恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

大事なのはフォロー

2006年11月24日 | 所感とか
今まで幾度か書いていますが、生徒に対して「叱る」という行為について。
授業中にしても普段の学校生活についても、
みんながみんな模範的な生活をしていればいいんですが、
当然のことながらそんな状況なんてあるわけもなく、
時として指導を行わなければならないときがあります。
それが校則を違反していることだったり、
自分の価値観にあわないものであれば、こちらとしても気分を害するわけで、
注意をしなければならないのですが、これがまた難しいこって。

生徒の改善すべき点を見たのであれば、注意するのが筋ですが、
未熟な私としてはつい感情に頼ってしまうことがあって、
後々になって後悔することも多々あります。
ただし、自分の中ではこういう感情に基づいた物の見方も大事で、
そのメッセージに感情が篭っていなければ伝わらない部分もあるとは思うんです。
問題は、その後のことで、その生徒に対してどうフォローをしていくか、
ということなんです。
怒りっぱなしにしたままでは多くの生徒がその真意を理解せず、
こちらに対して悪意を抱くのみで、結局気まずい空気になってしまい、
根本的な解決にはならない、というのは、
少ないこれまでの経験でもよくよくわかっていることです。

しかし、これまた経験の少なさが災いして、
その後にどうフォローするか見通しが立っていないことが殆どだったりするので、
こういうところから後々の後悔が生まれてくるんだろうと思います。
かといって、注意すべき点を見て見ぬ振りをするというのは明らかに下策だし。
全ての先生が後々のフォローする見通しをつけた上で、
生徒を叱り飛ばしているとは到底考えられませんが、
少なくともその後でどうフォローするかというノウハウはあるはずで、
まず自分にはそういうところが不足しているなぁとしみじみ感じます。
こういうのにはマニュアルなんてものは存在せず、
一つ一つ経験を重ねていくしかないものだとは思うんですがね。
現段階ではなんとも歯がゆいことが多いのが昨今の悩みどころです。

恐懼再拝。
コメント
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