ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.1.18 旅行2日目、3島めぐり お天気も欲張りな一日

2015-01-18 21:55:19 | 
 昨夜はじっくりお風呂に入り、日付が変わってからキューバタン。今朝は目覚ましより30分ほど前に目が覚める。5時間睡眠だが、熟睡したとみえてすっきり。しっかり浴槽足湯も済ませる。
 さすがに日が長いだけあって、朝も遅い。7時でまだ真っ暗である。バイキングの朝食を終えた頃に、ようやく白々と夜が明けてくる感じだ。昨夜は見えなかった海が一望出来るロケーションが素晴らしい。お天気は曇りで、エメラルドグリーンの海は望めないが、強烈な紫外線を浴びてタイケルブの湿疹が悪化するよりはいいかな、と思うことにする。

 そのままお迎えのバスに乗り込み、離島ターミナルへと移動する。朝一番のスーパードリーム号でイリオモテヤマネコの島へ向かう。40分ほどの航海であるが、結構揺れて、窓際で景色を見るのを諦めて真ん中の席に移動してじっと耐える。船には弱いのである。無事に到着するが、思いのほか寒い。ダウンコートを持ってきて良かったとそそくさと着込む。

 まずは日本最大、日本のアマゾンと言われるマングローブ群生地、仲間川のクルーズだ。所要一時間だが、ガイドさんのお話がとても興味深い。マングローブの呼吸根(膝根)が凄い。途中、天然記念物の冠鷲を拝むことも出来てラッキー。添乗員さんによれば、あまり見過ぎると雨になる、ということなのだけれど。引き潮であちこち干潟のようになっており、船が川底をこする音がしたりしてスリリングな旅だった。
 その後、色鮮やかな観光バスに乗り込む。残念ながら夜行性の山猫ちゃんは出てきてくれなかったが、山羊や牛など沢山の動物たちとご対面する。

 そして、水牛車で干潟を渡り島全体が植物園になっている由布島へ渡る。丑年生まれの私としては、是非是非この水牛車に乗ってみたかったのだ。牛の年齢は人間×3ということだが、16歳、御年48歳のピーコちゃん(雌)が往路の担当だ。さすがに女の子なので、乗せられるのは8名どまり。ゆっくりゆっくり歩んでいく。御者さんによる三線のお歌つきで、ほぼ15分ののんびりとした旅である。
 到着した由布島は周囲2キロほどの小さな島だ。ハイビスカスやブーゲンビレアが咲き乱れ、パパイヤやタコの木など、南国気分たっぷり。次第に薄日が差してきて、コートが要らなくなる。少し早めの昼食を済ませ、お土産屋さんを覗いたり、蝶々園で日本最大級のオオゴマダラやその黄金色の蛹を見たり。あっという間に帰りの水牛車に乗る時間になる。この島にいる水牛はアジア水牛で、角が太くて横に長い。帰路は混雑しているとみえて、ツアー17名全員に添乗員さんが乗り込み定員一杯の18名。引いてくれるのは琉太君、8歳ということは24歳の働き盛り。体も大きい。それでも御者さんを入れて20人近い大人を引くのだから、途中で止まり、止まりでなんだか申し訳ないくらいだ。引き潮で殆ど水がなかったけれど、満潮の時は乗客も足を上げていなければならないらしく、それは大変だそうだ。再び、山猫ちゃんに会えないかしらとバスの車窓から目を凝らしながら港に戻る。

 またも船に乗り込み、3つ目の島、竹富島へ向かう。さすがに朝から強行軍でかなり疲れがたまっている。30分の乗船時間ですっかりフネを漕いでしまう。下船すると、青空になっており、それは美しい海の色。ようやく持ってきた帽子やサングラスが役に立ってくれる。
 赤い屋根の平屋しか建てることが許されていないという伝統的建造物群保存地区を、これまた名物の水牛車に乗って観光する。歩いたほうが早いというのは言いっこなしだ。こちらの水牛には角がクルリと回っているヨーロッパ水牛の姿も。私たちを乗せてくれたのはもアーパー君、6歳。人間でいえば18歳の息子と同い年ではないか。途中で止まったり、前を行く水牛車とぶつかりそうになったり、なかなかのラッシュである。コースを1周した後は、島で最も高いという小さな展望台に上ってみる。夫は遠慮しておく、ということで命知らずの私がまたも挑戦。見晴らしは抜群だったけれど、さすがに降りるのがかなり怖かった。明日は筋肉痛が恐ろしい。
 再びマイクロバスに乗り込み、星砂の浜で有名なカイジ浜へ。岩肌の砂に手の平をつけると、星の形の砂が沢山はりつく。美しい海を拝むことが出来、幸せ気分をお土産にして大満足。夏はビキニ美女で一杯になるというコンドイビーチを見ながら港に戻る。10分ほどの航海で朝乗船したターミナル港へ戻り、8時間コースの観光も無事終了した。

