散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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付記 ~ 取消について等

2020-07-10 07:01:08 | 日記
2020年7月10日(金)
 法律用語としての「取消」には、確かにそういう意味がある。

 「一定の法律行為を遡って無効にすることをいう。行為が取り消されると、その行為は初めから効果がなかったとみなされる。」

 ただしこれは、それこそ常識によって推測される通り、きわめて影響力の大きな、破壊作用を伴う行為である。従って「取消」が認められる要件は、厳密に制限されている。

 「取消しが認められる行為は、制限能力者(未成年者・成年被後見人・被保佐人・被補助者)の行為や、詐欺・強迫によってした意思表示であり(以下略)」

 これらのことを半世紀近く前に、法学部進学課程の教室で教わった。県知事閣下も同じ場所で、さらに10年ほども前に学ばれたはず、さすがによく御記憶だが残念ながら前半だけを想起せられ、後半には注意を払っておられない。
 これが選択的なものであって記憶の罪でないことは、「撤回」については正確に述べておられるところから明らかと思われる。

 「「取消し」に対して、行為のときに遡らない無効の意思表示を「撤回」と呼んで区別する。」

https://www.athome.co.jp/contents/words/term_2067/#:~:text=

 学んだことの使い方もさまざまである。県知事閣下の年代の方々であれば、「法匪」という言葉も同時に聞かれたのではあるまいか。
 コロナ騒動の当初に、大阪府知事が「府民は兵庫へ行くな」とぶちあげた際、「他県と比較してどうこう言うのはいかがなものか」と控えめに苦言を呈されたこと、当方の記憶にある。
 その節には府知事の勇み足を憂慮し、県知事の胸中をお察ししたものだったが、要らぬ心配であったことと了解した。

Ω
 

知性と品性に関する深刻な疑い

2020-07-09 22:07:05 | 日記
2020年7月9日(木)

https://www.nishinippon.co.jp/item/o/624780/ 
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202007/0013495666.shtml 
https://www.iwate-np.co.jp/article/kyodo/2020/7/9/509934 
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/598578 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41467?rct=politics 

 東京都民としてではなく一日本国民として、赫々たる学歴・経歴をもつ大自治体の長のこの発言を心から憂う。

Ω





よっぴいてひょうどはなつ

2020-07-09 10:28:05 | 日記
2020年7月3日(金)
 4時過ぎに起き出して、あれこれ片づけたりするうちに2~3時間はすぐに経つ。その時ふと、頭にだか口にだか、いきなり浮かんできた。

よっぴいて ひょうどはなつ

 そう、そうだった。「よっぴいて ひょうどはなつ、よっぴいて ひょうどはなつ」と声に出して繰り返すのを、家人が不思議そうに眺めている。那須の与一だ、日本の名文だ。そのくだりを少し前から転記する。

***

 与一その比(ころ)は未だ二十ばかりの男(をのこ)なり。かちに赤地の錦を以て壬(おほくび)衽(はた袖)彩(いろ)へたる直垂に、萌黄威(もよぎをどし)の鎧着て、足白の太刀を帯(は)き、切斑(きりふ)の矢の、その日のいくさに射て少々残ったりけるを、かしらだかに負ひなし、薄切斑に鷹の羽はぎませたる觘(ぬた)目の鏑をぞ差し添へたる。
 滋籐(しげどう)の弓脇に挟み、甲をば脱ぎ高紐に懸け、判官の御前に畏る。
 「いかに宗高、あの扇の真中射て、敵に見物せさせよかし」
 与一畏って申けるは、
 「射おほせ候はむこと不定に候。射損じ候なば、長き御方の御弓箭の瑕にて候ふべし。一定仕らうずる仁に仰せ付けらるべうもや候ふらん」
 判官大きに怒つて、
 「今度鎌倉を立つて西国へ赴かんずる殿腹は、皆義経が命を背くべからず。それに少しも子細を存ぜん人は、疾う疾う是より帰らるべし」
 とぞ宣ひける。与一、重ねて辞せば悪しかりなんとや思ひけん、
 「さ候はば外れんをば知り候ふまじ。御諚で候へば、仕つてこそ見候はめ」
 とて御前を罷り立ち、黒き馬の太う逞しきに、丸海鞘摺つたる金覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける。弓取り直し、手綱掻い繰つて、汀へ向いてぞ歩ませける。御方の兵共、与一が後ろを遥かに見送りて、「一定この若者仕つつべう存じ候ふ」と申しければ、判官世にも頼もしげにぞ見給ひける。

