散日拾遺

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サメのアイデンティティ・クライシス

2020-03-29 07:53:33 | 日記
2020年3月28日(土)
 「外出自粛」大号令の週末、そうでなくとも土曜日は怠けるに決まっている。午後、BSで『クリスタル殺人事件』がかかっているのをダラけながら観た。1980年の映画で原作はアガサ・クリスティのミス・マープルもの、"The Mirror Crack'd" という原作タイトル(邦題『鏡は横にひび割れて』)は、テニスンの "The Lady of Shalott" に由来するらしい。
 詩のタイトルを「シャロットの女」と訳す例が多いようだが、「女」は少々乱暴である。Lady は高貴な筋の女性として妃・姫に準じるもので、『チャタレイ夫人の恋人』(原題:Lady Chatterley's Lover)も本来なら『チャタレイ令夫人の』としたいところ。ダイアナ妃(Princess Diana)はPrincess の地位を離れてからは Lady Diana と呼ばれたように記憶する。
 なので「シャロット姫」と呼びたいこの主人公は塔の孤独な住人で、鏡を通してのみ実世間を見ることが許され、直接外の世界を見れば死ぬという呪いをかけられている。しかし、湖の騎士ランスロットの姿を鏡の中で見た時、もはや心は抑えがたくキャメロット城の方角を直視してしまい、鏡は割れ呪いが降りかかる。
 死を覚悟したシャロット姫が城を出て小舟に身を委ね、川を流されつつ哀歌を口ずさみながら息絶えていく、一連の伝説風景が画家に題材を提供してきた。

 
John William Waterhouse "The Lady of Shalott" (1888)

 映画の方は、エリザベス・テーラーとロック・ハドソン(『ジャイアンツ』(1953)で夫婦役を演じたコンビの27年後の再共演)をはじめ、ジェラルディン・チャップリン、キム・ノヴァク、トニー・カーチスといった往年の名優の競演が楽しめてコスパが高い。15分ほども経って初めて、以前一度観たことに気づいたが、ずいぶん前のことで鑑賞の邪魔にはならない。
 きれいな英語なので、字幕と見比べて気づくことがいろいろあり、それがこの場の本題である。
 メイドが「居間」と言ったら、ミス・マープルが「客間」と訂正した。音声は「”lounge" じゃなくて "drawing room" よ」と言っているが、どうなんだろうか。
 イギリスを訪れたアメリカ人女優という設定の主人公が "All right, I'll check it out." と言った後で、「まあ私ったら "check" だなんて(がさつな)アメリカ式でごめんなさいね」と謝ったりする。
 随所に楽しみがあり洋画は字幕に限るというものだが、ときどきしかめっ面になってしまうこともあって。

 主人公の女優にはつらい過去があり、中でも長い不妊の後にさずかった子どもの誕生が悲劇的なものであった。悲劇の内容は「死産」だとばかり、最初に見た時から思い込んでいたが、"mentally retarded" という言葉が今日の耳に引っかかった。重い障害を負って生まれ、早世したか施設生活を余儀なくされたかで、実質的にわが子を抱くことができなかったという設定らしい。
 何となく字幕を追っていた家人はてっきり「死産」と思ったというから、あながち記憶違いばかりでなく、字幕にも責任がありそうである。どちらであっても話の展開に影響するものではないが、医学的な考証の観点からは見逃せない微差が生じる。ネタばらしになるのでここまでにしておくが、助産師の kokomin さんは既にピンと来ているかもしれませんね。(コメントありがとうございました。)

 もう一つ、二人の大女優が実は犬猿の仲である。スコットランドヤードの警部から「彼女らは仲が良かったか」と聞かれ、ジェラルディン・チャップリン扮する秘書が答えてのけたこと。
 「仲が良かったか、ですって?二人を一緒にサメの水槽に放り込んだら、サメがアイデンティティ・クライシスを起こすでしょうよ(the shark would have an identity crisis.)。」
 これには吹き出した。獰猛苛烈な鬩ぎ合いにサメもどん引きするだろう、というのだが、アイデンティティ・クライシス(同一性危機)などという術語をさらりともちこむのが英語脚本らしいところで、残念ながら日本語ではなかなかうまくいきそうにない。それで字幕翻訳者の苦肉の策は、二人を一緒にサメの水槽に放り込んだら、
 「サメが自殺するでしょうよ」
 というのだった。
 苦しいな、どうも。敢闘賞は喜んでさしあげたいが、技能賞とは言いがたい。じゃあどうするのかと訊かれたら、ここは敢えて「アイデンティティ・クライシス」で押したいと思う。そこで笑えず、何のことだろうと後で考える視聴者があるなら、長い目で見れば正解ではないだろうか。

 そういえば映画の邦題『クリスタル殺人事件』、どこがどうクリスタルなんだろうと首を傾げたが、これは訳がわかりました。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が発表されたのが1980年、翌81年には芥川賞候補にも挙げられて「クリスタル」が流行語になった。その時期にこの映画が日本公開されたのでしたね。「鏡」と「クリスタル」が縁語でもあるかな。

https://re940blog-79461419.at.webry.info/201009/article_14.html より拝借

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