 1時間バスの送りを遅らせてもらい、島の中心部を散策する。添乗員さんお薦めのケーキ屋さんでシュークリームとサンピン茶でほっと一息。疲れが吹き飛ぶ美味しさだ。さて、では、と外に出ると雨が降り出す。ここで持ってきた晴雨兼用の日傘が活躍した。雨宿り方々入った琉球ガラスのお店で、銀婚式記念にペアグラスを注文。夫と私の名前とSilver Wedding と彫ってもらうことに。衝動買いではあったけれど、いい記念になりそう。1週間後に届くのが今から楽しみである。

 夜はレストランシアターで八重山料理に舌鼓を打ち、八重山の唄と踊りを楽しんだ。てんこ盛りの一日はようやく終わりを告げようとしている。

 明日も早い。ゆっくりお風呂に入って岩盤浴で体を温め、今日もコテンと寝ようとしよう。
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2015.1.17 “いぶし銀”記念の旅はコート要らず

2015-01-17 23:17:39 | 
 ベッドで連続テレビ小説を視るのは土曜日の恒例となっているが、その後、2回洗濯機を回し、いつもどおりのんびりとした朝食を摂る。
 テレビでは阪神大震災から20年のニュースが続いている。あの年に生まれた子供たちが二十歳の成人式を迎える。被災された方々にとっては言葉に出来ない20年だったろうと思う。
 さて、いつもの土曜日と違うのは、これから2泊3日で銀婚式記念旅行に出かけることだ。
 実は今回の旅、息子には内緒で出てきてしまったけれど、“これからは2人の時間を大切に”とメッセージをくれたくらいだから、と気分よく出かけることに。

 “遠方でもゆとりの羽田発、お帰りもゆとりの早い到着”という案内に惹かれて、昨年の暮れに八重山4島のツアーに申し込んであった。最終行程表を見れば、随分と遅い時間の出発であり、帰りもお昼過ぎには帰京だという。だから、殆ど明日1日のみの観光という旅なので、ちょっと物足りなくも思うが、以前から一度訪れてみたかった島々。私の希望である。
 
 いつもは、最寄駅からリムジンバスに乗るのだが、あいにく時間が上手く合わず、珍しく電車を乗り継いで出かけることに。昼前に家を出、途中、品川の駅ナカレストランでランチを済ませ、そこから僅か15分弱で羽田空港に到着した。

 3時間弱の空の旅、ラッキーにも座席のアップグレードが叶う。結構なフライト時間、千円プラスでゆったりできるなら、決して高くはないだろう。ラウンジでお茶をして時間調整した後、予定時間通りに機中の人になったものの、貨物の積み込みに手間取り30分以上離陸が遅れた。
 那覇空港での乗り継ぎ時間が少ないためドキドキしたけれど、偏西風にもめげずに遅れを取り戻して15分遅れで到着。さすがに、こちらも冬だからムッと暑いということはないけれど、コートは不要で涼やかな感じだ。那覇空港に降り立ったのは昨年2月、初めて一人でヨガリトリートの旅に参加した時以来だが、なんとなく懐かしさを感じてしまう。さすがに東京より東経12度も西である。6時を回っているのにまだまだ明るい。日の入りが小一時間遅いのである。
 乗継便の搭乗口がすぐ隣であることを確認し、乗り継ぎの合間に夫は、小腹が減ったと売店でソーキソバをかきこんでいる。だからメタボになるのだよ・・・と思いつつ、私もちょっぴり味見させて頂く。お腹に沁み渡るおつゆの美味しさ!

