散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

人生の長さについて

2017-04-16 12:53:32 | 日記

2017年4月16日(日)

 われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配する者には、著しく広がるものである。

セネカ「人生の短さについて」(茂手木元蔵訳・岩波文庫)

 忠実な僕よ、よくやった、お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。

マタイによる福音書 25章23章

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 訳あって家で過ごすところ、S姉から素敵なプレゼントがあった。今日が今年のその日にあたる。どうかこのことばかりは、商業化されないよう祈る。

Ω


今年の花見 ~ 茗荷谷から幕張まで

2017-04-16 10:08:47 | 日記

2017年4月6日(木)から10日(月)にかけて:

 要するにミーハーなんだと思うが、サクラは人並み(以上)に好きなのである。文京SCのゼミで可愛い猫の写真を見た後、忘れ物をした。PC回りの小さな小物で、ないと厄介だがわざわざ取りに行くのもシャクに触る。幸い翌日6日は木曜日、午後から御茶ノ水で仕事がある。これ幸いと茗荷谷から御茶ノ水まで散歩することにした。今度はこの間みたいに迷わない、春日通りを一本だもの。

 首尾良く忘れ物を回収、最高気温21℃、風の強い薄曇りの中を写真とりながら東へ歩いた。古今東西花相似、どこもかしこも都下一斉の花盛りを徒歩で確認である。

  ← 茗荷谷のサクラ

   

 ↑ 500m東、播磨坂さくら並木。「第46回 文京さくら祭り」

  ← さらに900m東、伝通院正面+背後に覗くサクラ

 浄土宗伝通院は家康の建立、増上寺・寛永寺とならぶ江戸の三霊山に数えられ、徳川氏ゆかりの人々、特に女性や子どもが多く埋葬されているという。伝通院の名は、家康の母・於大の方の法名に因むのだと。今度あらためて訪ねてみよう。岡崎に城を構えた家康の父方には異能の奇人の気配があるのに対し、刈谷に本拠を置く母方の水野氏は鷹揚円満な大人の気風だったようで、そのハイブリッドが天下人を生んだ。於大の方は満74歳と当時では長命し、江戸開府の前年慶長7年に没した。

  

↑ ずっと進んで富坂の下り、道の向かいに春日局の銅像

 富坂は「とび坂」の訛りだそうで、このあたりに鳶が多かったので「鳶坂」、下りきった二ヶ谷(ふたがや、現・春日町交差点)をはさんで東西に坂が飛んでいたので「飛坂」の両説あるという。春日局像は文京区立礫川(れきせん)公園内にあり、大河ドラマ『春日局』(1989年)放映記念に文京区が建立したとある。春日の地名そのものが、家光より乳母にこの一帯の土地が与えられたことから来ている。春日局こと福の父は美濃守護代斎藤氏の一族で、明智光秀の重臣だったところから本能寺の変後に成敗された。遺された福らは外祖父の稲葉一鉄に保護されて育っている。この一鉄というのが斎藤氏・織田氏の幕下でも名うての傑物で、家康も高く評価していたことが姉川の戦いの逸話で知られる。逆賊明智の重臣の娘なのに家光の乳母に抜擢され得た背景には、「稲葉一鉄の孫娘」という出自も手伝っていただろうか。

  ← 春日通りから白山通りに入り、東京ドーム前のサクラ

  ← 水道橋の駅前から外堀沿いに東へ折れ、御茶ノ水目前の坂から

 サクラは探さないと見つからないが、それよりこの坂の名を記す標識が手前に写っているでしょう。

  「皀角坂」だって、読める?

 答は「サイカチザカ」だが、サイカチはふつう皀莢または梍と表記するらしい。サイカチとは・・・

  Wikipedia から:

 「サイカチ(皁莢、学名:Gleditsia japonica)はマメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木。別名、カワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記するが、本来「皁莢」はシナサイカチを指す。」
 「樹齢数百年というような巨木もあり、群馬県吾妻郡中之条町の「市城のサイカチ」や、山梨県北杜市(旧長坂町)の「鳥久保のサイカチ」のように県の天然記念物に指定されている木もある。幹はまっすぐに延び、樹高は15mほどになる。」

 用途が面白くて・・・

 「木材は建築、家具、器具、薪炭用として用いる。豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。」
 「またサポニンを多く含むため古くから洗剤として使われている。莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯などに利用されていたようである(煮出して使う)。棘は漢方では皂角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされる。」
 「豆はおはじきなど子供の玩具としても利用される。若芽、若葉を食用とすることもある。」

