JF4CADの運用日誌2.5

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なぜ伊豆諸島の町村には「郡」がないのか?

2014-10-10 | シャック便り

何度かご紹介してきましたが、伊豆諸島の町村および小笠原村には所属する郡がなく、正式には東京都のあとに直接町村名が続きます。各町村のホームページに表記されている役場の住所をご覧頂ければ分かるかと思いますが、「東京都大島町」や「東京都新島村」が正式な名前です。

八丈町などは「東京都八丈島八丈町」としていますが、公文書上の表記は「東京都八丈町」になっています。

 
なんで郡がないかと言うと、これは明治時代に島嶼部の町村制度が本土と異なっていたことに由来しています。これを「島嶼町村制」と言います。

現在の市町村制度のベースとなるのは1888年の市制と1890年の郡制度になります。この際の郡は今と異なり役所が設けられたり責任者である郡長が置かれていました。ところが島嶼部については除外するとされ、伊豆諸島・小笠原諸島・隠岐・奄美・沖縄などが除外対象となりました。これらは府県による直轄の統治でしたから今の東京都特別区に近いかも知れません。

伊豆諸島では東京府により大島島庁・八丈島庁が設置され直接統治されてきました。伊豆大島の大島町役場がある元町地区はこの当時元村という村でしたが、行政組織上では大島島庁の下部組織として元村があった形です。村議会などは設けられず、今で言えばせいぜい特別区の出張所(世田谷区の烏山出張所とか)くらいの組織であったと考えられます。また島嶼町村制の町村では国政への参政権などが制限されるなど差別的と言ってもいいくらいの扱いを受けていました。

その後伊豆諸島と小笠原諸島以外は本土と同じ普通町村に改組され郡が設けられましたが伊豆諸島・小笠原諸島については人口が少ないことを理由に改組されませんでした。そうこうしているうちに1922年に郡制度が変更され、郡役場などが廃止され組織としての郡は消滅しています。

伊豆諸島・小笠原諸島に普通町村制が敷かれるのはさらに後、1940年のことでした。郡は既に名目だけの単位となっており、あえて設置する必要がないことから郡が設置されませんでした。

 

戦後伊豆大島では元村・岡田村などが合併し大島町に、新島では新島本村と若郷村が合併し新島本村(のち新島村に改名)になるなど島単位での合併が行われましたが、郡については設置されないまま現在に至ったという次第です。

 
このように伊豆諸島では行政機構の整備が遅れ、特に南部ではいい加減な状態で放置されてきたようです。

例えば青ヶ島では島嶼町村制の村すら設置されず、1940年に普通町村制での青ヶ島村が発足しています。当時の青ヶ島は連絡船が年数回来る程度で情報すら満足に届かず、昭和へ改元されたことを知らないまま「大正16年」と記した文書が残っているそうです。

 
それでは「支庁」とは何でしょうか?先に触れた島嶼町村制で設置された島庁が改組されたもので、現在は東京都総務局の出先機関であり都道の管理など都の事業を行っているだけです。各町村とは連携を密にしていますが直接の関係はありません。

大島支庁」などは伊豆諸島のJCGを3つに分けるにあたり便宜的に付けられただけです。従ってJCG 10004なんかは「伊豆諸島の町村のうち、大島支庁の管轄エリアにある町村」というのが正解に近いかも知れませんね。

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