 義経も無茶を言うものだが、「確信がもてない」と正直に打ち明けつつ、重ねての主命に潔く汀へ進む与一の姿が悲にして壮。そして、ここからが見せ場である。

 矢比(やごろ)少し遠かりければ、海の面一段ばかりうち入れたりけれども、なほ扇のあはひは七段ばかりもあるらんとこそ見えたりけれ。 
 ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、 磯打つ波も高かりけり。舟は、揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。
沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。
いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき。
 与一目をふさいで、
 「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り白害して、人に二度面を向かふべからず。いま一度本国へ迎へんとおぼしめさば、
この矢はづさせたまふな。」
 と心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、 扇も射よげにぞなつたりける。与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ
 小兵といふぢやう、十二束三伏、弓はつよし、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸(くが)には源氏、 えびらをたたいてどよめきけり。
『平家物語』 巻第十一 那須与一(岩波文庫版 四 P. 164-8)

***

 ああもう、気が遠くなりそうだ。
 「よっぴいてひやうど放つ」のあとを、「小兵というぢやう、十二束三伏(じゅうにそくみつぶせ)、弓はつよし、浦ひびくほどながなりして・・・」と声に出して読んでいくと、途中で止めると云うことができない。「どよめきたり」の結句まで、何度でも繰り返して声に出し、しまいに恍惚としてくる。
 これはもう、文学であると同時に音楽であり、物語であるとともに歴史叙述であり、要するに人が人に伝え得るすべてである。このような言霊・話芸に日本人は養われて、二千年余を生きてきたのだ。

 「日本人は目で読む民であり、耳から入る言葉に反応しない」と賢しらに説く人々がある。だから聖書の朗読も、耳から聞くより手許で読むことが大事なのだと。
 不同意。
 聖書の翻訳が、翻訳の役割を果たせるほど未だに練れておらず、語られる言葉がそれ以上に空疎なだけのことである。旧約の昔から、神の言葉は読まれるより先に聞かれるものだった。
 広まらないのも道理、目標は遙かに遠い。

那須与一 (渡邊美術館蔵) by Wkipedia

Ω
  

だれもが愛しいチャンピオン

2020-07-08 08:18:50 | 日記
2020年7月7日(火) 勝沼さんから「塾」のMLに発信あり:
 石丸先生、AB先生
 先月は貴重な勉強会の機会をありがとうございました。  
 18年前、桜美林の学部の授業でAB先生を見かけた時、周りにいた学友の方々が自然にサポートしていた姿を思い出しました。

 自由連想的な話になりますが、障害者と周囲の人々との関係について一本の映画をご紹介したいと思います。
 日本ではDVDが出たばかりのスペイン映画で『だれもが愛しいチャンピオン』という知的障害者のバスケチームを描いた映画があります。この映画に出てくるのはオーディションで選ばれた本当の知的障害者の人々。
 日本だと頑張る障害者に感動する映画にしてしまうところですが、この映画は全くの逆です。頑張るべき、変わるべきは彼らと向き合う私達であるという強烈なメッセージがこの映画にはあります。
 こういった映画が興行収入で年間1位になるスペインの映画界がうらやましいです。日本では単館上映でしたが、DVDが出たばかりなので、TSUTAYAの新作コーナーにあるかもしれません。