 石けん・洗剤代わりだったのね。別名の「カワラフジノキ」は感じが出ている。マメの仲間は本当に強い。

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 週末は修士課程のオリエンテーション、雨も降ったが気温が上がらずサクラは粘っている。

  ← 9日(日)夜、呑川緑道の夜ザクラ

  ← 閑話休題、10日(月)御近所で見かけたウンナンソケイ

  ← 同じく10日(月)、放送大学構内のサクラ

 ・・・ぼつぼつ盛りを過ぎ始めて、

  ← 12日(水)、幕張海浜公園の若葉ザクラ

 たくさん見たが、これで今年の見納めと致しましょう。
 ソメイヨシノはただ一本の木に由来し、全世界の全ての株がDNAは基本的に同一って、ほんとにほんと?大した御発展で、自己愛の時代には少々不気味な注釈でもある。

Ω


学生の根性と市井の名作

2017-04-14 07:38:46 | 日記

2017年4月14日(金)

  http://haniwa.blog3.fc2.com/blog-entry-2926.html より拝借

 文句なしに可愛い!

 この画像は4月5日(水)の卒研ゼミの席上、ある学生がパワポで示したものである。この学生は近隣の産科クリニックなどでちょっとした調査を計画しており、地域の該当施設に片っ端から電話して協力を依頼したのだが、当然ながら断られ続けた。20件ほどもダメが続いたところでさすがにヘコみ、その時に見つけたのだそうである。

 関西で修行中の長男が無類の cat person なので早速見せてやりたいと思い、画像を送ってほしいと頼んだら、「検索した方が早いですよ」と学生さん。彼女自身が「落ち込み 画像」で検索して見つけたのだそうで、やってみたら、たちどころに出てきた。何より驚いたのは、自分が落ち込んでいるときに「落ち込み」というキーワードでインターネットを探索するという彼女の行動様式で、これは僕にはまったくない発想である。個性でもあろうが、より女性に親和的なことのようにも思われ、このあたりにストレス状況を生き抜く柔軟さの違いが表れているような気がする。

 論より証拠、当の学生さんは数日ヘタレた後、気を取り直してさらに電話をかけ続け、最終的には30件あたって5件の協力を取り付けた。終盤の追い込みは驚異的といえる。コケの一念、何かを掴んだのだろう。この根性が買いである。

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 今度もまた、コメントをいただいた。これがなかなか意味深いのです。

 みかりんさん 「猫、可愛い。仲の良い夫婦に見えて、羨ましいな。私も誰かに、お酒ついであげたい。」

 被爆二世さん 「泣きたい猫ちゃん...心よりお悔やみ申し上げます」

 みかりんさんは慰める側に感情移入し、被爆二世さんは慰められる側に僕の心情を重ねてくださった。お悔やみをおっしゃることで、いわば言葉の酒を注いでくださったわけだから、御自身はやっぱり慰める側に回っている。皆、優しいのである。

 絵を提示して自由に連想するということが心理検査や療法の中で行われるが、それらは人が日常的にやっていることを少し洗練してみたものにすぎない。そしてこの画像は、注ぐ側に自分を重ねる姿勢を自然に引き出すという意味で、とてもとってもよくできている。
 名も知らぬ作者に「アッパレ」献上。

Ω

 


共感都市理論

2017-04-06 13:17:57 | 日記

2017年4月10日(月)

> このようなお別れを Blog で開示されるかどうかも、迷われたのではないかとお察しします。突然の出来事でお悔やみの申し上げようもありません。(被爆二世さん)

 いつもながら、ありがとうございます。開示するのは、ひょっとして私の側のマナー違反ではないかとも懸念しました。御批判は覚悟のうえで読んでいただいたことの内に、「公と私」についての私の考え方が自ずと表れているのかもしれません。ついでに言うなら、コミュニティとか共感とかに関する信念や期待とも関わることなのです。「共感都市理論」というものをまだきちんと勉強していないのですが、勉強しなければ。

 『死生学』をお願いしている山崎先生のレジュメがインターネットに挙がっていました。リンクを張っておきます。5月の北九州で少しお話しできればと、いま思いつきました。そうですね、そんなふうにして、生き残ったものは歩き続けていくのですね。

 http://www.hospat.org/assets/templates/hospat/pdf/seminar_2013/grief-confe-yamazaki.pdf

  

 Ω