10/14(土)伊丹→松山空港→松山市内→野忽那島→睦月島→松山市内
7時10分発のJAL2301便で松山に向け出発です。空港が遠くないとはいえこの出発時間ですと早起きが必要です。
伊丹-松山線はJALの経営危機にあたり運休を余儀なくされましたが、経営が回復し1日3往復で再開されました。短距離で所要時間に遜色が出ないことからかつてはJACのプロペラ機DHC-8-400やSAAB340による運航でしたが、再開後はJ-AIRのCRJ200やE170といったジェット機に切り替えられました。
2301便はJ-AIRのCRJ200です。今年度中の退役が決まっており現在残るのは4機、松山線を含め5路線のみになりました。経営破綻時代のJALを支えたもののとにかく狭苦しく快適とは言えない機材でした。特に太った客が窓側の席に座ると相当に窮屈そうでした。段違いに快適なE170が就航すると明らかに見劣りし、退役が早まった感じです。IBEXもCRJ200を退役させましたので間もなく見納めとなります。
CRJはたぶんこれで最後でしょうから撮影しておきました。8割くらいの搭乗率で出発です。
松山空港が近づいてきました。忽那諸島の上を飛んでくれますのでそれぞれの島の様子がよく分かります。
5分遅れの7時55分に松山空港到着。松山は東京や大阪から距離があるため飛行機の需要があり、中四国では最も利用の多い空港とされています。
荷物を受け取りリムジンバスで市内に向かいましょう。
松山市内とその周辺の公共交通機関は伊予鉄道(伊予鉄)がほぼ独占しています。伊予鉄は1887年創立で今年130周年を迎えます。四国初の鉄道会社で、松山市駅(以下面倒なので市駅)を中心に三方に伸びる郊外線、JR松山駅や道後温泉などを結ぶ路面電車とこれらを補完する路線バスを運営しています。現存する最古の私鉄は1884年創立の南海ですからわずか3年しか違わないことになります。「イ」が4つで「伊予」という社章です。
ということでリムジンバスも伊予鉄の運行でJR松山駅経由で市駅に行きます。ただ飛行機到着の10分後に発車するって早すぎですよね。荷物を預けていれば慌てて駆け込まないと間に合いません。
ということで荷物を受け取りバス乗り場に行くとバスは既に発車したあと。少し先を走っているのが見えました。荷物が優先引き渡しになるJGCの私でこれですから一般のお客さんも乗れてないですよね。
次のバスは成田発のジェットスターからの接続で、飛行機が遅れたため発車を遅らせるそうです。補助席まで一杯になるまで待って出発したのは定刻より25分遅い8時40分。JALは遅れても無視するけどジェットスターの客は丁重に扱うんですね・・・
これじゃ市駅9時発の高浜行き電車に間に合わないことは確実なので車内で代わりの案を考えることにしました。中島汽船の時刻表が手元にあるので調べると次の高浜発は東線のフェリーです。15時頃には雨となりそうなのでそれまで時間を活用できるよう以下の通りとしました。
高浜 (10:25発)→野忽那(11:12着) ※野忽那島滞在時間1時間25分
野忽那(12:37発)→睦月島(12:47着) ※睦月島滞在時間2時間1分
睦月島(14:48発)→高浜 (15:20着)
睦月島は2日目に予定していたものの雨で絶望的ですからこれで行きましょう。
市駅で下車し荷物をコインロッカーに預けておきます。市駅は伊予鉄の中枢であり、ターミナルビルには高島屋があります。かつてはそごうでしたが、そごうの倒産に巻き込まれずに生き残り、新たに高島屋と提携して現在に至っています。
松山には南から三津浜・高浜・松山観光港の3つの港があります。規模の小さなこれらの港をまとめて「松山港」と呼ぶのですが、互いは離れており「松山港」ではどの港か分からなくなります。必ず調べてから利用しましょう。中島汽船の船は高浜港から出ています。高浜港へは郊外線の高浜線で約21分かかります。
これは井の頭線にいた電車ですね。3両の電車です。高浜線は伊予鉄が最初に開業させた路線で、夏目漱石の「坊ちゃん」に登場する「マッチ箱のような汽車」が走っていたのはこの高浜線でした。1888年に松山市内と三津浜を結ぶ路線として開業し、その後高浜へと路線を延ばしています。
