津軽三十三観音霊場巡りを行った私は、いつのまにか観音信仰に目覚め、それに伴い、仏像の魅力に取り憑かれてしまった。
ここ「袋宮寺」には津軽地方一の名仏「十一面観世音菩薩立像」が本尊として納められている。
場所は弘前市の新寺町の通り沿いにあり、小規模の敷地なのでわかりづらいが、ちょうど弘前高校の隣にあるので迷う事もないだろう。
「袋宮寺」はもともと現在の弘前市樋ノ口にあったが、廃寺となった為、もともと「無量院」があった現在地に移り、無量院と合併して現在の「袋宮寺」になりました。
本尊の十一面観世音菩薩立像は、もともと無量院の本尊として、延宝五年(1677年)に津軽四代藩主信政公が、父の信義公の菩提を弔うために弘前城内の老木を使用し、作らせたものである。
「背高観音」と呼ばれる立像は、なんと6mもあるジャイアント観音様。
頭部は天井ギリギリまで収められ、高部から見下ろされる薄開きの目は、衆生の心を見抜き、そして癒してくれる事だろう。
胴部はところどころ剥げ欠けてはいるが、未だに美しい金色に輝き、細かい装飾の彫りも見事である。
今にも動き出しそうな迫力が感じられる。
観音立像と共に本堂も県重要文化財にしていされており、しかしながら本堂は質素な造りで、内部もとても狭く、あくまで観音立像がメインになるのは致し方なし。
観音立像の頭部近くの高部には、天女の絵もあるので、それも隠れた見所だ。
境内には本堂の他に地蔵堂と、そして三十三観音石像がある。
ここはもともと津軽三十三観音霊場の第一番札所であったが、その後の編成によって現在の三十三箇所から外されている。
その理由はわからないが、私自身、津軽三十三霊場を巡ったが、歴史や伝説などの謂れを含めても、この袋宮寺の観音立像がダントツの名仏であると断言出来る。
新寺町の煩悩の固まりの様なただ単にデカイ寺の集まりから少し外れた場所にひっそりと佇む「袋宮寺」。
ここでは純粋に、観音様に祈る事が出来、純粋に名仏に目を奪われる。
今日も十一面観世音菩薩立像は、弘前の町を見下ろし、守って下さっているだろう。
住所・弘前市新寺町26
ここ「袋宮寺」には津軽地方一の名仏「十一面観世音菩薩立像」が本尊として納められている。
場所は弘前市の新寺町の通り沿いにあり、小規模の敷地なのでわかりづらいが、ちょうど弘前高校の隣にあるので迷う事もないだろう。
「袋宮寺」はもともと現在の弘前市樋ノ口にあったが、廃寺となった為、もともと「無量院」があった現在地に移り、無量院と合併して現在の「袋宮寺」になりました。
本尊の十一面観世音菩薩立像は、もともと無量院の本尊として、延宝五年(1677年)に津軽四代藩主信政公が、父の信義公の菩提を弔うために弘前城内の老木を使用し、作らせたものである。
「背高観音」と呼ばれる立像は、なんと6mもあるジャイアント観音様。
頭部は天井ギリギリまで収められ、高部から見下ろされる薄開きの目は、衆生の心を見抜き、そして癒してくれる事だろう。
胴部はところどころ剥げ欠けてはいるが、未だに美しい金色に輝き、細かい装飾の彫りも見事である。
今にも動き出しそうな迫力が感じられる。
観音立像と共に本堂も県重要文化財にしていされており、しかしながら本堂は質素な造りで、内部もとても狭く、あくまで観音立像がメインになるのは致し方なし。
観音立像の頭部近くの高部には、天女の絵もあるので、それも隠れた見所だ。
境内には本堂の他に地蔵堂と、そして三十三観音石像がある。
ここはもともと津軽三十三観音霊場の第一番札所であったが、その後の編成によって現在の三十三箇所から外されている。
その理由はわからないが、私自身、津軽三十三霊場を巡ったが、歴史や伝説などの謂れを含めても、この袋宮寺の観音立像がダントツの名仏であると断言出来る。
新寺町の煩悩の固まりの様なただ単にデカイ寺の集まりから少し外れた場所にひっそりと佇む「袋宮寺」。
ここでは純粋に、観音様に祈る事が出来、純粋に名仏に目を奪われる。
今日も十一面観世音菩薩立像は、弘前の町を見下ろし、守って下さっているだろう。
住所・弘前市新寺町26