 今度は時間通りに離陸。400キロ、1時間の旅である。あっという間に日は落ちて辺りは真っ暗になったが、西の空に向かう飛行機の窓から眺めると、真っ赤な夕焼けを追いかけていくようだ。
 一昨年の3月にオープンしたばかりという新空港に降りると、ターンテーブルにはすぐに荷物が出てきて「お~りと~り八重山へ」という垂れ幕に迎えられる。添乗員さんのお迎えで点呼。ツアーは8グループ、17人のこじんまりした御一行様だ。ホテルは2つに分かれ、40分ほどバスに乗って移動しながら、いろいろな説明を聞く。
 私たちは港からちょっと離れたリゾートホテルへチェックイン。他の2夫婦・4人の方とご一緒である。ホテルのレストランのラストオーダーまであと30分ということで、お部屋に入らずにそのままレストランへ案内される。

 すっかり腹ペコで、夫と乾杯した後は、和洋折衷のコース料理に舌鼓。ゴーヤやもずく、紅芋やら近海で獲れた魚のお造りやら、こちらの食材をふんだんに使ったお料理を堪能する。デザートは、本島でハウス栽培されているというスイカやドラゴンフルーツなどなど、もう日本よりも台湾に近いというのが頷ける。

 お部屋は海を一望できるオーシャンビュー(さすがに真っ暗なので明日の朝が楽しみだ。)。明日は早朝から3島巡りのツアーである。
 サウナや岩盤浴も併設しているという大きなお風呂で手足を伸ばし、旅の疲れをしっかり取って早めに休まなくては。

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2015.1.16 みやこから初荷が届いた寒い夜のこと

2015-01-16 19:56:37 | 日記
 昨日は、冷たい雨が今にも霙に変わりそうな、本当に寒さが身に沁みる一日だった。
 息子自慢はうんざり・・・と受け取られる向きもあるかもしれないが、以下はそれを承知で書くので、スルーされる方は是非そのようにして頂きたい。

 昼に珍しく息子からLINEがあった。「あなた宛に荷物送った、今日届くからよろしく」と。「え?何かしら」と応ずると、その後ご丁寧にも「着払いじゃないから安心して」と。

 手紙すらもらったことがない彼(いまだ封筒やはがきの書き方もあやふやらしい)から送られてくるという記念すべき初荷である。一体何が起こったのだろうと思いながらも、(もしや・・・)という思いはビンゴだった。

 午後の会議が紛糾し、予定時間の倍に伸びた。携帯の電池も切れてしまい、帰宅が遅くなることを夫に連絡出来ないまま、残業となる。
 夜の最終お届け時間に配達指定をしているかどうかも不明だけれど、せっかく連絡してきてくれたのに今日受け取れなかったら申し訳ないな・・・と思いつつ帰宅する。すると、私が玄関に入るや、先に帰宅した夫が再配達を頼んだ荷物が到着した。

 夫は、私が昼休みに送ったメールも見ていない模様で、「○○(息子の名前)からだよ、お母さん宛。何だろう?」と。とるものもとりあえず2人で早速荷ほどきする。
 ベージュのリボンに赤いバッグの包み。リボンには可愛いカードが添えてある。
 “結婚記念日おめでとう。この湯呑で2人の時間を大切にしてください。○○”とあった。

 そう、1日遅れで銀婚式のお祝いが届いたのだった。
 手配日を見ると記念日の当日だ。夫は目をパチクリしている。「あいつ、こんな洒落たことが出来るんだ」と。
 なんとなくそうかな、と思ったが、はて、一体何を送ってくれるのだろう、と思っていた。

 化粧箱に入った九谷焼の組湯呑である。ころんとした形状で持ちやすそうだし、口あたりもよさそう。金箔が幾重にも掛けられてあり、複雑な色合いを醸している。濃い青系が夫の、少し紫がかった赤系が私の、である。

 早速御礼のLINEをする。「残業で受け取れないかと思ったけれど、無事届きました。どうもありがとう」と。すると間髪をいれずに「一応、私の給料から出したのでね、初めて小遣い以外からプレゼント出来ました」と「凄いね。もったいなくて使えないよ」「いや、使ってください。使わなかったらなんのために送ったかわかんないでしょう」と、しばしやりとりが続いた。
 秋の終わりからアルバイトを始めている。時給850円というからこれは何時間分にあたるのか。まさか、こんなお祝いが送られてくるなどとはゆめゆめ思わなかった。隣に座っている人は早くもウルウルである。

