散日拾遺

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名画『野いちご』の素敵な効用

2018-01-03 23:34:19 | 日記

2017年12月2日(土)・・・この日に書くはずだったこと

 イングマール・ベルイマン監督の『野いちご』、白黒時代の超名作映画である。S先生がこれを大学院授業に使うやり方が絶妙。あらかじめエリクソンの『老年期』を読ませておき、指導当日は一緒にこの映画を見て、それからじっくり感想を交わす。面白くてためになり、教員は楽ちん、win-win-win の幸せな構図である。僕もまねして「S先生が映画ならこちらは文学」とやってみたが、なかなか御本家のようにはいかない。

 二年続けて一緒に『野いちご』を鑑賞し、昨年とは何かが違っていることに気づいた。おそらくは「老い」というものがより近く、より内在的に感じられているのだろう。この感覚は憂愁を帯びているけれども、決して不快ではない。自分の無能と罪、それもひとつやふたつではない、夥しい繰り返しが思い起こされるようである。HY

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 ネタばらしは心ないことだが、たやすくネタがばれるほど底の浅い映画でもない。登場人物らの名前について少し書き留めておく。欧州人にはすぐ思い当たることだが、日本人で気づく人は少ないはずで、情報差を埋めないと対等の鑑賞ができないということもある。

 主人公はイサク、その名の由来は創世記に登場する人物、諸民族の父アブラハムの長子にして、イスラエルの祖ヤコブの父である。実際、主人公はヨーロッパ文明の二大潮流のうちユダヤ・キリスト教的な要素を代表する役割を帯びている。いっぽう、その兄弟で若い日にイサクの許嫁をそそのかして妻にしたのがジークフリート、これはワーグナーの指環四部作の主人公として有名なゲルマン/北欧神話の英雄の名で、Sieg(戦い)+ Fried(平和)が原義である。許嫁はイサクの善良さをよく知りながら、むしろその善良さが耐え難くてジークフリートの野性的な生命力を選んでいくのだが、このありふれた三角関係がヨーロッパ文明史の鮮やかな縮図になっている仕掛けが、名前からも察せられる。この許嫁の名がサラ、すなわちアブラハムの妻としてイサクを産んだ諸民族の母であるのも意味深い。エディプスのモチーフを重ねてみることも、また可能だろう。

 「イサクの許嫁のサラが、ジークフリートのアプローチに動揺して、せっかく集めた野いちごを一面に散らしてしまった・・・」

 一行の中にヨーロッパ二千年の葛藤が集約されている。

 さて、老教授イサクは名誉ある式典への旅の途中、若い三人組を車に同乗させることになる。この三人組が一女二男の三角関係で、要の位置にある娘の名がまたしてもサラである。(ヨーロッパ人は伝統的なファーストネームを大事に使い回すし、サラという名はきわめて人気のあるものだから、この設定自体はさほど非現実的でもない。映画の中では同じ女優の二役だったように記憶する。好演!)そして他の二人はアンデルスとヴィクトール。アンデルスは英語のアンドリューに当たり、十二使徒のアンデレに由来する名。ヴィクトールは周知の通りラテン語で勝利を意味する。名は体を表すの伝で、アンデルスは牧師志望の信心家、ヴィクトールは新時代の元気な無神論者だから、何から何までイサク vs ジークフリートの再現なのだ。そしてサラは ~ またしても ~ アンデルスの善良と窮屈よりもヴィクトールの自由な野性に惹かれつつある。

 ただ、三人の若者は葛藤を抱えつつも分裂を来すことなく、老教授イサクに心からの祝福を捧げた後、彼らの旅を続けていく。そこに修復と和解、新たな世代への期待が託されることになるが、旅の途中で闖入してきた退廃的な夫婦から若者らを守るために、老教授の息子の妻であるマリアンヌが毅然とした態度を示す場面も気になったりする。この夫婦が何を象徴するかは考えどころで、一つ面白いのはその一方(確か夫)がカトリックであり、それがことさら強調されている点だ。これまた日本人視聴者にはわかりにくく、キリスト教に関してはルター派プロテスタントが圧倒的に多い北欧の社会事情や、プロテスタントとカトリックの微妙な(きわめて微妙な!)ニュアンスの違いを踏まえないと、何も伝わらないか、ひどく間違ったことが伝わる恐れがある。

 言葉についてもう一つ指摘するなら、映画全体がスウェーデン語で進行する中で、老教授が顕彰される荘厳な式典はすべてラテン語で執り行われている。大学(university)における学問の普遍性(university)の証としてラテン語が用いられ、同様にカトリック教会のミサは全世界でラテン語の同一式文が用いられていた、そして映画は白黒であった古き良き時代の終わりに現れた名作が『野いちご』(1957)だった。

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 ひとつ宿題が残っている。老教授の息子エヴァルドとその妻マリアンヌは重要な準主人公だが、その名に何が託されているか、あるいは何も託されていないのか、不勉強でよく分からない。エヴァルドは英語のエドワードと思われ、だとすれば「古英語の ead(幸福、富)と weard(守り手)からなり、古英語の名前の中でもヨーロッパ各地に広まり受容された数少ない名前」(Wikipedia)とあるから、ヘブライズム・ヘレニズム到来以前のヨーロッパの古層を代表することになる。マリアンヌはメアリーとアンヌの合成形だろうから、いずれもユダヤ・キリスト教由来だが、実は近代フランス共和国の擬人化された別名がマリアンヌで、フランス文化圏の連想が強いから話がややこしい。古いエヴァルドと新しいマリアンヌの対照はあるものの、いずれもヘブライズム vs ヘレニズムの定型に乗りにくく、その意味でややこしくもありポピュラーでもある名を選んでいるとすれば、さしあたり腑に落ちる。

 名前だけでもたっぷり楽しめるのが、言葉にこだわる功徳なのでした。(写真は Wikipedia から)

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