海が見えてくると間もなく終点の高浜駅に到着。終点なのにお隣に「松山観光港」とありますが観光港への連絡バスがあるためで鉄道としてはここが終点です。
駅から県道を挟んで目の前が中島汽船の乗り場です。高浜駅の売店で弁当を買い待合所に向かいます。昔ながらの売店で、忽那諸島には本屋がない島があるため雑誌の取り扱いが多かったです。
高浜港はすぐ沖に興居島があり天然の防波堤の役割を果たしています。興居島への航路は同じ高浜港から発着していますが中島汽船ではなく「ごごしま」という会社の航路になります。港にいるフェリー「えひめ2」が興居島行きになります。1987年に神原造船で建造された188t・通常速力9ノットのフェリーです。
「えひめ2」はとんでもなくボロで昨年には船底に放置された部品または工具と底板とで電蝕を起こし穴が空いて浸水するという事故を起こしています。このため新しい船に置き換えられることが決まっています。
中島汽船の乗船券は待合所で買えます。野忽那島は島で乗船券を発売しなくなったので高浜で帰りの切符も買って欲しい旨張り紙があります。私の場合野忽那島に行き、次は睦月島に行くのでその旨話したらこんな風に乗船券を出してくれました。
野忽那→睦月の高速船の乗船券は手書きですhi
船が来ましたので乗り場に向かいましょう。東線のフェリーは通常「なかじま」です。
1994年に中島の大内造船所で建造された676t・航海速力13.5ノットのフェリーです。船首と船尾にランプドアを持つ備讃型(瀬戸内型)です。大内造船所は終着の大浦港近くにあるようですが初めて聞きました。
高浜港では浮き桟橋側に到着するため車両の乗降はできず、舷門から人だけが乗降する形です。
3Fの客室は前方がリクライニング席とサロン席、後ろが座敷です。客室に入ると美味しそうな匂いがしてきました。
正体はこれ。売店でおでんを売っています。中島汽船のおでんは売っている人が引退してこの夏限りで終了、と聞いていたのですがNPO法人が売店に入って引き続きおでんを売っています。
島の人たちはビールを片手におでんをつまみながらデッキで過ごしています。これはなくなったら文句出ますよねhi ほぼ売れた後だったのでじゃこ天と鶏串だけになりましたがおいしかったです。ちなみに1本100円、お好みで辛子味噌を付ける(というか皆さん付けている)そうです。
「なかじま」は睦月島に立ち寄ってから野忽那島に向かいます。睦月島でQRVできるところがないかしっかりチェックしておきました。
次が野忽那島です。集落は北側の湾になったところにあります。船首のランプドアから下船します。
野忽那島は人口100人弱。ミカン栽培と漁業が島の主産業です。
立派な家が多いもののこの10年で大きく人口が減っており小学校は休校、商店や飲食店もなくなっており、これでは乗船券を売ることもできないのでしょうね。2003年公開の映画「船を降りたら彼女の島」のロケ地ですが、観光で訪れる客はほとんどいない感じです。
この荒れ果てた庭のある建物が小学校だったそうです。草取りをする島民もいないくらい過疎化・高齢化が進んでいるようです。
帰り予定の船まで船は来ないので港でQRVします。お天気は持ちそうですね。
アンテナを張り11時30分にスタート。今日はCondxがよいのかたくさんの局が聞こえます。7120kHzが空いていましたのでここでスタートです。12時20分が終了目安となります。
3~6エリア中心で一部東日本の局も聞こえます。近距離が全く聞こえなかった先月に比べるとCondxが持ち直しましたね。クラスタに載せて頂き呼ばれるようになりました。
「野忽那島ファーストです」という方が多かったです。忽那諸島は何局か回られてはいるのですがチャンスが少ないので珍しいのでしょうね。回られている局のお一人でもあるJI5DIH局にもコールを頂きました。DIH局はお隣の睦月島にシャックをお持ちですが今日は大三島に行かれているそうです。
12時20分で野忽那島を終了します。野忽那島からは47局でした。雨から逃げ切れました。綱取りの人が来て「高速船に乗る?」と聞いてきました。ほとんどいないのでしょうね。
