2017年2月25日(土)
学校の帰り道は社交場でありドラマの舞台であり、思い出を形づくる不可欠の要素である。電車通学にもそれがないわけではないが、全長が徒歩の長い帰り道には趣深さにおいて到底およばない。前橋、松江、山形、名古屋、それぞれの帰り道の思い出を田舎の風景とともにじっくり振り返ったら、それだけで一冊の画集になりそうだけれど、まずは名古屋の中学校。
部活がない日など、校門を出るときは結構な大集団。それが一人また一人、「バイバイ」「またね」と散っていく。バス通りまでは汐路小の校区、市大薬学部前のバス停のところで信号を渡ると陽明校区に入る。「バイバイ」「またね」を繰り返して、とうとう4人に減った。象さんみたいにでっかいジュンペイ君は、中1の砲丸投げで名古屋全市の二位に輝いた。ちびっこい生ちゃんはサッカーのドリブル名人で、コマネズミみたいにすばしこい。練習と称して自分よりでっかい下級生たちにしきりにボールをぶつけている。僕と同じ中型サイズの八ちゃんはフォークソングと中間小説(わかる?)が大好きで、うちの真ん前に住んでいる。密柑山のバス停のところでジュンペイ君に「バイバイ」、生ちゃんに「またね」を言って、八ちゃんと二人で坂を上がると帰り道はとうとうおしまい、1970年頃の毎日の風景。
生ちゃんとは、15年後に東京お茶の水で劇的な再会を遂げた。八の字ヒゲの似合うがっしりした出版編集者になっていた。八ちゃんはどうしているんだろう、今では誰も消息を知らない。ジュンペイ君は電気に詳しいので、東京の高校に進む直前に電話してお伺いを立てた。「名古屋で買ったラジカセ、そのまま東京で聞けるかな?」「大丈夫だと思うよ」彼の言ったとおり、大丈夫だった。
それから45年ぶりにジュンペイ君と会った。不思議なことに象さんのように大きくはなく、すっきりしまって落ち着いた紳士になっていた。Facebook で「いいね!」の御褒美に、懐かしさてんこもりのCD2枚組を渡してくれたのは先に書いたとおり。しかしこの紳士の奥行きはそれだけではなかった。数多い彼のシュミの一つに、こんなものがあったのですよ・・・・・
(拝借先は後ほどあらためて)
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