 夫が用意してくれた遅い夕食を終え、湯呑を洗って「せっかく頂いたからこれでお茶を淹れましょうか」と言うと「いや、いいよ、もったいない」と。そして、いそいそと食器棚に鎮座ましましていた徳利とお猪口を吊戸棚に移し、新しい夫婦湯呑を大事そうにしまった。さて、初呑みは今晩か、明日の晩だろうか。

 19年前にはまだこの世に生まれてきていなかった息子が、銀婚式祝いを送ってくれる歳になったのだ、そう思うとここまで長く生きてこられて本当に良かった、と素直に思う。
 親から見れば(自分が大学生だった頃のことは都合良く忘れているのだけれど)色々心配なことは尽きないし、ツメは甘いし、贅沢を言いだせばキリがない。けれど、とにかくよくもここまで育ってくれた、そして、私たちの息子でいてくれてありがとう、としみじみ感謝する寒い冬の夜の温かな出来ごとである。
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2015.1.14 採血レントゲン後診察、ポートフラッシュ・ランマーク5回目

2015-01-14 19:46:41 | 治療日記
 5週間ぶり、今年初めての通院日である。今日は病院帰りにお友達のお見舞いに行く約束をしていたから、お持ちするものをあれやこれや袋に入れていたのだけれど、もう持っていけないのだなあ、と朝からちょっとウルウルする。

 今日は何とかお天気が持つけれど、明日は雨で冷え込むという予報だ。最寄駅での電車は順調で、乗換駅でも予定通り始発電車に乗れた。しっかり席を確保して、読書開始。今回の年末年始休暇はなんと1冊しか本を読めなかった。買い込んだ文庫本が積読になっているトホホの状態だ。
 今日のお伴は、前半が今野浩さんの「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」(新潮文庫)、後半が新潮文庫編集部の「あのひと 傑作随想41編」(新潮文庫)。大学の話題なので、するする読めてうんうんと頷きつつ、あっという間に病院最寄駅に到着。
 駅に着くと、嫌でもお友達と一緒に入ったビルやレストランが目に入って哀しくなる。まだ当分時間がかかるな、と思いながら歩く。
 
 自動再来受付機前ではそれほど待たず、採血受付へ移動する。受付カウンター前の椅子も採血室前の椅子もそれほど混雑していない様子。ピンクの採血番号表を受け取って電光掲示板を見ると、“待ち時間7分”とあり、10人待ち。今日はいつかお目にかかったことのある女性検査技師さんで、刺す時も、抜く時も割とスムーズでラッキー。いつものように腫瘍マーカー等全て測定なので3本の採血。
 
 止血部分を押さえながら、いつもどおりエスカレーターで2階に上がり、レントゲン受付へ移動する。こちらはかなりの混雑だ。病棟からの患者さんも多く、車椅子に乗っていたり、点滴をひいていたり、大変そうだ。しばらく待っていると名前が呼ばれ、無事終了。再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動する。病院に入ってからここ迄で小一時間。概ね順調である。受付に少し待ったが、スムーズに保険証チェックが終わり、ファイルを頂いて待合椅子に腰かけた。

 採血結果が出る迄の時間、なるべく快適に読書が出来るように場所を決めて環境整備する。合間に自動血圧測定機で計測すると、80-51、脈拍は78。ちょっと低め、まだ身体が目覚めていない感じである。今日は「中待合へどうぞ」と私の番号が点滅するまで、たっぷり1時間半待つことになった。
 中待合に入ってから読書を続けていると、40分ほどで先生が診察室からお顔を出された。今日は病院に入ってから、先生のお顔を見るまでに3時間弱。やはり年始の病院は半月経ってもまだまだ混んでいる。