続きます。
7時10分発のJAL2301便で松山に向け出発です。空港が遠くないとはいえこの出発時間ですと早起きが必要です。
伊丹-松山線はJALの経営危機にあたり運休を余儀なくされましたが、経営が回復し1日3往復で再開されました。短距離で所要時間に遜色が出ないことからかつてはJACのプロペラ機DHC-8-400やSAAB340による運航でしたが、再開後はJ-AIRのCRJ200やE170といったジェット機に切り替えられました。
2301便はJ-AIRのCRJ200です。今年度中の退役が決まっており現在残るのは4機、松山線を含め5路線のみになりました。経営破綻時代のJALを支えたもののとにかく狭苦しく快適とは言えない機材でした。特に太った客が窓側の席に座ると相当に窮屈そうでした。段違いに快適なE170が就航すると明らかに見劣りし、退役が早まった感じです。IBEXもCRJ200を退役させましたので間もなく見納めとなります。
CRJはたぶんこれで最後でしょうから撮影しておきました。8割くらいの搭乗率で出発です。
松山空港が近づいてきました。忽那諸島の上を飛んでくれますのでそれぞれの島の様子がよく分かります。
5分遅れの7時55分に松山空港到着。松山は東京や大阪から距離があるため飛行機の需要があり、中四国では最も利用の多い空港とされています。
荷物を受け取りリムジンバスで市内に向かいましょう。
松山市内とその周辺の公共交通機関は伊予鉄道(伊予鉄)がほぼ独占しています。伊予鉄は1887年創立で今年130周年を迎えます。四国初の鉄道会社で、松山市駅(以下面倒なので市駅)を中心に三方に伸びる郊外線、JR松山駅や道後温泉などを結ぶ路面電車とこれらを補完する路線バスを運営しています。現存する最古の私鉄は1884年創立の南海ですからわずか3年しか違わないことになります。「イ」が4つで「伊予」という社章です。
ということでリムジンバスも伊予鉄の運行でJR松山駅経由で市駅に行きます。ただ飛行機到着の10分後に発車するって早すぎですよね。荷物を預けていれば慌てて駆け込まないと間に合いません。
ということで荷物を受け取りバス乗り場に行くとバスは既に発車したあと。少し先を走っているのが見えました。荷物が優先引き渡しになるJGCの私でこれですから一般のお客さんも乗れてないですよね。
次のバスは成田発のジェットスターからの接続で、飛行機が遅れたため発車を遅らせるそうです。補助席まで一杯になるまで待って出発したのは定刻より25分遅い8時40分。JALは遅れても無視するけどジェットスターの客は丁重に扱うんですね・・・
これじゃ市駅9時発の高浜行き電車に間に合わないことは確実なので車内で代わりの案を考えることにしました。中島汽船の時刻表が手元にあるので調べると次の高浜発は東線のフェリーです。15時頃には雨となりそうなのでそれまで時間を活用できるよう以下の通りとしました。
高浜 (10:25発)→野忽那(11:12着) ※野忽那島滞在時間1時間25分
野忽那(12:37発)→睦月島(12:47着) ※睦月島滞在時間2時間1分
睦月島(14:48発)→高浜 (15:20着)
睦月島は2日目に予定していたものの雨で絶望的ですからこれで行きましょう。
市駅で下車し荷物をコインロッカーに預けておきます。市駅は伊予鉄の中枢であり、ターミナルビルには高島屋があります。かつてはそごうでしたが、そごうの倒産に巻き込まれずに生き残り、新たに高島屋と提携して現在に至っています。
松山には南から三津浜・高浜・松山観光港の3つの港があります。規模の小さなこれらの港をまとめて「松山港」と呼ぶのですが、互いは離れており「松山港」ではどの港か分からなくなります。必ず調べてから利用しましょう。中島汽船の船は高浜港から出ています。高浜港へは郊外線の高浜線で約21分かかります。
これは井の頭線にいた電車ですね。3両の電車です。高浜線は伊予鉄が最初に開業させた路線で、夏目漱石の「坊ちゃん」に登場する「マッチ箱のような汽車」が走っていたのはこの高浜線でした。1888年に松山市内と三津浜を結ぶ路線として開業し、その後高浜へと路線を延ばしています。
