2017年4月6日(木)から10日(月)にかけて:
要するにミーハーなんだと思うが、サクラは人並み(以上)に好きなのである。文京SCのゼミで可愛い猫の写真を見た後、忘れ物をした。PC回りの小さな小物で、ないと厄介だがわざわざ取りに行くのもシャクに触る。幸い翌日6日は木曜日、午後から御茶ノ水で仕事がある。これ幸いと茗荷谷から御茶ノ水まで散歩することにした。今度はこの間みたいに迷わない、春日通りを一本だもの。
首尾良く忘れ物を回収、最高気温21℃、風の強い薄曇りの中を写真とりながら東へ歩いた。古今東西花相似、どこもかしこも都下一斉の花盛りを徒歩で確認である。
← 茗荷谷のサクラ
↑ 500m東、播磨坂さくら並木。「第46回 文京さくら祭り」
← さらに900m東、伝通院正面+背後に覗くサクラ
浄土宗伝通院は家康の建立、増上寺・寛永寺とならぶ江戸の三霊山に数えられ、徳川氏ゆかりの人々、特に女性や子どもが多く埋葬されているという。伝通院の名は、家康の母・於大の方の法名に因むのだと。今度あらためて訪ねてみよう。岡崎に城を構えた家康の父方には異能の奇人の気配があるのに対し、刈谷に本拠を置く母方の水野氏は鷹揚円満な大人の気風だったようで、そのハイブリッドが天下人を生んだ。於大の方は満74歳と当時では長命し、江戸開府の前年慶長7年に没した。
↑ ずっと進んで富坂の下り、道の向かいに春日局の銅像
富坂は「とび坂」の訛りだそうで、このあたりに鳶が多かったので「鳶坂」、下りきった二ヶ谷(ふたがや、現・春日町交差点)をはさんで東西に坂が飛んでいたので「飛坂」の両説あるという。春日局像は文京区立礫川(れきせん)公園内にあり、大河ドラマ『春日局』(1989年)放映記念に文京区が建立したとある。春日の地名そのものが、家光より乳母にこの一帯の土地が与えられたことから来ている。春日局こと福の父は美濃守護代斎藤氏の一族で、明智光秀の重臣だったところから本能寺の変後に成敗された。遺された福らは外祖父の稲葉一鉄に保護されて育っている。この一鉄というのが斎藤氏・織田氏の幕下でも名うての傑物で、家康も高く評価していたことが姉川の戦いの逸話で知られる。逆賊明智の重臣の娘なのに家光の乳母に抜擢され得た背景には、「稲葉一鉄の孫娘」という出自も手伝っていただろうか。
← 春日通りから白山通りに入り、東京ドーム前のサクラ
← 水道橋の駅前から外堀沿いに東へ折れ、御茶ノ水目前の坂から
サクラは探さないと見つからないが、それよりこの坂の名を記す標識が手前に写っているでしょう。
「皀角坂」だって、読める?
答は「サイカチザカ」だが、サイカチはふつう皀莢または梍と表記するらしい。サイカチとは・・・
Wikipedia から:
「サイカチ(皁莢、学名:Gleditsia japonica)はマメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木。別名、カワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記するが、本来「皁莢」はシナサイカチを指す。」
「樹齢数百年というような巨木もあり、群馬県吾妻郡中之条町の「市城のサイカチ」や、山梨県北杜市(旧長坂町)の「鳥久保のサイカチ」のように県の天然記念物に指定されている木もある。幹はまっすぐに延び、樹高は15mほどになる。」
用途が面白くて・・・
「木材は建築、家具、器具、薪炭用として用いる。豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。」
「またサポニンを多く含むため古くから洗剤として使われている。莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯などに利用されていたようである(煮出して使う)。棘は漢方では皂角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされる。」
「豆はおはじきなど子供の玩具としても利用される。若芽、若葉を食用とすることもある。」
石けん・洗剤代わりだったのね。別名の「カワラフジノキ」は感じが出ている。マメの仲間は本当に強い。
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週末は修士課程のオリエンテーション、雨も降ったが気温が上がらずサクラは粘っている。
← 9日(日)夜、呑川緑道の夜ザクラ
← 閑話休題、10日(月)御近所で見かけたウンナンソケイ
← 同じく10日(月)、放送大学構内のサクラ
・・・ぼつぼつ盛りを過ぎ始めて、
← 12日(水)、幕張海浜公園の若葉ザクラ
たくさん見たが、これで今年の見納めと致しましょう。
ソメイヨシノはただ一本の木に由来し、全世界の全ての株がDNAは基本的に同一って、ほんとにほんと?大した御発展で、自己愛の時代には少々不気味な注釈でもある。
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