金曜日。予定通りの残業の一日。前日の大雪のおかげで、朝の路面はコチコチのツルツル。ちょっとした雨でも駅までは必ず電動自転車の夫も、さすがに徒歩で出かけた。「(いつも通る)坂道はかなり滑って危ないから、遊歩道から行くよう」にと電話までくれて。彼は出張で普段より遠い行き先だ。小一時間早く家を出たけれど、ラッキーなことに席が確保出来たようだった。
私もスノーブーツを履いて普段より15分ほど早めに家を出た。転んではならじと、ヨチヨチ歩きのへっぴり腰。随分力が入っていたのか、自席に着くやガックリ疲れてしまった。
昼当番とあって5時間の勤務を終え、駅前のファストフードに出向く頃にはすっかりお天気もよくなり、残っていた雪も溶けて、スノーブーツが恥ずかしかった。帰宅が遅くなることがわかっていたので、しっかり食事を摂って席に戻り、退勤まで6時間半の勤務になった。
8時を目途に片が付くと思っていたけれど、最後の論文持ち込みが予定より40分ほど遅くなったので、結局退勤は9時になってしまった。
事務室は、新年早々数人の人たちが残っていて、最後から2人目の退勤だった。最後に電気から何から全て消して、真っ暗になった部屋から出るのは結構切ない。その役を若手男子にお願いしてしまった。
帰宅後は夫が用意してくれた夕食を有難く頂く。予定より小一時間遅くなったことで、その分何か余計疲れたようだ。思うに、残業は慣れだし、この時間までと決めた時間が押すと、その後いきなりガス欠になる私である。
食事をしながらもなんとなく目がしょぼついた。帰宅後1時間ほどで食事を終え、洗い物をしてちょっと夫と録画したドラマを視たのは覚えているが、その後別のドラマを付けたところで記憶がない。
目覚めたのは真っ暗のリビングで、時刻は3時半を回ったところ。嗚呼、治療後でもないのにまたやってしまった。そこからのそのそ起き出して入浴し、あれこれ片付けてベッドに入ったのは4時半近くであった。
夫は高いびき中。全然眠れず、イライラする。その後ちょっとウトウトしたら土曜日仕様の目覚ましが鳴った。ハッと気づいてBSで朝ドラの復習を視て、二度寝。小一時間のつもりが起きたら10時になっていた。
夫から「いくら起こしてもびくともしなかったからね~」と言われる。帰宅後2時間もせずに爆睡してしまったということか。僅か4時間近くの残業をしただけでこのザマだ。体力が落ちているなあと思う。
ブランチに夫の十八番のオニオングラタンスープを頂く。溜まった洗濯物をベランダ一杯に干す。
昨日届いた年賀状に、一昨年夏に旅立たれたプチ虹のサロンのSさんのお嬢さんからのものがあった。結婚されて関西に住んでおられるとのこと。Sさんはさぞ娘の花嫁姿を見たかっただろうな、お嬢さんもお母さんに見せたかっただろうな、と思ったら鼻の奥がツンとした。
心ばかりのお祝い品をネットで注文する。
その後、夫と2人で父の墓参へ。秋のお彼岸から大分ご無沙汰していたので気になっていた。母にもこの三連休に行くから、と告げていたし、緊急事態宣言中は運航中止だったシャトルバスも、今日からは普通に動いているということで、その時間に合わせて駅前スーパーで仏花を求め、貸し切りのシャトルバスに乗った。
いいお天気で昨日より暖かい。何家族かが訪れていたけれど、静かだった。
白いダリアと黄色いグラジオラス、紫のスターチスがとても綺麗。春のお彼岸には母も連れて来るからとお墓の中にいる父に告げて、少し離れた位置にある我が家のお墓(今は誰も入っていないのでただの石?)の状態のチェックも。
毎年始めの墓参には「今年もまだここには入らない」と誓う。見ればこの墓を建てたのは平成21年とあるから、以来足掛け13年にもなる。再発してまもなく準備をしたのを思い出す。母はそのことを聞いた時はショックだったと言っていたけれど、発想を変えれば、用意したからこそ、「まだこの中には入りたくない」の一念でここまで粘れたのだとも思う。
帰りのシャトルバスは私たち夫婦と男性が一人だった。駅前のカフェでちょっと一服してから夫と別れ、私はT先生のビギナーヨガのクラスに参加した。
今年初めての方が何人かいらしたので、ゆったり身体を動かしていきましょうということになり、気持ち良かった。
シャワーでさっぱりして、帰宅。母に墓参報告のDuo通話。先日私たちと一泊した日にデイサービスを休んだため、今日は振替で行ってきたのだそうだ。元気で何より。
それにしても、この数日で倍々ゲームのような急速な感染の広がり。「オミクロン株が置き換わって・・・。」と言っているが、それと同時にデルタ株も増加しているようで、なんとも嫌な感じである。
明日は今年最初の瞑想ヨーガのクラスである。先月風邪をひいてお休みにしてしまったため、11月から大分空いてしまった。新しい試みもある。うまくいきますように。