散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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帰り道の思い出とジュンペイ君の天晴れなコダワリ

2017-02-24 09:37:25 | 日記

2017年2月25日(土)

 学校の帰り道は社交場でありドラマの舞台であり、思い出を形づくる不可欠の要素である。電車通学にもそれがないわけではないが、全長が徒歩の長い帰り道には趣深さにおいて到底およばない。前橋、松江、山形、名古屋、それぞれの帰り道の思い出を田舎の風景とともにじっくり振り返ったら、それだけで一冊の画集になりそうだけれど、まずは名古屋の中学校。

 部活がない日など、校門を出るときは結構な大集団。それが一人また一人、「バイバイ」「またね」と散っていく。バス通りまでは汐路小の校区、市大薬学部前のバス停のところで信号を渡ると陽明校区に入る。「バイバイ」「またね」を繰り返して、とうとう4人に減った。象さんみたいにでっかいジュンペイ君は、中1の砲丸投げで名古屋全市の二位に輝いた。ちびっこい生ちゃんはサッカーのドリブル名人で、コマネズミみたいにすばしこい。練習と称して自分よりでっかい下級生たちにしきりにボールをぶつけている。僕と同じ中型サイズの八ちゃんはフォークソングと中間小説(わかる?)が大好きで、うちの真ん前に住んでいる。密柑山のバス停のところでジュンペイ君に「バイバイ」、生ちゃんに「またね」を言って、八ちゃんと二人で坂を上がると帰り道はとうとうおしまい、1970年頃の毎日の風景。

 生ちゃんとは、15年後に東京お茶の水で劇的な再会を遂げた。八の字ヒゲの似合うがっしりした出版編集者になっていた。八ちゃんはどうしているんだろう、今では誰も消息を知らない。ジュンペイ君は電気に詳しいので、東京の高校に進む直前に電話してお伺いを立てた。「名古屋で買ったラジカセ、そのまま東京で聞けるかな?」「大丈夫だと思うよ」彼の言ったとおり、大丈夫だった。

 それから45年ぶりにジュンペイ君と会った。不思議なことに象さんのように大きくはなく、すっきりしまって落ち着いた紳士になっていた。Facebook で「いいね!」の御褒美に、懐かしさてんこもりのCD2枚組を渡してくれたのは先に書いたとおり。しかしこの紳士の奥行きはそれだけではなかった。数多い彼のシュミの一つに、こんなものがあったのですよ・・・・・

(拝借先は後ほどあらためて)

Ω

 


「メルボルンの夜空は明るいか問題を検証」しているK氏におりいってお願いがあること

2017-02-24 07:48:38 | 日記

2017年2月24日(金)

 勝沼さん、少々間延びしてしまいましたが、「明るい夜空」の件で重ねてのコメントありがとうございました。勝沼さんのブログにとても印象的な写真が掲載されているのですが、どうやらリンクを張るのを遠慮してくださったようですね。そういうマナーがあり得ることに気づいておらず、ネチケットについてひとつ教わりました。御礼とともに、私の方から御紹介しておきます。「好きを好きに書けるシェアブログ」っていうコンセプトがいいですね。

 「メルボルンの夜空は明るいか問題を検証する」 http://knowlog.site/

 こだわり博学の勝沼さんに、ひとつお願いがあります。以前にも話したかと思いますが「阿吽」の件です。「阿吽」自体はサンスクリット語のα(アルファ)とω(オメガ)に由来し、始めと終わり、呼気と吸気、発散と蓄積等々のバランスにかかわるものと了解していますが、私が知りたいのは阿型と吽型を律儀に対照させる作法がいつ、どのように成立したかということなんです。日本の寺社はどんな場末の祠やお堂でも、この作法を外しているのを見たことがありませんが、逆に中華街の獅子などは対のものでも「阿吽」にはなっていない、てんで関心ないみたいなんです。靖国神社の境内に一対だけ「吽吽」の狛犬がありますが、これは日清戦争の戦利品として中国から運ばれた由、これも以前に書きましたか。

   その後も未解決の「阿吽」の作法、日本文化の標徴とでもいおうか、ちょっとしたカギみたいな感じがしているのですね。急ぎませんので、いずれよろしく御高説をお聞かせください。