理だ。けれど、結婚祝いを贈ってくれた後に亡くなった編集者から贈られたグラスを見つけた折、遺されたものを見て、品物は残酷なばかりでもないのだ、という角田さんの心の変化に胸を打たれた。
その人はもういないけれど、でもそこにその人の気持ちがある。祝ってくれた気持ち、培ってきた自分たちの関係がある。消えモノや欲しがっている贈り物は便利だし、どちらも困らないけれど、下手でもいいから消えない何かを贈ろうと思う。いつか自分がいなくなっても、その人が自分を、自分と過ごした時間を思い出してくれるような、何か。・・・と。
これから大切な人たちとどれだけの時間を過ごしていくことが出来るのだろうか、と常に思っている私にとって、ぐっときた。そして素直に取り入れたいなと思った。
2冊目は井形慶子さんの「突撃!ロンドンに家を買う」(ちくま文庫)。
井形さんのロンドンや吉祥寺にまつわる住まいの話も好んで拝読している。今回は、著者と一緒に眠い目をこすりながらネットで家探しをし、弁護士やオーナーと契約を進めているかのようなハラハラドキドキ感であっという間に読了。
大昔、研修でロンドンにも1ヶ月滞在した。その時にも可能ならばホテルでなくフラットを借りて暮らすことが出来たら・・・などと安易に思っていたけれど、当然のことながらそんな虫のいい話はなかった。同じ研修生で、半年間ロンドンに滞在する女性も家探しには随分苦労していた。そんなわけで、早々に諦めてホテル暮らしを選んだ私だ。
一生のうち何回も家を買い替え、手を入れながら家の資産価値を増やしていくロンドンに住む人たちにとっての家というものの持つ重み、そして全て自己責任となる契約書の重み。いやはや、ろくに何も考えずに3LDKの公団分譲に住んでいる私には恐れ入ることばかり。こうして自分では経験の出来ないことを、代わりに井形さんが身体を張ってやってくださっている、という仮想体験に心が躍る。そして、いつの間にか手に汗を握って応援している自分がいた。
この3連休も実家詣は欠かさず。昨日は昼食、夕食とともに過ごしてきた。
近頃母がストレートに「土日のどちらかは来て欲しい、そして昼か夜かどちらかは一緒に食事をしてほしい」と言い、帰り際になんとわなしに引き止めるようになった。
以前はもっと遠慮がちで「無理ならいいから・・・」だったのだけれど。そのくらい一人暮らしになった心細さ、切羽詰ったところがあるのだろうと思うと、父の不在の大きさを突きつけられる。
先週訪れた時は、ここのところ微熱が下がらず貧血が進んで怠くて、とすっかり弱気だった。どうしたものか、と思っていたが、昨日は熱が下がったと随分元気になり、私達と一緒だと食べられると食事も頑張って摂っていたので、安堵した。
懸案事項だったセキュリティ会社の工事も無事終わり、門や玄関にステッカーが貼られたのを確認し、外出するときに見守り装置にキーを刺すと「留守は○○にお任せください」、外出から戻ってキーを刺すと「お帰りなさい。」と声がかかるのを聞いて、これまたほっとした。
私もこうして家事を済ませてから本を読んだり、ヨガのクラスに出かけたり、と自分の時間を持つことが出来るようになってきた。ようやく少しずつ通常生活に戻りつつあることを実感する。
他でもない私の人生、決して後悔しないように、と思うとやはりあれもこれも、になってしまう。そして、断捨離がなかなか進まないのが常に気がかりなことである。
週明けにはまた通院日が控えている。なるべく長く今の生活を続けられますように。
中秋の名月後の三連休、気付けばあっという間に日の暮れるのが早くなり、あの夏の厳しかった暑さもどこへやら、といった風情。不思議なもので、早く暗くなると、夜眠くなる時間も早くなった。涼しくて良く眠れるので、寝ても寝てもまだ寝足りない感じ。
それでも一旦本を読み始めると、忘れていた新しい本との出会いの感動がまた蘇ってくる。やはり読書はやめられない、と思う。
今日は、ここ数日で読んだ2冊のご紹介。
1冊目は角田光代さんのエッセイ「世界中で迷子になって」(小学館文庫)。
角田さんは小説だけでなく、エッセイも実に面白い。今回は「旅」のエッセイだけだと思って手に取ったのだが、開けてみたら、後半は「モノ」についてのあれこれ。文字通り1粒で2度美味しい気分を味わった。