2020年7月8日(水) 返信:
 勝沼さん
 貴重な情報をありがとうございました。久々に勝沼さんから映画の話を伺いましたね。

 スペイン映画と云えば、古くは『汚れなき悪戯』(1955)
 近いところで『ペーパーバード - 幸せは翼にのって』(2010)

 この二作だけが突出して記憶に残っているというお恥ずかしい状態、実はとても質の豊かなスペイン映画界だったのですね。ぜひ見てみます。

 勝沼さんのコメントから私も連想あり、「ノーマライゼーション normalization」という言葉は確かデンマークの知的障害者家族運動が発信源で、御承知のように「本人の機能を高めてノーマルな水準に到達させる」という意味では全くなく、逆に「障害のある人々がそれをハンディキャップにすることなく暮らしていけるよう、社会の方を作り替える」という意味であったかと思います。この基本事項が日本ではまだまだ浸透していないでしょう。
 何も難しい話ではなく、要するに「変わることのできる側が変わる」しかないのだし、「この相手のためなら、一つ自分を変えてみようか」と思える関係が人生の醍醐味であり、「愛」などといったものもつまるところ「相手のために自分を変える用意があるかどうか」にかかっているのだろう、ついでに「相手の必要に応じて変わることのできる自分を誇りにする」といった心の姿勢もあってよいのではないか等々、とめどなく思いの広がる朝でした。

 そうそう私、『タクシー運転手 ー 約束は海を越えて』を見ましたよ。
 1980年当時を思いだし、SNさんなら会話の内容や、ソウルと光州の方言の違いなども聞き取れるだろうにと羨みつつ(ボキャが不明でも、釜山あたりの語調の激しさがソウルと違うぐらいはわかるんですが)、笑って泣いて憤り、そして考え込みました。

 国中が激しい風雨の中にあります。皆さんどうぞ御無事でお過ごしください。



Ω

「老いゆけよ 我と共に/老いきたれ 我の許に」

2020-07-03 06:27:15 | 日記
2020年7月3日(金)
 4時台に目覚め、そのまま起き出してみれば既に外は明るい。夏至を過ぎたばかり、若々しい太陽の力が空に路に満ちている。

【ブラウニング】
 14日に話す「老いと祝福」のレジュメ資料を片づけていて、忘れ物に気づいた。北千住のオリーブ会から送られてきた資料の中に、たまたまブラウニングの詩が記されていたのである。これを紹介しない手はない。

老いゆけよ 我と共に! 最善はこれからだ
人生の最後 そのために最初が造られたのだ
我らの時は 御手の中にあり
神云い給う 「すべてを私が計画した」と

オリーブだより2019年6月号(オリーブ会/北千住旭クリニック)

 この項の筆者は会長のOJ姉で、5年ほど前に信仰の先達から絵はがきで贈られたものを転記したとある。せっかくなのでブラウニングの原文を転記しておこう。

 "Grow old along with me! The best is yet to be, the last of life, for which the first was made. Our times are in his hand who saith, 'A whole I planned, youth shows but half; Trust God: See all, nor be afraid!”
“Rabbi Ben Ezra”  Robert Browning(1882-1889)

 原文がこれで正しいとすれば、引用の最後に少し足さないといけない。私訳にて失礼。

我らの時は御手の中にあり 神云い給う
「汝の人生はひとつの全体として設計された/若さはその半ばに過ぎない
神に依り頼め/あまさず見よ、恐るなかれ!」

 趣旨を示すため、敢えて説明がましく訳してみた。「すべてを私が計画した」では "I planned everything." に聞こえる。著者のポイントはそこにはない、「汝の人生を神は始めから終わりまでの全体(whole)として設計し給うた、その全容の中で若さはたかだか半分の重みしかもたない」というのである。「全体」と「部分」の対比が問題で、そうなると「すべてを私が計画した」は誰の訳かわからないが、残念ながら正確とはいえない。この箇所で詩文を終えてしまうのもよろしくない。
 "A whole I planned, youth shows but half." そういうことである。

