散日拾遺

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リハビリテーションの起源が教えること

2021-08-30 08:24:32 | 日記
2021年8月21日(土)に戻って

 負うた子に教わり続ける学生・院生指導。
 「リハビリテーション」の成立経緯を世界史的に振り返るとき、戦傷者の治療および機能回復というテーマが、大きな追い風になったとA院生が報告する。たとえばアメリカの場合、第一次世界大戦後の復員兵に対するそれが最初のきっかけであった。『ジョニーは戦場へ行った』(※)の位相であり、ヨーロッパで戦争神経症(戦場神経症)が注目されたのも同じ時期。
 (※ "Johnny Got His Gun" ダルトン・トランボによる原作は1939年、著者自身が監督した同名の映画は1971年。ただしその趣旨は反戦であって復員兵福祉ではない。)
 対するに、日本でリハビリテーションが徐々に日の目を見るのは1960年代のことであるが、この国では戦傷者(傷痍軍人!)の機能回復という契機はほとんど作用しなかったとA院生の要約。

 このあたりの精密な検証は大事な宿題として残しておこう。さしあたり、田舎家の作業室でZoom越しに聞いた瞬間の小電撃。
 1868年の近代日本出発以来1945年の瓦解に至るまで、それこそ数え切れないほどの「傷痍」を抱えてきたこの国は、戦後の「復興」の中でその傷を癒やすことを、ついぞ主題としてとりあげてこなかった。悪しき記憶ゆえに「軍」が否認されたということでは説明がつかない。職業軍人ばかりでなく傷ついた応召兵、さらには民間人の戦争被害も、社会として「リハビリテーション」に注力する動機づけとならなかったのである。「お国の大事」のために動員され、命がけで戦って傷ついた人々を癒やし、その機能を回復することは、もっぱら個人と家族の自助努力に委ねられてきた。金銭的な保障はこの文脈ではむしろ皮肉な意味さえもつだろう。受難者に対する公からの手切れ金・・・
 一本の線が浮かび上がってくる。戦傷者を大事にしない社会は、戦争以外の災害の被災者をも大事にしない。公害病患者を大事にせず、ハンセン病患者を大事にせず、精神障害者を大事にせず、犯罪被害者を大事にせず、コロナ感染者を大事にせず、コロナ禍との戦いにおいてハンディキャップを負う社会的弱者を大事にしない。外国人寄留者を大事にせず、いわんやアフガニスタンに置き去りになる人々を大事にすることなど到底できない。何のために社会を営むかという基本認識が、今なお確立せず共有もされないからである。
 とりあえずここでいったん置く。際限なく続くだろうから。

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