散日拾遺

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何やっちょうや/わしゃ怒られたで!

2018-01-20 13:52:31 | 日記

 2018年1月19日(金)

 ラフカディオ・ハーンで、ちょうど松江の話が出たところ。

 朝ドラでは少し前に、安来節の踊り手を島根から大阪へ連れ帰る逸話が紹介された。大正年間の実話であろう、大衆文化の成長ぶりを活写して面白い。まもなく起きた関東大震災が大正12年の国難、くじけてなるかと翌大正13年、奇しくも同年に建設されたのが宝塚大劇場と甲子園球場である。

 演劇とスポーツ、今に続く国民的娯楽の二大拠点が、壊滅下の東京にエールを送るように関西(いずれも兵庫県!)に建てられのも興味深い。時あたかも干支のはじめの甲子(きのえね)、新時代へ踏み出す大正末年の活気が伝わるようだ。

 郷里の家にはこの時期に出版された書籍が数多く残っているが、概して紙質も装丁も立派で劣化が少なく、驚くほど古びていない。それが昭和の戦時に入るにつれどんどん見窄らしくなり、行き着く先が敗戦直後の惨状である。

 それはさておき、久々に聞いた島根の方言が懐かしかった。僕は松江、ドラマは安来、括る名称は「出雲弁」か。松江、安来、出雲は至近隣接していても、丁寧に見れば風土や文化の違いが明瞭にある。一絡げは失礼というものだが、それでも共通要素はあるわけで。

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「何やってるの」と東京で言うところ、松江では「何やっちょうや」
「ここにあるじゃないか」は「ここにあーが」

 ついでに名古屋弁を並べて見ようか、

「何やってるの」は「何やっとるんだ」、ただし「と」にイントネーションのピークを置くのが絶対条件で、全体に粘稠な感じを醸すのも大事。
「ここにあるじゃないか」は「ここにあるがや」、「あーが」と微妙に似てくる。

東京では「じゃんけんぽん」「あいこでしょ」、松江は「やっきっきっ」「おーらーきっ」
強勢形で「やっきの◯◯が破裂した!」なんて威勢良いのもあったな。

愉快なのは罵り言葉である。

東京: 「バカ」「バカヤロー」

大阪: 「アホ」「アホンダラ」

松江: 「ダラ」「ダラクソ」

「ダラ」は「アホンダラ」のダラなのかな。「あるが」が「あーが」になる(一種の音便?)ように、「だら」は「だあ」と聞こえた記憶あり。そして、

名古屋: 「タワケ」「クソタワケ」

 これも「わ」の w音が弱まって「タァケ」というように聞こえる。転校していって最初の口げんかで「タァケ!」と罵られたときは、ちょっと新鮮な感動があった。時代劇の言葉だと思っていたら、ちゃんと生きて使われているのだ。

「バカの大足、タワケの小足、ちょうどいいのはクソタワケ」

なんて、三方一両損みたいな「はやし言葉」もあったっけな。

 そうそう、ある冬に松江の空き地で雪合戦をしていて、雪玉をぶつけられた同級生が怒り心頭に発して発した言葉が、

 「もうわしゃ、怒られたで!」

 叫ぶなり痩躯を踊らせて相手の陣地へ突進していった。「怒られた」は受身ではなく自敬表現で、「今度こそ俺サマは怒ったぞ!」というほどの意、ホントに腹が立ったんだね。もっとも「わしゃ怒られたで」はやっぱり壮丁に似つかわしいタンカ言葉、それを小5の内藤栄一郎君(元気かなぁ)が怒りにまかせて叫んだのが、思い出しても微笑ましいのである。ちなみに内藤君、ある時いちばん好きなことは何かと訊かれ、「コタツで煎餅食べながら日本シリーズを観ること」と答えたものだった。

 なお、「タワケもの」などとそれらしく書いたのを見ることがあるが、少なくとも名古屋では「タワケ」と言っても「タワケもの」とは言わないはずである。「バカもの」とは言うが「アホもの」と言わないのと同じ、「ダラもの」も聞いたことない

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 松江で三年間の後、山形の一年をはさんで次は名古屋である。N中金も乱暴な転勤をさせるものだが、おかげで面白いこともたくさんあった。言葉については、松江と山形で方言のありようがまるで違うのに、どちらも「なぜ」を「なして」というのが不思議だった。

 「日本海側は昔から海運が発達し、海で文化がつながっている。松本清張の小説でも云々」といった高説はもっともだけれど、山形県も海沿いの庄内と内陸の山形ではだいぶ事情が違っているし、逆に「なして」以外に目立った共通点のなかったことの説明がつかない。

 「なして」は「なぜ」に似ており、東北の「なじょして」から九州の「なし」までヴァリエーションがきわめて広く分布している。ただ、四国では「なに」「なん」に限り、「な」の後に s/z 音の付く変化はないように思われる。

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「言葉は自由だ」と、広辞林第7版のキャッチフレーズ。これって、仕掛けてるのかな。

 「空はきれいだ」という意味の「言葉は自由だ」 ~ 「自由だ」は形容動詞、言葉という静置された対象を叙述する。

 「知は力だ」という意味の「言葉は自由だ」 ~ 「自由だ」は名詞+助詞、言葉そのものをダイナミックに言い換える。

 どちらに取ってもいいよ、というメッセージが仕掛けられているような。どちらにしても方言の豊かさは、言葉の自由の良き例証に違いない。 

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