JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

大洲・宇和島御朱印巡り②

2023-04-01 | 御朱印めぐり
愛媛県の大洲と宇和島の御朱印巡りの後半です。

宇和島駅近くの龍光院へ。

1615年に伊達秀宗が創建した高野山真言宗の寺院です。四国別格二十霊場の6番札所になっています。これは龍光院が愛南町にある四国霊場40番の観自在寺の奥の院になっているからです。元々観自在寺の奥の院は宇和島沖の九島にある鯨大師(願成寺)で、空海が離島である九島の文化の遅れを懸念しお堂を建立することを発願し創建したそうです。

明治になり鯨大師の遙拝所が龍光院と合併したため比較的新しい龍光院が札所になっているそうです。

本堂は2008年に護摩祈祷の火が燃え移り一部が焼けたため、2010年に改修されたものです。

龍光院の御朱印です。

龍光院の御影です。


徒歩5分ほどで和霊神社です。

伊達秀宗の家老であった山家清兵衛を祀った神社です。秀宗は伊達政宗の長男でしたが秀吉から「秀」の名をもらい、一時は豊臣姓を名乗るなどしていたため、徳川家から目を付けられるのを避けるため弟の忠宗が仙台藩を継ぐことになり、秀宗は大坂冬の陣の功績で与えられた宇和島に藩を興すことになります。その際に父の政宗が付けた家臣が清兵衛でした。

清兵衛は家老として荒廃していた南予の立て直しに尽力し領民に慕われた一方、秀宗の行動を政宗に報告する目付であったとされます。秀宗にとっては煙たい存在であり、1620年に家臣に命じて密かに殺害させてしまいます。その後宇和島藩では政敵の桜田元親が変死したり、飢饉や風水害が起きる、秀宗の子供が亡くなるなど良くないことが続き、秀宗は清兵衛を祀る神社を建てたのが和霊神社の始まりとされています。

元は宇和島城の丸之内和霊神社の位置にあったようですが、1735年に現在地に移っています。

宇和島は空襲に遭ったため、現在の社殿は戦後の1957年に再建されたものです。

和霊神社の御朱印です。


ちなみに宇和島の和霊神社は土佐に分祀されていますが、祀ったのは何と坂本龍馬の祖先であったそうです。龍馬はこの土佐の和霊神社にお参りするとして脱藩したとされています。


今回の御朱印情報です(特記無い限り御朱印料は300円)。
十夜ヶ橋   3種を納経所で授与。
宇和津彦神社 1種を授与所で授与。500円。
龍光院    2種を納経所で授与。
和霊神社   2種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
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