散日拾遺

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鬼のわきまえ/電車で行く道、帰る道

2018-01-25 13:17:24 | 日記

2018年1月24日(水)

 今昔物語、27巻13話は『近江国安義橋鬼噉人語」(噉=くらう)

 虚勢を張ったばかりに鬼に目をつけられ、遂に喉笛を食い切られてしまう男の話だが、一話の内に「鬼」なるものの特性が現れていて面白い。

 鬼は恐ろしいものだが万能ではない。たとえば人里に自在に出入りすることはできず、言わば人と住み分けている。男が鬼に悪まれたのは、鬼が出るという寂れた橋にキモだめし感覚でのこのこ出かけていったからで、まったくもって無用の挑発、「触らぬ神に祟りなし」とはこのことである。

 鬼は「身の丈九尺(!)、三本の指、爪は五寸許にて刀のやうなり」という代物、とても人の太刀打ちできる相手ではないのだけれど、それでもいきなり襲いかかるような野暮はしない、まずは妖艶な美女に身をやつすという洒落た入りが常套手段。

 「薄色の衣のなよやかなるに、濃き単、紅の袴長やかにて、口覆して、破無く心苦気なる眼見(まみ)にて、女居たり。打長めたる気色も哀気也。我れにも非ず、人の落し置たる気色にて、橋の高欄に押懸りて居たるが、人を見て、恥かし気なる物から、喜(うれし)と思へる様也。男、此れを見るに、更に来し方行末も思えず、「掻乗せて行かばや」と、落懸ぬべく哀れに思へども、此に此る者の有るべき様無ければ、「此は鬼なむめり」とて云々」

 このあたりの描写は特に新奇でもないのに艶めかしくスリリングである。男の邪心をそそっている訳だが、さすがのお調子者も「鬼なむめり」と心づいて通りすぎようとした時には、もう見逃してくれはしない。「欲情を抱いて女を見るものは、既に姦淫を犯したのである」というイエスの言葉を知るかのように、鬼は男の行為でなく心根に食らいついている。

 これでもう運命が定まったようなものだが、仕上げは得意の「なりすまし」である。昨今の振り込めサギ事件さながら、悪いやつは決まって最も親しい存在になりすますこと、赤ずきんちゃんだの今昔物語だのがこぞって警告してきたところだ。

 男が堅く物忌みするところへ遠国から帰った弟が門を叩き、母の喪を伝えて男の孝心に訴え、うまうまと屋内に入り込む。こういった段取りを踏まずに押し入ることはできない、あるいはしないのが鬼の矜恃か。 もってまわった段取りの末、室内で対面するやにわかに本性を現して男に襲いかかるが、姿はなお弟のそれである。

 男も必死、かろうじて相手を組み敷き、居合わせた妻に「剣をよこせ」と叫ぶが、兄弟喧嘩と思いこんでいる妻は「気でも違ったの」と渡そうとしない。「よこせったら、俺に死ねってのか!」と男が叫んだその瞬間、逆転して馬乗りになった鬼が「頚をふつと咋切(くいきり)落とし」、踊りあがって喜色を表すや、掻き消すように姿が失せた。

 今昔物語の締めくくりは登場人物らに手厳しい。「由無き諍をして遂に命を失ふ、愚なる事とぞ、聞く人、皆此の男を謗ける」は自業自得として、剣を渡さなかった妻が「然れば、女の賢きは弊(あし)き事也けり」と決めつけられるのは、少々気の毒に思われる。

***

 読み終えて下車するとメッセでビジネス関係の催し物か、海浜幕張のホームはビジネススーツの大渋滞。左後に関西訛りの一行あり、遠路の出張らしい。中の女性が男性らに、最近の見合い話を面白おかしく語っている。

 「いきなり東京の人を紹介されたんですよぉ、あと、どうせえ言うんでしょうね」

 「そら意味わからん」「意味わからへん」

 そう決めつけたものでもない、現にあなた、東京越えて千葉まで出張に来てるんじゃないの。物語の種は日々生み出されている。生み出す力はあなた方の内にあるんだ、ひとつ頑張ってみましょうよ。

***

 会議を長くする人はどこにでもいるもので、帰りはすっかり遅くなった。寒空にすきっ腹を抱えて東急線に乗り込んだら、目の前に座った中年の男女三人が筒抜けの大声でしゃべっている。一分と経たないうちに状況がすっかり飲み込めた。どこかの精神科病院にデイケアか何かで出かけ、一日過ごした帰り道の患者さん仲間である。何で分かるかって?そりゃ本職だもの、思い込みではない証拠が以下の会話。

「あたしさ、今日が診察日だったの。あんたらも水曜日だよね?診察だれ?院長?」

「院長」「院長」

「いいなあ、私理事長なの」

「理事長」「理事長ね」聞き手の二人が苦笑している。

「理事長の診察、いつも話が長くってさぁ、よっぽどしゃべりたいんだろうねぇ。でもストレスたまるんだろうからさ、解消になればいいかと思って、ニコニコしてつきあってんだ」

「大変だよね、看護師さん、来てもすぐ辞めちゃうし」

「元気出してほしいよね、あたしらのためにもさ」

 どこの病院だろう、訊いてみたいのをこらえ、最寄り駅まで10分余りの傍聞きを楽しませてもらった。患者さんたちはよく見ているし、何でも知っている。オフレコのはずのスタッフの異動情報を、患者さんから教わったことなど一度ではなかった。誰が誰を支えているのか、気がつくと分からなくなっているのが、この世界の不思議である。

 長男が二歳ぐらいの時、寝かしつけると称しては、決まってこちらが先に眠り込んでいた。「父しゃん、寝た」と息子が起き出して母親に報告するのが常だった、らしい。山上憶良の風景。

Ω