「旅に思う」のパートでは“アジアは水の文化で、ヨーロッパは石の文化”という例えに納得する。水に自分を投じれば、ものごとは勝手に動いていく。「何も決めずとも、水の流れる方に身をゆだねていれば、景色は勝手に変わってくれる。目指したところと違う場所に流れ着いている。石はそうはいかない。石の上に座っていても何も動かない。その場から自力で動かなければ、どこにも行きつかないし、景色は何も変わらない。」なるほどな、と思う。
そして、「モノに思う」では、プレゼント苦悩の話題でマイッタと思うものに共感。服やアクセサリーや本を贈ることの難しさ、怖さに納得する。だからこそ、なるべく消えモノを選ぶというのも道理だ。けれど、結婚祝いを贈ってくれた後に亡くなった編集者から贈られたグラスを見つけた折、遺されたものを見て、品物は残酷なばかりでもないのだ、という角田さんの心の変化に胸を打たれた。
その人はもういないけれど、でもそこにその人の気持ちがある。祝ってくれた気持ち、培ってきた自分たちの関係がある。消えモノや欲しがっている贈り物は便利だし、どちらも困らないけれど、下手でもいいから消えない何かを贈ろうと思う。いつか自分がいなくなっても、その人が自分を、自分と過ごした時間を思い出してくれるような、何か。・・・と。
これから大切な人たちとどれだけの時間を過ごしていくことが出来るのだろうか、と常に思っている私にとって、ぐっときた。そして素直に取り入れたいなと思った。
2冊目は井形慶子さんの「突撃!ロンドンに家を買う」(ちくま文庫)。
井形さんのロンドンや吉祥寺にまつわる住まいの話も好んで拝読している。今回は、著者と一緒に眠い目をこすりながらネットで家探しをし、弁護士やオーナーと契約を進めているかのようなハラハラドキドキ感であっという間に読了。
大昔、研修でロンドンにも1ヶ月滞在した。その時にも可能ならばホテルでなくフラットを借りて暮らすことが出来たら・・・などと安易に思っていたけれど、当然のことながらそんな虫のいい話はなかった。同じ研修生で、半年間ロンドンに滞在する女性も家探しには随分苦労していた。そんなわけで、早々に諦めてホテル暮らしを選んだ私だ。
一生のうち何回も家を買い替え、手を入れながら家の資産価値を増やしていくロンドンに住む人たちにとっての家というものの持つ重み、そして全て自己責任となる契約書の重み。いやはや、ろくに何も考えずに3LDKの公団分譲に住んでいる私には恐れ入ることばかり。こうして自分では経験の出来ないことを、代わりに井形さんが身体を張ってやってくださっている、という仮想体験に心が躍る。そして、いつの間にか手に汗を握って応援している自分がいた。
この3連休も実家詣は欠かさず。昨日は昼食、夕食とともに過ごしてきた。
近頃母がストレートに「土日のどちらかは来て欲しい、そして昼か夜かどちらかは一緒に食事をしてほしい」と言い、帰り際になんとわなしに引き止めるようになった。
以前はもっと遠慮がちで「無理ならいいから・・・」だったのだけれど。そのくらい一人暮らしになった心細さ、切羽詰ったところがあるのだろうと思うと、父の不在の大きさを突きつけられる。
先週訪れた時は、ここのところ微熱が下がらず貧血が進んで怠くて、とすっかり弱気だった。どうしたものか、と思っていたが、昨日は熱が下がったと随分元気になり、私達と一緒だと食べられると食事も頑張って摂っていたので、安堵した。
懸案事項だったセキュリティ会社の工事も無事終わり、門や玄関にステッカーが貼られたのを確認し、外出するときに見守り装置にキーを刺すと「留守は○○にお任せください」、外出から戻ってキーを刺すと「お帰りなさい。」と声がかかるのを聞いて、これまたほっとした。
私もこうして家事を済ませてから本を読んだり、ヨガのクラスに出かけたり、と自分の時間を持つことが出来るようになってきた。ようやく少しずつ通常生活に戻りつつあることを実感する。
他でもない私の人生、決して後悔しないように、と思うとやはりあれもこれも、になってしまう。そして、断捨離がなかなか進まないのが常に気がかりなことである。
週明けにはまた通院日が控えている。なるべく長く今の生活を続けられますように。