愛読している朝日新聞の医療サイトアピタルで、さもありなんという記事を見つけた。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
シリーズ:その他
「妻より先に死にたい」男性8割 ホスピス財団調査(阿部彰芳 2018年5月25日06時00分)
女性よりも男性の方が、配偶者より先に死にたいと考える人が多い――。こんな意識調査を日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団(大阪市)がまとめた。「自分が先に」と答えたのは男性は78%、女性50%と大きな差がみられた。
緩和ケアや死生観などについて聞く調査で、インターネット上で昨年12月、20~70代の計1千人に実施した。今回は既婚者694人に「自分が先に死にたいか、後に死にたいか」も尋ねた。男性ではどの年齢層でも「自分が先に」が多かった。女性は50代までは男性と同様に「自分が先に」が多かったが、60代以上で逆転。「自分が後に」が多くなり、70代では67%を占めた。
「自分が先に」と答えた435人にその理由を聞くと、男女とも「パートナーを失う悲しみに耐えられない」が最多。「死ぬときにそばにいて欲しい」「パートナーがいないと生活が難しい」が続いた。上位三つを選んだ割合は、男性のほうが高かった。一方で「葬儀や墓について考えたくない」や「パートナーの介護をしたくない」を選んだ割合は女性に多く、男性より10ポイント以上高かった。
「自分が後に」を選んだ259人に理由を聞くと、男女ともに6割が「パートナーの最期をみとってあげたい」を挙げた。「パートナーの生活が心配」は男性で3割、女性5割だった。
理想の死に方を全体に尋ねると、心臓病などでの「突然死」は8割が望み、病気などで徐々に弱る「ゆっくり死」は2割だった。一方、大切な人の死の場合は、ゆっくり死が4割に増え、20代では過半数を占め、年代ごとに開きがあった。
(転載終了)※ ※ ※
いつだったか、このブログで、遺される方が辛いという記事を書いた記憶がある。
連れ合いを亡くした後、直ぐに後を追うことなく天寿を全うして矍鑠と生き切る男性は、自分の身の回りのことの始末に困らない方だと思う。だから家事全般について全て母に負っていた父は、母に逝かれたらあっという間だったのではないか、という気もする。
我が家を顧みると、夫に関しては衣食住全く問題ないだろう。針仕事等は私より得意だし(我が家ではボタンが取れると、息子は「お母さ~ん」ではなくて「お父さ~ん」と呼んでいた。恥)、器用だからDIYも任せて安心。息子は寮暮らしも5年目を迎え、洗濯だけは修行中の身ではあるけれど、これからの男子たるもの、何も出来ないで済まされるわけがない。
もう40年も前のことになるが、父方の祖父は、祖母が亡くなってから毎日のように「死にたい、早く○○(祖母の名前)に迎えに来て欲しい。」と繰り返していた。父の兄(次男)夫婦と三世代同居で、内孫には私より3つ上と2つ上の兄弟がいたけれど、長男は高2の時オートバイ事故で命を落としていた。その後祖母が長患いの末に亡くなり、以来ずっと部屋に籠っていたように思う。
ある朝、父の義姉(兄嫁)が朝食に起きてこない祖父を起こしに行ったら、床の中で亡くなっていたのだった。前の晩にはちゃんと入浴して髭も剃って普通に食事も晩酌もして。ピンピンコロリの理想的な最期だったのかもしれない。
とはいえ、そうそうこんな最期は望むように訪れてくれないだろう。
父が急逝してもうすぐ2年。60年近く添い遂げた母のダメージも時薬のお陰か、少しずつ癒されてきているようだ。昨年は黄斑前膜の硝子体手術などもあり、経過もイマイチでそれなりに時間はかかったけれど、低値安定でもとにかく何とか一人暮らしを頑張ってくれていることは何より喜ばしいことだ。私なんぞは家族がいるから(やむなく)食事を作るけれど、一人だったらどれだけ手抜きになることか・・・今日も夫が宴会なのをいいことにインスタント食品オンパレードだったから、想像に難くない。
その母は、父が亡くなり、80歳を超えて初めて止むを得ず一人でタクシーに乗ったらしい。先日は生まれて初めて、一人でファミレスで食事をしたと得意げに電話をしてきた。(これもかなり浮世離れしているけれど)最近ではこれまで気難しい父の手前、誘うのを遠慮してくださっていたお友達に誘われて、近くのカフェまでお茶に出かけることもあるようだ。
今、不肖な娘が出来ることは最低一日おきの生存確認の電話と月に1度程度のランチ相手、病院の付き添い程度。もちろん今の健康状態が続いてくればという前提で。それより何より、いつも近くにいるお友達と、父がいた折には遠慮して交流出来なかった時間を出来るだけ取り戻すべく愉しむべきだと思う。私はそうした気持ちにせっせと背中を押す係だ。
私自身は、再発してからはすっかり夫に対して「後はよろしく、お先に失礼」と旅立っていくつもりだったけれど、ここまで予定外(?)に生き長らえていると、夫からは「自分の方が先かもしれない」と言われる始末。それでももし予想外に夫が先に・・・、ということになれば、免疫力がダウンしてあっという間に増悪してしまうかもしれない。
哀しいことに、どんなに仲の良いパートナーでも一緒に亡くなることは出来ない。人は一人で自らの人生の幕引きをしなければならない。孤独な、けれど人として最後に残された大仕事である。
