2023年2月9日(木)
ママ友つながりのある日の集まりで、
「大石内蔵助の名は、ナゼこの字で『くらのすけ』なのか、そもそもどういう意味か?」
と話題になったそうな。歴史や文学の勉強会ではない、純然たる茶飲み話である。女性たちのおしゃべりが今日もこうして文化を支える。
「それはわかるかな、なんとなく」
「なんで?」
内蔵という字からは、役所なり屋敷なりの財産を収めた「くら」の意味が読み取れる。助は「かみ・すけ・じょう・さかん」の「すけ」だから…
「財務次官?」
「それとも納戸の見張り番か、そんな感じだろ、たぶん」
おさらいすると、「かみ・すけ・じょう・さかん」にあてる漢字は…
- 神祇官: 伯・副・佑・史
- 省: 鄕・輔・丞・録
- 職: 大夫・亮・進・属
- 寮: 頭・助・允・属
- 国: 守・介・掾・目
と、こんな具合。
一番えらいのが「かみ」、それを助ける「すけ」までは和語で見当がつくが、「じょう」と「さかん」は一見して漢語(丞・佐官)である。四等官も和漢混合か。
四者は偉い順の序列かと思っていたが、「じょう」は監査役、「さかん」は書記官との解説があり、それなら単純な上下関係ではなく職掌の分担である。
軍隊の階級は将(かみ)・佐(すけ)・尉(じょう)、これははっきり上下関係だが、現実には佐官級がしばしば突出して事を起こした。満州事変当時の石原莞爾は中佐、ヒトラー暗殺を企てたフォン・シュタウフェンベルクは大佐である。
話を戻して、赤穂浪士討ち入りの頭目となった大石良雄(万治2/1659~元禄16/1703)は播磨赤穂藩の筆頭家老。官名から大石内蔵助と称されるなどとあるが、こうした場合の「官名」は何のどういう権威に根拠づけられるものか、甚だ疑わしい。
さかのぼって織田「上総介」や羽柴「筑前守」などは、律令制度の凋落に乗じて武家が好き勝手にハッタリをかました典型例で実体は何もない。江戸時代には勝手の名のりがほとんど制度化していたようである。
そもそも「内蔵助」と書いて「くらのすけ」と読ませるなど、意味をとって読みをあてる奔放さは、ある種のきらきらネームと発想が変わらない。万葉この方この国の民は、似たような発想で右往左往してきたのに違いない。
考えるほどに、「名前」というものの意味がよくわからなくなってくる。
***
家族限定・門外不出の隠語といったものは、どこの家庭にもあるものだろうか。
古典落語の中で来客に菜をふるまおうとした御亭主に、奥方が「鞍馬山から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官」と伝えると、御亭主が「じゃあ義経にしとけ」と答えるくだりがある。
九郎判官は「喰ろうてしまって、ございません」、義経は「それならよしておこう」というココロである。
なかなかそうはきれいに決まらないと思っていたところ、最近それらしい会話が一つできた。
あきらめていた頃に授かった一人娘を、文字通り目の中に入れても痛くない体で可愛がる御仁が遠縁にある。可愛い娘ならなおのこと、ほどほどにしつけなければと周りが気をもむのだが、誰が見てもあたりまえのことを実行できないのが親バカの本領である。
噂に聞いていたその溺愛ぶりを実見する機会が正月にあった。「どうだった?」と帰宅後に家人に聞かれて咄嗟に口から出たのが、
「うむ、ありゃあ立派な天武天皇だな」
「だれ?」
「おおあまのおやじ」
…通じたのかどうだか、よくわからない。
Ω