散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

ジョン万、志を養う

2017-02-13 10:20:45 | 日記

2017年2月13日(月) 

 10日(金)の晩は久しぶりに歓談飽食痛飲した。三日経っても、まだ全身がほこほこしている。

 さて、ラナウド・マクドナルド。日本に憧れてわざわざ太平洋を越え来たり大船から下りて漂着し、ごく短期間の滞在ながら史上初の英語(米語)教師の役割を果たした後、海を越えて帰っていったアメリカ人。自ずと対照的なある人物のことが思い出される。嵐の中を小舟で漂流してからくも異国の大船に救われ、心ならずもアメリカに長期滞在して米語を学ぶことを余儀なくされ、帰国後は同胞にこれを指南することになった日本人、ジョン・マンこと中浜萬次郎(1827-1898)である。同時代にこんな一対の人間がいたと思うだけで、脳が喜んでぼーっとなる。

 井伏さんの『ジョン万次郎漂流記』が実に快作である。これまたいつもの偶然で、ラナウド・マクドナルドのことを「思い出す」直前から、しきりに思い出されて気になる言葉が作中にあった。末尾で用いられる、「志を養う」という言葉である。

 「明治五年、再び病を発し、以来幽居してもっぱらその志を養った。」

 志を養うとは将来を目ざした表現で、養った志が何事か実を結ぶことを暗黙に前提する。ジョン万この時45歳。その後は表舞台に復帰することなく、「明治31年11月12日死亡、享年72。その墓は谷中(やなか)仏心寺の境内にある」と作品は結ぶ。

 「志を養った」に続いて、「ただ一つ思い出すだに胸の高鳴る願望は、捕鯨船を仕立て遠洋に乗り出して鯨を追いまわすことであった。それは万次郎の見果てぬ夢であった」とあり、そして「明治31年11月12日死亡」とつながるのである。結実することのない夢を見続けたジョン万の晩年を、井伏さんは「もっぱらその志を養った」と書いた。

 目からウロコのようなものが、一時にではなく徐々にはがれ落ちていく気がする。志を養ったか否かは成果によって量られるのではない、姿勢そのものの問題なのだ。20年この方、「ジョン万」を思うときにはいつも「志を養う」が下の句にくっついてきた。エリクソンの integrity を連想するのも良いが、たぶんもっと若々しいもの、加齢によって終わらない青春の賛歌のようなものである。井伏さんという人自身、加齢によって少しも古びることがなかっただろう。

Ω