その時に「いい人生でした、ありがとう」と心穏やかに微笑みを持って言うことが出来るように、これからも私なりに私らしく日々を過ごしていきたいと改めて思う週末である。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
シリーズ:その他
「妻より先に死にたい」男性8割 ホスピス財団調査(阿部彰芳 2018年5月25日06時00分)
女性よりも男性の方が、配偶者より先に死にたいと考える人が多い――。こんな意識調査を日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団(大阪市)がまとめた。「自分が先に」と答えたのは男性は78%、女性50%と大きな差がみられた。
緩和ケアや死生観などについて聞く調査で、インターネット上で昨年12月、20~70代の計1千人に実施した。今回は既婚者694人に「自分が先に死にたいか、後に死にたいか」も尋ねた。男性ではどの年齢層でも「自分が先に」が多かった。女性は50代までは男性と同様に「自分が先に」が多かったが、60代以上で逆転。「自分が後に」が多くなり、70代では67%を占めた。
「自分が先に」と答えた435人にその理由を聞くと、男女とも「パートナーを失う悲しみに耐えられない」が最多。「死ぬときにそばにいて欲しい」「パートナーがいないと生活が難しい」が続いた。上位三つを選んだ割合は、男性のほうが高かった。一方で「葬儀や墓について考えたくない」や「パートナーの介護をしたくない」を選んだ割合は女性に多く、男性より10ポイント以上高かった。
「自分が後に」を選んだ259人に理由を聞くと、男女ともに6割が「パートナーの最期をみとってあげたい」を挙げた。「パートナーの生活が心配」は男性で3割、女性5割だった。
理想の死に方を全体に尋ねると、心臓病などでの「突然死」は8割が望み、病気などで徐々に弱る「ゆっくり死」は2割だった。一方、大切な人の死の場合は、ゆっくり死が4割に増え、20代では過半数を占め、年代ごとに開きがあった。
(転載終了)※ ※ ※
いつだったか、このブログで、遺される方が辛いという記事を書いた記憶がある。
連れ合いを亡くした後、直ぐに後を追うことなく天寿を全うして矍鑠と生き切る男性は、自分の身の回りのことの始末に困らない方だと思う。だから家事全般について全て母に負っていた父は、母に逝かれたらあっという間だったのではないか、という気もする。
我が家を顧みると、夫に関しては衣食住全く問題ないだろう。針仕事等は私より得意だし(我が家ではボタンが取れると、息子は「お母さ~ん」ではなくて「お父さ~ん」と呼んでいた。恥)、器用だからDIYも任せて安心。息子は寮暮らしも5年目を迎え、洗濯だけは修行中の身ではあるけれど、これからの男子たるもの、何も出来ないで済まされるわけがない。
もう40年も前のことになるが、父方の祖父は、祖母が亡くなってから毎日のように「死にたい、早く○○(祖母の名前)に迎えに来て欲しい。」と繰り返していた。父の兄(次男)夫婦と三世代同居で、内孫には私より3つ上と2つ上の兄弟がいたけれど、長男は高2の時オートバイ事故で命を落としていた。その後祖母が長患いの末に亡くなり、以来ずっと部屋に籠っていたように思う。
ある朝、父の義姉(兄嫁)が朝食に起きてこない祖父を起こしに行ったら、床の中で亡くなっていたのだった。前の晩にはちゃんと入浴して髭も剃って普通に食事も晩酌もして。ピンピンコロリの理想的な最期だったのかもしれない。
とはいえ、そうそうこんな最期は望むように訪れてくれないだろう。
父が急逝してもうすぐ2年。60年近く添い遂げた母のダメージも時薬のお陰か、少しずつ癒されてきているようだ。昨年は黄斑前膜の硝子体手術などもあり、経過もイマイチでそれなりに時間はかかったけれど、低値安定でもとにかく何とか一人暮らしを頑張ってくれていることは何より喜ばしいことだ。私なんぞは家族がいるから(やむなく)食事を作るけれど、一人だったらどれだけ手抜きになることか・・・今日も夫が宴会なのをいいことにインスタント食品オンパレードだったから、想像に難くない。
その母は、父が亡くなり、80歳を超えて初めて止むを得ず一人でタクシーに乗ったらしい。先日は生まれて初めて、一人でファミレスで食事をしたと得意げに電話をしてきた。(これもかなり浮世離れしているけれど)最近ではこれまで気難しい父の手前、誘うのを遠慮してくださっていたお友達に誘われて、近くのカフェまでお茶に出かけることもあるようだ。
今、不肖な娘が出来ることは最低一日おきの生存確認の電話と月に1度程度のランチ相手、病院の付き添い程度。もちろん今の健康状態が続いてくればという前提で。それより何より、いつも近くにいるお友達と、父がいた折には遠慮して交流出来なかった時間を出来るだけ取り戻すべく愉しむべきだと思う。私はそうした気持ちにせっせと背中を押す係だ。
私自身は、再発してからはすっかり夫に対して「後はよろしく、お先に失礼」と旅立っていくつもりだったけれど、ここまで予定外(?)に生き長らえていると、夫からは「自分の方が先かもしれない」と言われる始末。それでももし予想外に夫が先に・・・、ということになれば、免疫力がダウンしてあっという間に増悪してしまうかもしれない。
哀しいことに、どんなに仲の良いパートナーでも一緒に亡くなることは出来ない。人は一人で自らの人生の幕引きをしなければならない。孤独な、けれど人として最後に残された大仕事である。
その時に「いい人生でした、ありがとう」と心穏やかに微笑みを持って言うことが出来るように、これからも私なりに私らしく日々を過ごしていきたいと改めて思う週末である。