 診察室に入って新年のご挨拶。先月は私が空咳をしていたのだが、今日は先生がマスクをして風引きさんである。「さあ、5週間どうでしたか?」と訊かれ、「12月の診察後の1週間ほどは胸痛や頭痛があり、1日3回ロキソニンを飲みました。気になるのは、疲れた所為なのか目の前がチカチカして視野が欠け、言葉がスムーズに出てこないことがあったこと、その後も2回ほど同じ症状がありました。後は、先週末に久しぶりに酷い下痢をしたことくらいで、今は胸痛は大分落ち着いていて、朝1度のロキソニンでなんとか凌げています。」とお話しする。診察室での検温は6度6分。
 採血の結果、白血球は3,800、腫瘍マーカーCA15-3は、先月に比べて0.7の減(殆ど誤差範囲)。胸部レントゲンの画像は10月と今回の2枚が並んでいるが、左右ともあまり変わっているようには見えないとのこと。
 とりあえず見た目は増悪がないということで胸をなでおろすが、視野が欠けたり、言葉が出てこなかったり、眩暈や目の前がチカチカするという症状が(脳転移ではないか)といかにも気になる。
 また5週間、今の治療を継続することになったが、前回撮影から6か月経過ということで、来月の診察前に頚部から骨盤の造影CTの予約が入った。「気になるので、その時に一緒に脳のCTも出来ないでしょうか?」と訊くと、両方撮影するとなると粗い画像になってしまうので、一緒に、は厳しい。来月もその症状が続くようなら、次回脳CTを予約しましょう」ということになった。
 いつものとおりタイケルブ1日2錠、1日3回の小建中湯・ラックビーを各々5週間分、痛み止めのロキソニンを1日2錠、低カルシウム血症対策のデノタスチュアブル1日2錠を、5週間分処方して頂いた。
 「それでは、今日もランマーク注射とポートフラッシュもしていってください。」と言われ、ご挨拶をして診察室を出る。というわけで、2015年治療初めは幸先よくスタートした。

 中廊下の椅子で待っていると、針刺し名人のOさんの姿が見えない。何度かお目にかかったことのある看護師さんがヘルプに入っており、今日は担当してくださるようだ。30分程待って、一度化学療法室を覗いたが、一杯のため内科処置室のベッドに案内される。今日もポートフラッシュからだったが、それほど痛みがなくほっとする。逆血確認もすんなり。生食注入もゆっくりしてくださるので違和感がなく、抜く時も衝撃が殆どなかった。「今日は良かったです」と御礼を言う。
 次に、座って右上腕部にランマーク皮下注射。5回目といってもなかなか痛みには慣れない。だが、今日はとてもゆっくり薬液を注入して頂いたので、時間はかかったが、随分楽だった。これまた御礼を言うと、患者さんによっては痛くてもさっさと終わった方がいい方もいるんですよね、とのこと。私は時間がかかってもゆっくり(丁寧に)やって頂いた方がいいです、と希望を伝えておく。
 会計が出来るまで15分ほど待ち、夫や友人にメールやLINEで報告。自動支払機はそれほどの列でなくスムーズに進んだ。支払はいつもどおりで2万円弱。

 外に出ると、すっかり曇っており、冬空だ。院外薬局へ移動すると、待ち人で溢れている。いつもながら、後から来た方たちからどんどん抜かされてちょっとイライラする。今日も小一時間待つことになったが、薬の受け取りをカウンターでなく待合椅子で行ってくださったので大分楽だった。エコバックに袋一杯の薬を受け取る。今日も前回同様4万円弱の支払い。

 今日は、病院と薬局併せて滞在時間は4時間半ほど。何はともあれ、無事に治療初めが出来て良かった。なんといっても今日は銀婚式の日である。今晩は何かお祝いをするわけではないけれど、これで結果が悪かったら、お祝い気分も半減だろう。
 5年前、このブログで20回目の結婚記念日のお祝いをしたことを書いた時には、本当に今日の日を迎えることが出来るのだろうかと案じていた。それがこうしてなんとか迎えることが出来た。毎日毎日を自分なりに精一杯大切に積み重ね、気付けばまた1年が過ごせるのならば本当に何よりだ。
 来年のこの時期は当面の目標である“目指せ!成人式”である息子の成人式も終わっている筈だから。


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2015.1.11 言えなかった言葉をありったけ

2015-01-11 17:46:30 | 日記
 4日に旅立ったお友達のお別れの儀式に参列させて頂いた。
 どれだけ沢山の方たちから彼女が慕われていたのか、愛されていたのか・・・。彼女を悼む方たちに接し、改めて思う式だった。

