散日拾遺

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だれもが愛しいチャンピオン

2020-07-08 08:18:50 | 日記
2020年7月7日(火) 勝沼さんから「塾」のMLに発信あり:
 石丸先生、AB先生
 先月は貴重な勉強会の機会をありがとうございました。  
 18年前、桜美林の学部の授業でAB先生を見かけた時、周りにいた学友の方々が自然にサポートしていた姿を思い出しました。

 自由連想的な話になりますが、障害者と周囲の人々との関係について一本の映画をご紹介したいと思います。
 日本ではDVDが出たばかりのスペイン映画で『だれもが愛しいチャンピオン』という知的障害者のバスケチームを描いた映画があります。この映画に出てくるのはオーディションで選ばれた本当の知的障害者の人々。
 日本だと頑張る障害者に感動する映画にしてしまうところですが、この映画は全くの逆です。頑張るべき、変わるべきは彼らと向き合う私達であるという強烈なメッセージがこの映画にはあります。
 こういった映画が興行収入で年間1位になるスペインの映画界がうらやましいです。日本では単館上映でしたが、DVDが出たばかりなので、TSUTAYAの新作コーナーにあるかもしれません。



2020年7月8日(水) 返信:
 勝沼さん
 貴重な情報をありがとうございました。久々に勝沼さんから映画の話を伺いましたね。

 スペイン映画と云えば、古くは『汚れなき悪戯』(1955)
 近いところで『ペーパーバード - 幸せは翼にのって』(2010)

 この二作だけが突出して記憶に残っているというお恥ずかしい状態、実はとても質の豊かなスペイン映画界だったのですね。ぜひ見てみます。

 勝沼さんのコメントから私も連想あり、「ノーマライゼーション normalization」という言葉は確かデンマークの知的障害者家族運動が発信源で、御承知のように「本人の機能を高めてノーマルな水準に到達させる」という意味では全くなく、逆に「障害のある人々がそれをハンディキャップにすることなく暮らしていけるよう、社会の方を作り替える」という意味であったかと思います。この基本事項が日本ではまだまだ浸透していないでしょう。
 何も難しい話ではなく、要するに「変わることのできる側が変わる」しかないのだし、「この相手のためなら、一つ自分を変えてみようか」と思える関係が人生の醍醐味であり、「愛」などといったものもつまるところ「相手のために自分を変える用意があるかどうか」にかかっているのだろう、ついでに「相手の必要に応じて変わることのできる自分を誇りにする」といった心の姿勢もあってよいのではないか等々、とめどなく思いの広がる朝でした。

 そうそう私、『タクシー運転手 ー 約束は海を越えて』を見ましたよ。
 1980年当時を思いだし、SNさんなら会話の内容や、ソウルと光州の方言の違いなども聞き取れるだろうにと羨みつつ(ボキャが不明でも、釜山あたりの語調の激しさがソウルと違うぐらいはわかるんですが)、笑って泣いて憤り、そして考え込みました。

 国中が激しい風雨の中にあります。皆さんどうぞ御無事でお過ごしください。



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