散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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冬はモズ夏はツバメを迎えけり(桃蛙)

2018-01-02 23:05:58 | 日記

2018年1月2日(火)

 昨日、縁側の手水鉢で水浴びしていた百舌君と、今日はずいぶんお近づきになった。

 

 午後の陽射しの中、青空を横切って冬枯れのケヤキの梢に止まり、首を傾げてあちこち見回している。やがてアンズの枯れ木に場所を変え、次に地面に刺した棒杭のてっぺんへ、さらには灌木に逆さに立てかけた熊手の先まで降りてきた。2メートルほどの至近だが、こちらを警戒する様子は全くない。スマホカメラを向けると、さすがにケヤキの高枝に退いた。しばらくするとまた降りてきて、首を傾げ、尾を上げ下げしてあたりを見回している。

 そのうちサッと地面に舞い降りて、すぐまた飛び立った。頭上のサザンカの梢で空の青を背景に、小さな土色のトカゲが細い嘴からぶら下がって見え、次の瞬間には呑み込まれてしまった。枝や農具に止まってあたりを見渡すのは酔狂ではない、高みから昆虫や小動物を探査し、見つけるが早いか最短距離で捕獲するのである。LINEの画像を見た息子たちの言う通り、丸っこくて白・茶・黒のパステルカラーの親しみやすい風貌とはミスマッチな小猛禽ぶりである。門を出て木小屋跡の🍊畑で作業していると、そこでもまた目が合った。好かれているかと錯覚しそうだが、先方は自分の行く先々について回るこの人間を怪しんでいるかもしれない。

   ← わが家の訪問者 / Wiki の画像(左:雄、右:雌)→  

  この鳥が雄であることは上記の通り確認ずみ。陽が傾いてきた頃、敷地の西端の柿の木のあたりでチュンチュンという鳴き声が聞こえた。こう書くとスズメのようだが、ずっと張りのある強い連続音で、明らかにもっと大きな体から出ている。すると、これに応じるようにキッキッキッキッという鋭い高鳴きが寒空を切り裂いた。こちらは東側のケヤキの梢が発信源。 鳴き交わすこと一、二合、いつの間にかどちらの鳥も消えていた。

 百舌はつがいを作って子育てするというが、連れ合いが夕暮れ時に呼びに来るということがあるだろうか。ありそうもない、むしろ縄張り争いの高鳴きだろう。いずれにせよこの鳥は鳴き囀りのパターンが多く、それで「百舌」と言うのだそうな。これまで春・夏・秋の帰省を繰り返しながら見ることのなかったこの鳥を、昨日来しきりに見かけるのも面白い。樺太や朝鮮半島の百舌は中国南部まで南下して越冬するという。このあたりのものは、山間から里へ降りてくるパターンだろうか。四国の山は険しく深い。

 冬はモズ夏はツバメを迎えけり(桃蛙)

Ω


戊戌に変法なるや否や

2018-01-02 17:53:14 | 日記

2018年1月2日(火)

 昨2017年が丁酉(ひのと・とり)、なので今年2018年は戊戌(つちのえ・いぬ)である。

 戊戌と言えば中国史上の戊戌変法、これが今から120年つまり二回り前のことになる。日清戦争の敗北で支配者らがいよいよ現実に直面した清朝末期、光緒帝を中心として明治維新に範を取る改革を試みる動きあり。これに先立つ洋務運動が「華魂洋才」の小手先改革に終わったのに対して、発想そのものを近代化しようとしたものと理解していたが、そう単純なものでもないらしい。

 何しろこれが1898年のこと、それから60年刻みで遡るとどうなるか、何か見えるか?

 1838、1778、1718、1658、1598、1538、1478、1418、1358、1298、1238、1178、1118、958、898、838、778、718、658、598、538、478、418、358、298、238、178、118、58、BC2…

 どうもならないよ、何も見えない。538年に仏教が本朝伝来というぐらいか。2-3年の誤差を許すなら、アメリカ独立とか西ローマ滅亡とか有象無象がちらつくけれど、当然ながら規則性などありはしない。

 ともかく清朝中国は窮して変ずることに失敗し、戊戌変法から10年余りで辛亥革命を迎える。当時の彼の国のように露骨な劫掠の危機に瀕しているわけではないが、重ねてきた無理の歪みと地球規模の生存条件の変動に、慢性的に圧迫されて酸欠状態なのは間違いない。

 ものの考え方の根本に関わる、ある種の変法を実行できるかどうか、目に見えるよりはずっと瀬戸際に近づいている気がする。2020年を期しての改憲などという類いの「変法」と、皮肉に連動してはいるが全く別の話である。

Ω


民謡やらオペラやら

2018-01-02 09:55:23 | 日記

2018年1月2日(火)

> 私はイタリア語で歌うために勉強しています。

おお、素晴らしいですね!
ひょっとしてオペラ歌手でいらっしゃる?
触発され、またちょっとおしゃべりを。

中学校の音楽教科書だか副教材だかに、外国の歌曲の原歌詞がカタカナで表記されていました。邪道かもしれませんが、おかげで今でも鼻歌するんです。
"スル・マーレ・ルツィカ、ラストロ・ダルジェント" とか、"ケ・ベラ・コーザ" とか ♪
高校音楽では "カロ・ミオ・ベン"、これはちゃんとアルファベットで表記されていましたよ。

それから大学でフランス語をかじった時「argent = 銀・金銭」と教わって、ある日の午後ぼんやりしてると空中にイメージが浮かんだんですね。
argent(仏)と、Argentina(アルゼンチン < 西)と、l'astro d'argento(伊)はすべて同根だと。
大げさみたいですけど、生きてて良かったと思いました。

歌曲についてはワグナーの楽劇にまず夢中になったんですが、賢そうな友人から「イタリア・オペラ聞かなきゃダメでしょ」と言われ、「へん、そうかい」とか反発しながらやっぱりそうかなと。
ちょうど私らの高校時代でしょう、『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『道化師』が紹介されて評判になったのは。
母校の音楽部がさっそく文化祭で前者に取り組んで、死を覚悟した主人公の『マンマ・ルツィア』の絶唱、惜しいかなテノール君の高音が伸びきらず・・・

そうそう「イタリア人の人生は三つの動詞でできている」っていうのは、どこで聞いたんだったか。
mangiare, cantare, amare ですよね?来世は日本人でなければイタリア人に生まれたい。
イタリア語で歌うTさん、あとの二つも充実した人生をお送りのことでしょう。

> なので文学はさっぱりです…。

そうなんですか?音楽と文学って相当かさなりませんか?
先に書いた『イタリア民話集』など、ぜひお楽しみ頂きたいなと思います。

  

> 近過去と遠過去は表していることは同じですが、後者の方が文語的に使われたりするようです。

ははあ、するとフランス語の複合過去と単純過去みたいなものでしょうか。

> 迷っていらしたならぜひイタリア語を!

承知しました。2018年の最初の決意、「今年はイタリア語入門」で参ります。
Buon anno!

Ω