【ラビ・ベン・エズラ】
 ところで Browning の原文を見たうえは、次に気になるのが Rabbi Ben Ezra とは何ものかということである。ここはありがたく Wiki に頼る。

アブラハム・ベン・メイール・イブン・エズラ
(Abraham ben Meir ibn Ezra, 1090/1092 - 1164/1167)
 スペイン出身(トレド生まれ)のラビ・学者・詩人。文法・哲学・数学・天文学・医学など多くの分野に精通したが、とりわけ聖書注釈は、ユダヤ教注解学の黄金時代の幕開けとなった。1526年刊行のトーラーのヘブライ語註釈書は、伝説的解釈を超えた深い洞察を示すものである。
 1140年以降スペインを離れ、生涯にわたって移住生活を送る。北アフリカ、エジプト、イタリア、南フランス、北フランス、イングランドを巡り、それまでスペインのユダヤ教徒のみにアラビア語で伝えられていた学問を、あらゆる地域のユダヤ教徒の間に広めた。
Wikipedia/アブラハム・イブン・エズラ

 なるほど、これは大変な人物に違いない。移住といえば近い時代のわが国に、寺に定住せぬ遊行僧というものが誕生した。その祖である一遍上人は伊豫・河野氏の出自であることなど思い出すが、一遍が日本人の精神史に無形の刻印を長く残したのに対して、ベン・エズラの生涯はアラビアに蓄えられた古代文化の遺産をヨーロッパに逆輸入する道を拓いた点で、書かれたものからなる有形の歴史に不滅の功績を刻んでいる。
 そのベン・エズラが老いについて何を語り、ブラウニングがそこから何を汲んだか、また宿題が増えた。
 かてて加えて・・・

【John Lennon】
 冒頭の "Grow old along with me." は面白いフレーズで、grow old を「成長せよ」と取ることもできるという御託宣も見かけたが、それよりこれを「僕と一緒に年を取ろうよ」と読めば、プロポーズの囁きにも聞こえるのが洒落ている。
 このフレーズでネット検索をかけてみて驚いた。出てくるのはブラウニングでもラビ・エズラでもない、かの有名人。Wikiからして下記の通り。

 「グロー・オールド・ウィズ・ミー」(英語: Grow Old With Me)は、ジョン・レノンの楽曲。1980年にデモ音源が録音され、レノンの死後にオノ・ヨーコの共同名義で1984年に発売されたアルバム『ミルク・アンド・ハニー』に収録されている。 
Wikipedia/グロー・オールド・ウィズ・ミー
※ 音源 → https://www.youtube.com/watch?v=BzsoxBjjU0g  

 レノンは少しも好きではないし、 "Imagine" のあの歌詞で記憶される同じ人物が "God bless" を連呼するあたり、バカバカしくてどうでもいい気がしてくるが、歌詞の冒頭がブラウニングを踏まえていることは、まぎれもない事実である。

 <ラビ・ベン・エズラ → ブラウニング → 未知の翻訳者 → とある信者 → OJ姉 → 石丸>
 というこの流れに、ブラウニングから枝分かれして John Lennon 経由で夥しい視聴者への巨大な傍流がくっつく。文化の伝達とはこういうものだろうが、それはさておき初めに戻って「老いゆけよ」より「老いきたれ」という語感こそ、この詩にふさわしいようだ。送り出すのではなく、さしまねく神の働きである。

Grow old along with me,
The best is yet to be.
When our time has come,
We will be as one.
God bless our love,
God bless our love.

Grow old along with me,
Two branches of one tree.
Face the setting sun
When the day is done.
God bless our love,
God bless our love.

Spending our lives together,
Man and wife together,
World without end,
World without end.

Grow old along with me,
Whatever fate decrees.
We will see it through
For our love is true.
God bless our love,
God bless our love.
John Lennon, 1980
Ω