 病室の引き戸を開けて一歩足を踏み入れると、アロマの柔らかな香りが漂い、無機質なリノリウムの廊下とは別世界。訪れる度に、ただでさえ色白な貴女が透けて見えるようになっていく、その辛さを感じて、ただただやるせなかった。
 徹頭徹尾穏やかに淡々とされていたけれど、だからこそ、一体どれだけの葛藤があったのだろうと思うと、言葉が見つからない。

 最後までどうしても言えなかった言葉がある。
 それは「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」だ。
 昨日、お別れの席で、面と向かって言えなかったこの言葉を、何度も何度も、言ってきた。

 貴女は私に「○○さん(お付き合いが始まって割と早くからファーストネームで呼んでくださっていたので、私もそれにならって○○さんと呼ばせて頂いていた。)の律儀な所が大好き」「○○さんに会いたい、○○さん禁断症状です!」などなど、本当に照れ臭くなるような言葉をとてもさりげなく、沢山沢山言ってくださっていたのに。
 貴女はkeep in touchが苦手で、と書いておられたけれど、とんでもない。いつも絶妙なタイミングで、実に自然にこちらの琴線に触れ、心に寄り添う達人だったと思う。

 世の中には、私のように単純に物事を受け取る人間だけではなく、本当に色々な考え方、感じ方をする方がおられる。だから、こんなことを書くと、また別の捉え方をされるかもしれないということを承知で書いている。
 これは紛れもなく貴女との決して揺るがない大切な想い出だ。

 「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」
 あの時、この言葉を言ってしまったら、次に会えなくなるような気がした。
 だから、いつも笑顔(もちろん本当は泣きたかった)で「じゃあ、また○日にね」と手を握って部屋を出てきた。
 そして、必ず「また」があることを信じていた。信じたかった。
 メソメソだけはしなかった。それだけは自分に課していた。一番辛いのは他でもない貴女だ。その貴女を差し置いてこちらがメソメソしてどうなる、と。

 先月28日夜、治療に集中したいので(4日のお見舞いはご遠慮したい)という連絡があってほどなくして、後追いでもう1通のメールが届いた。そこには「(次に来て頂くまで)ちょっと時間が空いてしまってとても淋しいのですが、もし急に何かあったら必ず連絡させてくださいね」とあった。
 けれど、その連絡はなく、貴女は一人で静かに旅立ってしまった。

 これまで何人ものお友達を見送ってきた。その都度、落ち込む私を実に絶妙なタイミングで励まし、上手に前を向かせてくれたのは他でもない貴女だった。
 貴女の不在がボディブローのように効いてきている。こんなにダメージが大きいのに、これまで何度も励まし立ち上がらせてくれていた貴女はいないのだから。

 「細く、長く、しぶとく」が私のモットーだ。体力も精神力もとても人並みのレベルではないので、せめてなんとか細々とでも・・・という私の処世術である。
 「ダメダメ、○○さん、今年からは『太く、長く、しぶとく』よ!」タイ土産に長寿のシンボルだというパイソン柄のお揃いの小物をくださったのが、去年のお正月のこと。今日もバッグに入れて持ち歩いている。
 その僅か一年後に太く短く、けれど実に豊かなその人生を終えてしまった貴女。

 大好きだった綺麗なお花に囲まれ、柩の中の貴女は、口角をキュッとあげて、まるで素敵な夢を見ているかのようで、お人形さんのように綺麗なお顔だった。今にも「○○さん、ちょっとウトウトしちゃったわ、またお喋りしましょうよ」と、突然パッチリと目を開けてお茶目な瞳を輝かせそうな・・・。

 ああ、やはりいくら書いても書き尽くせない。
 猫目さん、今まで本当にありがとう。貴女が大好きです。直接言えなくて本当にごめんなさい。
 これからもどうかよろしくお願いします。私がそちらに行く日まで、私なりに太く長くしぶとくやっていきたいと思います。
 合掌。


 今回、沢山の方たちからコメントを頂戴し、また、直接メールやLINEで暖かいお心遣いを頂きました。お心配おかけして申し訳ありませんでした。そして、どうもありがとうございました。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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