散日拾遺

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見えないものを見えるようにする人

2018-12-26 23:52:56 | 日記

2018年12月26日(水)

 毎朝配信のm3問題、今朝はこんなのである。

 「画像1は、スイス出身の現代美術作家であるパウル・クレー(Paul Klee; 1879-1940)の死の前年(1939年)の写真である。 この写真から、クレーが罹患していたと最も考えられる疾患は次のうちどれか。」

 写真は白黒。写っている初老の男性の額は広く長く、その下で瞳がぐっと見開かれ、高い鼻筋の下で薄い唇が固く結ばれている。髪をきれいに撫でつけ、背後に作品らしいものが見えている。

 くどくど書くより著作権フリーの画像を転載すればすむことだが、ここでは控えておく。ある人の死をもたらした病気の名を当てる、もっぱらそのヒントとするため遺影を掲げることは医学の修練のためなら許容されるだろうが、お楽しみブログの分際を越えている。

 もうひとつ引っかかること、出題者の意図は分かるけれども論旨に無理がある。パウル・クレーの命取りになった「謎の病気」は、Wikipedia では「皮膚硬化症」などと書かれているが、おそらく今日でいう全身性強皮症(systemc sclerosis)と推定される。

 出題者は一枚のスナップから「仮面様顔貌を呈していたことがよみ取れる」とし、「仮面様顔貌は Parkinson病の症状として有名であるが、全身性強皮症や精神疾患でも見られる。強皮症で仮面様顔貌を呈するのは、顔面の硬化で表情が乏しくなるからである」と解説する。しかし少なくとも Parkinson病や精神疾患の場合、仮面様顔貌は表情筋の動きの乏しさの結果として生じるのだから、短時間であれ動きを観察してからでないと正確な診断はできない。一枚の静止画像では、仮面様顔貌の疑いをもつことはできても断定はできない理屈である。皮膚科のことはよくわからないがたぶん同様、全身性強皮症という結論を知っているために「仮面様顔貌」が読みとれてしまうとしたら、危険なことではあるまいか。

***

 パウル・クレーもクラムスコイ同様に懐かしい名前である。『忘れえぬ人』の 1976-7年頃の来日についてはウラが取れなかったが、1976年に東京で『パウル・クレーとその友達展 Paul Klee und seine Malerfreunde』が開催されたことは、これこの通り間違いない。忘れんぼのE君は忘れえぬ人を忘れていたが、О君の方はパウル・クレーを覚えているんじゃないかな。『友達展』とか『棟方志功展』とか、確か彼と足を運んだのだ。


 パウル・クレー(1879-1940)もまたナチに追い回されたこと、76年当時は知らなかった。似たところも別にないのだろうが、僕の雑然たる頭の中ではなぜかルネ・マグリット(1898-1967)と並んで浮かんできたりする。

 クレーの言葉として下記のものが知られる。

 「芸術は見えないものを見えるようにする」

 「目には見えないものも、心の中では見ることができる」と中学の同級生が教えてくれた。その下の句にあたるのがクレーの画業である。心の中でしか見えないものを、目に見えるようにしてくれるわざ、そうと気づいていたら画家になってみたかった。

 病を得るよりずっと前の、若き画家の写真を掲げておく。よい表情、とりわけ魅力的な瞳である。

Wikipedia より拝借

Ω

 


畏友が定年後に開花のこと

2018-12-26 18:05:12 | 日記

2018年12月26日(水)

 すっかり遅くなった。先週の新聞記事から。

 畏友・櫟原(ひらはら)利明君に白羽の矢が立った。日本相撲協会が暴力問題対策を進めるため、コンプライアンス委員会を発足させる。あわせて「教育研修担当顧問には元参院法務委員会調査室長の櫟原利明氏が就任」と記事の下から三分の一あたり。

 いよいよ活躍の時。彼は幼少時からの相撲愛好家だが、見るだけの愛好家でなく自らとる人だった。好きが嵩じて、自分の通った中学・高校・大学の全てに相撲部を作る。中高は残念ながら後継者が得られず続かなかったが、彼の創設した東京大学相撲部は立派に活動を続けて発展中である。

 彼とは教養課程のドイツ語クラスで出会った。ロシア・アルメニア通のE君、ミルクワンタンの О 君、高校時代からの悪友 R などが一緒である。相撲部創設の際にも声をかけられ、もともとスポーツマンのО君は初代の主力選手になったが、僕は三日と続かず逃げ出した。それでも見限ることなく、披露宴ではよく通る相撲甚句で寿いでくれた。コーラス向きの美声でもある。

 僕も相撲は大好きなので知った風なことを当ブログに書くが、そのつど後で高閲を乞うている。多少とも詳しく語れるのは彼の薫陶のおかげ、卒業後の職業経験も幸いしてこれほどの適任者は他にありえない。定年後のこの開花、彼のためにも相撲道のためにも朗報と聞く。

(記事が読めちゃうと日経さんに怒られるかもしれないので、わざと小さく転載)

Ω