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恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

無情なる座席への執着心

2006年11月14日 | 所感とか
同じ運賃を払っているのだから、
電車に乗ったときは極力座りたいというのはみなさん同じでしょう。
ただしそれも席が空いているときで、混雑した車内ではそんなのは無理。
困ってしまうのは席が1つか2つぐらい空いていて、
立ち客も何人かいる、というような状況です。
果たして自分が座ってしまっていいのかどうか、判断に迷うところです。

今日も帰りの電車に乗ったとき、車内は上記のような状況でした。
私としてはそこまで血眼になって席を確保するつもりはないのですが、
たまたま隣に並んでいた30代と思しき女性は1つの空席を目掛けてダッシュ。
時同じくして隣のドアからは1人の老婦人が同じ席を目掛けて早歩き。
ちょうど二つのドアの中間地点にある空席でしたが、
そこは若さか、女性がタッチの差で席を確保しました。
しかしまぁその女性の席の確保の仕方が強引だったため、
席に座れなかった老婦人はあっけに取られていました。
もちろんその周囲にいた乗客もそれにびっくり。

私も、目の前に席を優先されるべき人がいるんだから、
そこまでするなんて、なんとみっともないんだろう、と、
苛立ちすら覚えたのですが、そうした周りの空気も読まず、
席に座ることのできた女性はそのまま眠りについてしまいました。
さすがにその光景を見るに見かねた向かい側に座っていた若い女性が、
「私、次で降りますから、こちらに座ってください」と申し出たのは、
なんとも心温まる光景でした。いや、むしろこれが当然の光景なんでしょうが、
さっきのような光景を見た後ではなおさら。
老婦人は平身低頭、席を譲ってもらって席につくことができました。

私はこれを見て一安心するとともに、
ますます先ほど席を強奪した女性への怒りを覚えました。
確かに仕事で疲れていて座りたいって時はあるでしょうが、
そこまで体面を気にせずできるというその倫理観が情けない。
良心が欠落しているという例と、その逆の例。
一時に二つの光景を目にして、考えさせられた一幕でした。

恐懼再拝。
コメント (3)
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