海が見えてくると間もなく終点の高浜駅に到着。終点なのにお隣に「松山観光港」とありますが観光港への連絡バスがあるためで鉄道としてはここが終点です。
駅から県道を挟んで目の前が中島汽船の乗り場です。高浜駅の売店で弁当を買い待合所に向かいます。昔ながらの売店で、忽那諸島には本屋がない島があるため雑誌の取り扱いが多かったです。
高浜港はすぐ沖に興居島があり天然の防波堤の役割を果たしています。興居島への航路は同じ高浜港から発着していますが中島汽船ではなく「ごごしま」という会社の航路になります。港にいるフェリー「えひめ2」が興居島行きになります。1987年に神原造船で建造された188t・通常速力9ノットのフェリーです。
「えひめ2」はとんでもなくボロで昨年には船底に放置された部品または工具と底板とで電蝕を起こし穴が空いて浸水するという事故を起こしています。このため新しい船に置き換えられることが決まっています。
中島汽船の乗船券は待合所で買えます。野忽那島は島で乗船券を発売しなくなったので高浜で帰りの切符も買って欲しい旨張り紙があります。私の場合野忽那島に行き、次は睦月島に行くのでその旨話したらこんな風に乗船券を出してくれました。
野忽那→睦月の高速船の乗船券は手書きですhi
船が来ましたので乗り場に向かいましょう。東線のフェリーは通常「なかじま」です。
1994年に中島の大内造船所で建造された676t・航海速力13.5ノットのフェリーです。船首と船尾にランプドアを持つ備讃型(瀬戸内型)です。大内造船所は終着の大浦港近くにあるようですが初めて聞きました。
高浜港では浮き桟橋側に到着するため車両の乗降はできず、舷門から人だけが乗降する形です。
3Fの客室は前方がリクライニング席とサロン席、後ろが座敷です。客室に入ると美味しそうな匂いがしてきました。
正体はこれ。売店でおでんを売っています。中島汽船のおでんは売っている人が引退してこの夏限りで終了、と聞いていたのですがNPO法人が売店に入って引き続きおでんを売っています。
島の人たちはビールを片手におでんをつまみながらデッキで過ごしています。これはなくなったら文句出ますよねhi ほぼ売れた後だったのでじゃこ天と鶏串だけになりましたがおいしかったです。ちなみに1本100円、お好みで辛子味噌を付ける(というか皆さん付けている)そうです。
「なかじま」は睦月島に立ち寄ってから野忽那島に向かいます。睦月島でQRVできるところがないかしっかりチェックしておきました。
次が野忽那島です。集落は北側の湾になったところにあります。船首のランプドアから下船します。
野忽那島は人口100人弱。ミカン栽培と漁業が島の主産業です。
立派な家が多いもののこの10年で大きく人口が減っており小学校は休校、商店や飲食店もなくなっており、これでは乗船券を売ることもできないのでしょうね。2003年公開の映画「船を降りたら彼女の島」のロケ地ですが、観光で訪れる客はほとんどいない感じです。
この荒れ果てた庭のある建物が小学校だったそうです。草取りをする島民もいないくらい過疎化・高齢化が進んでいるようです。
帰り予定の船まで船は来ないので港でQRVします。お天気は持ちそうですね。
アンテナを張り11時30分にスタート。今日はCondxがよいのかたくさんの局が聞こえます。7120kHzが空いていましたのでここでスタートです。12時20分が終了目安となります。
3~6エリア中心で一部東日本の局も聞こえます。近距離が全く聞こえなかった先月に比べるとCondxが持ち直しましたね。クラスタに載せて頂き呼ばれるようになりました。
「野忽那島ファーストです」という方が多かったです。忽那諸島は何局か回られてはいるのですがチャンスが少ないので珍しいのでしょうね。回られている局のお一人でもあるJI5DIH局にもコールを頂きました。DIH局はお隣の睦月島にシャックをお持ちですが今日は大三島に行かれているそうです。
12時20分で野忽那島を終了します。野忽那島からは47局でした。雨から逃げ切れました。綱取りの人が来て「高速船に乗る?」と聞いてきました。ほとんどいないのでしょうね。
続きます。