2014年3月31日(月)
朝日朝刊の囲碁欄から。記者は春秋子。
・・・記者の好きな柳のエピソードを一つ。19年前、天元を神戸市で防衛した柳は、その年に起きた阪神淡路大震災(の復興)のために優勝賞金の半分近くを寄付した。これだけなら単なる美談だが、後日談がいい。
「父に叱られました。なぜ全額を寄付しなかったのかと。」(柳)
僕の好きな棋士の一人で、これも勝手に師と仰ぐ高尾九段との対局譜が、ただいま連載進行中である。
***
柳 時熏(りゅう しくん、류시훈、ユ・シフン、1971年12月8日 - )
韓国ソウル市出身、日本棋院所属、九段、大枝雄介九段門下。天元戦4期、王座戦1期、棋聖戦挑戦など。棋風は全局的に手厚く、スケールの大きな攻めと柔軟性が特長。
1986年来日、日本棋院院生となり1988年入段。
1990年に24連勝を含む42勝6敗の成績で棋道賞新人賞を受賞し、若手の中で頭角を現す。1991年に兵役免除となり、91、92年に棋聖戦四段戦で連続優勝、1992年には最高棋士決定戦に最年少で出場。同年、新鋭トーナメント戦で棋戦初優勝。1994年六段で天元戦挑戦者となり、「心の底から尊敬する」林海峰天元との五番勝負では、23歳の誕生日である12月8日の4局目に勝って3-1とし、天元位を獲得。史上最年少で天元となる。入段から6年8ヶ月での七大タイトル獲得は史上最短記録となった。以後、天元3連覇。
以上は Wiki のコピペ。
付記するなら、彼の御先祖には柳成龍がいる。
柳 成龍(りゅう せいりゅう/ユ・ソンリョン、1542年 - 1607年6月7日(大統暦万暦三十五年五月十三日))
李氏朝鮮の宣祖に仕えた宰相で、文禄・慶長の役に活躍した。字は而見。号は西、諡は文忠。派閥は東人(分裂後南人)。
1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵が起こると、領議政に任命され宣祖と共に平壌に退き、都体察使などの要職を歴任して国政を主導した。金誠一や権慄などを抜擢し、特に同じ村の出身で幼時から面識のある李舜臣を優遇したのも柳であった。
いったん失脚するも戦功を重ねて復権。再び領議政となり、朝鮮全軍を指揮する立場となった。また訓錬都監を創設し、壊滅した軍の再建にも努めた。讒言により再度失脚の後は、亡くなるまで執筆活動に専念した。
柳成龍は囲碁の名手でもあり、これにまつわる逸話が多く残されている。非常に廉潔であり清貧に甘んじていたが、この実情を聞いた多くの民衆が彼の家を尋ねて資財を献じたという。
その子孫の柳時熏、数年前には日本人女性棋士と結婚した。
歴史の経(たて糸)と緯(よこ糸)の、結びめのような存在である。
ここらでまた、大輪の花を咲かせてほしい。
朝日朝刊の囲碁欄から。記者は春秋子。
・・・記者の好きな柳のエピソードを一つ。19年前、天元を神戸市で防衛した柳は、その年に起きた阪神淡路大震災(の復興)のために優勝賞金の半分近くを寄付した。これだけなら単なる美談だが、後日談がいい。
「父に叱られました。なぜ全額を寄付しなかったのかと。」(柳)
僕の好きな棋士の一人で、これも勝手に師と仰ぐ高尾九段との対局譜が、ただいま連載進行中である。
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柳 時熏(りゅう しくん、류시훈、ユ・シフン、1971年12月8日 - )
韓国ソウル市出身、日本棋院所属、九段、大枝雄介九段門下。天元戦4期、王座戦1期、棋聖戦挑戦など。棋風は全局的に手厚く、スケールの大きな攻めと柔軟性が特長。
1986年来日、日本棋院院生となり1988年入段。
1990年に24連勝を含む42勝6敗の成績で棋道賞新人賞を受賞し、若手の中で頭角を現す。1991年に兵役免除となり、91、92年に棋聖戦四段戦で連続優勝、1992年には最高棋士決定戦に最年少で出場。同年、新鋭トーナメント戦で棋戦初優勝。1994年六段で天元戦挑戦者となり、「心の底から尊敬する」林海峰天元との五番勝負では、23歳の誕生日である12月8日の4局目に勝って3-1とし、天元位を獲得。史上最年少で天元となる。入段から6年8ヶ月での七大タイトル獲得は史上最短記録となった。以後、天元3連覇。
以上は Wiki のコピペ。
付記するなら、彼の御先祖には柳成龍がいる。
柳 成龍(りゅう せいりゅう/ユ・ソンリョン、1542年 - 1607年6月7日(大統暦万暦三十五年五月十三日))
李氏朝鮮の宣祖に仕えた宰相で、文禄・慶長の役に活躍した。字は而見。号は西、諡は文忠。派閥は東人(分裂後南人)。
1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵が起こると、領議政に任命され宣祖と共に平壌に退き、都体察使などの要職を歴任して国政を主導した。金誠一や権慄などを抜擢し、特に同じ村の出身で幼時から面識のある李舜臣を優遇したのも柳であった。
いったん失脚するも戦功を重ねて復権。再び領議政となり、朝鮮全軍を指揮する立場となった。また訓錬都監を創設し、壊滅した軍の再建にも努めた。讒言により再度失脚の後は、亡くなるまで執筆活動に専念した。
柳成龍は囲碁の名手でもあり、これにまつわる逸話が多く残されている。非常に廉潔であり清貧に甘んじていたが、この実情を聞いた多くの民衆が彼の家を尋ねて資財を献じたという。
その子孫の柳時熏、数年前には日本人女性棋士と結婚した。
歴史の経(たて糸)と緯(よこ糸)の、結びめのような存在である。
ここらでまた、大輪の花を咲かせてほしい。